大相撲九州場所千秋楽の優勝インタビュー後、観客に呼び掛け万歳三唱をする横綱白鵬関。会場は大いに盛り上がったが、その後、物議をかもした(写真:共同通信)

テレビのワイドショーやネットニュースなどで日々報じられている元横綱・日馬富士の暴力問題だが、次第に「モンゴル人力士批判」、とりわけ「白鵬たたき」の様相を呈してきた。巡業先に「殺害予告の脅迫状」が届くまでエスカレートしたこの流れに対し、『承認欲求』の著者で大の大相撲ファンでもある太田肇氏が、組織論の観点から異論を提起する。

標的にされた白鵬

元横綱・日馬富士の暴行事件がマスコミをにぎわした。ところがいつの間にかバッシングの矛先が横綱・白鵬に向いていった。白鵬自身、暴行現場に居合わせた1人というだけで事件とは無関係なはずなのに、事件の延長でたたかれるのは気の毒な気がする。たとえていうなら「別件逮捕」のようなものだ。

たしかに嘉風(よしかぜ)との一番で行事の判定に納得せず、土俵の上下で抗議の態度をとり続けたのはいただけない。注意され、何らかの制裁を受けてもしかたがないだろう。

しかし明らかな非礼はそれだけで、表彰式での発言や万歳三唱はそれ自体、社会的に糾弾されるようなものではない。にもかかわらず日本相撲協会は表彰式の言動について厳重注意した。テレビのコメンテーターや大相撲関係の委員たちもこぞって白鵬の「品格」を問題にし、なかには発言や万歳などを理由に出場停止処分にすべきだという人もいた。

私はテレビで表彰式の模様を見ていたが、白鵬の言動に驚きはしたものの、むしろ拍手を送りたかった。「日馬富士や貴ノ岩を土俵に上げてあげたい」という発言からはライバル力士への思いやりが伝わってきたし、万歳三唱を求めたのも、大相撲界をおおう空気を少しでも明るくしようとする白鵬ならではの気配りが感じられた。実際に満員の観客は白鵬の提案に呼応して高らかに万歳三唱し、館内は大いに盛り上がった。

しかし、だからこそ大相撲のお目付役や親方衆にとっては面白くない。自分たちのほうが「偉い」はずなのに、白鵬に場を仕切られ、観客まで味方につけられてしまったからである。ただ明白な非行やルール違反がない以上、表だってそれを非難できない。そこで「品格」という便利な口実を前面に出したのだろう。

白鵬へのバッシングは今に始まったことではない。朝青龍が現役の時代には白鵬は模範力士として持ち上げられていたが、ヒール役の朝青龍が引退に追い込まれてから世間の風向きが少しずつ変わっていった。日本人力士なら許されるような取り口や些細な言動が問題にされ、だんだんと「強いが品格に欠ける横綱」というイメージが植え付けられていった。

それには伏線もある。たとえば人権問題には敏感であるべきNHKのアナウンサーや解説者さえ、大相撲実況中継のなかで事あるごとに「日本人の横綱がほしい」と口にし、館内でモンゴル人力士への差別的なヤジが乱れ飛んだときもそれをとがめようとさえしなかった。

バッシングの裏にある、屈折した承認欲求

私は「白鵬たたき」に日本社会特有のイジメの構造が象徴的な形で表れており、その背後には日本人の屈折した承認欲求が潜んでいるととらえている。

人間には他人から認められたい、ほめられたいという承認欲求がある。しかし日本の社会では魅力的な個性や優れた能力、卓越した業績をたたえる「表の承認」より、出すぎず、和を乱さないことをよしとする「裏の承認」風土がある。そのため承認欲求は他人への嫉妬や意地、メンツというような屈折した形で表れやすい。そして自分の承認欲求を満たすため、「出る杭(くい)」を打ったり、他人の足を引っぱったりする。他人の価値を下げることで、自分の存在感を示そうとするのである。

白鵬は恰好のターゲットになったわけだ。彼の突出した実力と業績は周囲の羨望を集め、外国人ということで日本人のナショナリズムにも火をつける。しかもNHKまであからさまに日本人びいきをするし、相撲協会からは厳重注意というお墨付きをもらった。そうなると、もうバッシングにブレーキはかからない。

さらに都合がよいのは、相手が大横綱であるという点である。とくにマスコミにとって、表面上は「強者」でありながら反撃の手段をもたない相手ほど攻撃しやすい標的はない。強者と戦う「正義の味方」を演じられるからである。

朝青龍にしても白鵬にしても、彼らがかりにアメリカ人かイギリス人だったらこれほどたたかれただろうか、とついつい考えてしまう。

学校や職場のイジメも構図は同じ

こうして白鵬に対する集団的なバッシングが広がった。相撲と無関係な各界の重鎮からネトウヨ、そして一般の人たちまで、日ごろのうっぷんを晴らすかのようにSNSなどを使っていっせいに白鵬をたたきはじめたのである。

その展開は学校や職場のイジメと驚くほど似ている。

たとえば公立の小学校や中学校では、進学塾に通う勉強がよくできる子、海外留学の経験があり教師よりも英会話が堪能な子、音楽など芸術のプロをめざし英才教育を受けている子などがしばしばイジメに遭う。

教師も人間なので、このような子がクラスにいると内心は面白くない。それがちょっとした言動に表れることがある。それを目にした生徒たちは教師のホンネを敏感に察知し、標的となる子の些細な落ち度をとらえて嫌がらせや仲間外しなどをはじめる。

職場もまた学校と同様、わが国ではメンバーが固定していて閉鎖的なため、独特の慣習や序列ができやすい。そのため上司や先輩のお株を奪うような仕事をする人や、空気を読まない人が入ってくると職場ぐるみで嫌がらせをするようになる。しかも「敵」をつくって自分たちの結束を高めようとするため、嫌がらせはエスカレートしていく。


高度成長期と違って、企業も経済も拡大することができないし、会社の中では役職ポストも削減されている。「表の承認」を得るチャンスが少なくなっているのだ。そのためグローバル化という世界の潮流と裏腹に、日本人の意識はますます内向きになっている。人々の活躍や成功をたたえるより、異質なものを排除し「出る杭」を打つ日本社会の暗部「裏の承認」がますます色濃くなっているように感じる。

このような日本社会の現状を理解し、人々の心中に巣くう歪んだ承認欲求を直視しないかぎり、口先だけでいくらきれい事をとなえてもイジメはなくならない。正義漢ぶって白鵬バッシングに溜飲を下げている場合ではないのだ。