橋下徹「ノーベル平和賞で平和は来ない」

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北朝鮮の核開発にともない米朝間の軍事的緊張が高まる一方、核廃絶を目指す国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の活動が2017年度のノーベル平和賞に選ばれた。核兵器をなくせば本当に楽園のような平和が来るのか? むしろ逆ではないかと橋下徹氏は指摘する。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(12月12日配信)より、抜粋記事をお届けします――。

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■本当に戦争は起きないか? 究極のデメリットも考えるべき

核兵器は恐ろしい。使用された場合には人間をはじめとするあらゆる生きる物に対してこの世のものとは思えない苦痛を与え、地球を滅亡させる危険がある。ゆえに核兵器が地球上からなくなることが理想であることは間違いない。

しかし核兵器がなくなることで、今落ち着いている大国・強国間の戦争が勃発してしまっては元も子もない。

世界の大国・強国が核兵器を保有して以後、大国・強国間の大戦が勃発していないことは確たる歴的事実である。もちろん大国・強国間の大戦が勃発していない理由が核兵器の相互保有ではないかもしれない。しかし今のところ核兵器が存在する中で大戦が勃発していないという確たる事実がある以上、核兵器廃絶という変化が生じても、これまでと同じく大国・強国間において大戦は勃発ないということをしっかりと論証する必要がある。つまり核兵器が存在するから大戦が勃発しないという論証ではなく、核兵器が廃絶されても大戦は勃発しないという論証が必要なんだ。核兵器の廃絶を唱えることはその論証ができてからのことだ。

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2017年度のノーベル平和賞に選ばれた国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の活動を僕は否定するつもりはない。彼ら彼女らの活動が核兵器禁止条約の国連採択に貢献したことは確かであろう。

しかし国連で採択されたとしても、核保有国や核保有国の核の傘に守られている国ばかりか、核を持っていない国ですら各国で批准(国会等による承認)されるかどうかは分からない見通しのようだ。

国連で採択されることと、各国が批准することは別問題。国連は一国の政治について全責任を負っていない者たちが理想論だけで動ける場。しかし国連加盟国各国の現実の政治行政の場に移ると、責任を負っている者たちが現実の判断をしているし、そうしなければならない。そうすると、そこでは国連で採択されたものが直ちに採用されるということにはならない。つまり国連の非現実的・理想論的な決定は各国の現実の政治行政の場で否定されることもあるだろう。

12月8日の朝日新聞に載ったICAN国際運営委員・川崎哲さんへのインタビュー記事を読めば読むほど、責任を負わない者の主張と責任を負う者の主張との違いを認識させられた。

このインタビュー記事では、さっき述べたように国連で核兵器禁止条約が採択されたものの、批准する国が少ない事実(現在2カ国)が指摘されている。そして何よりも、川崎さんの主張からは「核兵器は悪い兵器だ。だから地球上からなくさなければならない」という意気込みは強く伝わってくるんだけど、「核兵器がなくなっても世界は本当に大丈夫なのか?」というところへの思考が全くない。この点について僕は大変な不安を感じ、恐ろしくもある。

核兵器廃絶を唱える人は、みんなそうなんだよね。廃絶しても本当に大丈夫なの? ということに関する思考がない。廃絶することが絶対的に正しいという価値観が強すぎて、廃絶のデメリットについては完全に思考停止になってしまっている。安全保障の専門家と言われる東大教授の藤原帰一さんですら「通常兵器に抑止力があるから大丈夫だ」くらいのことしか言えない。そしてそんなロジックは幻想に過ぎないことは前号で述べた。

核兵器廃絶が絶対的な目的なのではない。戦争のない世界にすることが目的だ。核兵器廃絶は戦争のない世界にするための一手段だ。そして戦争のない世界にすることに責任を持つ者は、その目的を達成するために手段の相当性をきっちりと検証する。本当に核兵器廃絶という手段によって戦争のない世界が実現できるのか、と。ところが戦争のない世界を実現することに責任を負わない者は、自分の持論である核兵器廃絶をとにかく叫んでしまう。それによって仮に戦争が起きたとしても知ったこっちゃないからね。

大阪府政、大阪市政における改革議論のときでも同じような状況だった。責任を負っていない役人や有識者、それに議員の主張は、いつも無責任な主張ばかり。その主張を実行したときにどうなる? という点について深い考察がない。

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もし核兵器を廃絶するという現況を大きく変えるようなことをしていくならば、そのことによっても大国・強国間の大戦は勃発しないということを確信してからでないとその変更を実行するわけにはいかない。これが戦争のない世界の実現に責任を負う者の当然の思考回路だ。

ところが今のところ、核兵器が廃絶された後に世界がどうなっているのか、大国・強国間で大戦が勃発しないのかをしっかりと論証したものは見当たらない。あたかも核兵器が廃絶されれば地球上にパラダイス(楽園)が訪れるかのごとき主張ばかりだ。

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■もし日本に核兵器があったら米国は原爆を使ったか?

繰り返しになるが、政治選択とは、現状と新しい試みのどちらのほうがよりましか、という選択であることを肝に銘じなければならない。

核兵器がある現状と、核兵器がなくなった将来の状態とでどちらがよりましなのか。

戦争のない世界の実現に責任を負う政治家は、どちらのほうが大国間・強国間の大規模な戦争が発生しないのかを冷静に現実的に判断する必要がある。無責任な者は、一見、かっこいいほう、理想的なほう、誰もが疑わないほうを選択して、その結果、現実的な弊害が生じて大慌てする。

これまで僕は歴史などを勉強しながら、その道の専門家と言われる人たちに、次のような質問をぶつけ続けてきたが、明確な回答をもらったことがない。

・第二次世界大戦当時、日本が核兵器を保有していたら、広島・長崎に原爆が落とされなかったのではないか。都市部の住宅地への無差別爆撃・空襲は行われなかったのではないか。

・そもそも太平洋戦争(対英米戦争)開戦当時に日本が核兵器を保有していたら、開戦に至るまで日本は追い詰められなかったのではないか。どこかで双方の譲歩が成立したのではないか。

この核兵器の有効性を確かめるような僕の質問には、その手の専門家から明確な答えをもらったことがない。つまり堂々と有効性を認める専門家もほとんどいなければ、逆にきっぱりと有効性を否定する専門家もほとんどいない。ということは専門家の間では核兵器の有効性は完全に否定されているわけではないんだよね。核兵器を何の疑念もなく全否定しているのは外交や安全保障の専門家ではない人たちなんだ。思想家、音楽家、女優・男優……。

核兵器の有効性を考えるにあたっては、「力」というものについて少し深く考える必要がある。一般的には大国・強国間の力と力が均衡していたら大規模紛争は生じないとされている。力と力で均衡が取れているのだから当たり前だよね。

このような力の均衡を一国の権力の暴走を抑えるために利用したのが、権力分立という仕組みだ。だからそもそも権力分立とは「力」というものを信用するものだ。力に対して力で抑える。信用や信頼だけでは権力の暴走を抑えることはできないという冷静な現実的な認識。この点朝日新聞や毎日新聞そして自称インテリたちは、一国内においては権力分立という点で力の有効性を全面肯定するのに、それが国と国との力関係になると力の有効性を肯定しなくなるのはなぜなのか。

日本が核兵器を保有していたとしたら、アメリカは広島と長崎に原爆を落としたか。無差別爆撃・空襲をしたのか。僕はそれはなかったであろうと認識している。そもそも太平洋戦争に至るまでアメリカがあれだけ強気になることはなかったと思う。開戦に至る前にどこかで譲歩し合って妥協が成立していたであろうと考える。このような僕の考えは、力=核兵器の有効性を認めるものである。

もし核兵器に何らの有効性もない、核兵器は絶対悪だと言うのであれば、日本が核兵器を保有していたとしても、アメリカが広島・長崎に原爆を落とし、無差別爆撃・空襲をしたであろうことをきちんと論証してもらいたい。その論証がなければ核兵器には一定の有効性があることを認めたことになる。(ここまで約3200字、メルマガ本文は約9800字です)

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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.83(12月12日配信)を一部抜粋し簡略にまとめ直したものです。もっと読みたい方は、メールマガジンで! 今号は《【続く北朝鮮危機(2)】核をなくせば逆に大戦争のリスクが! 無責任に核廃絶を叫ぶ前に考えるべきこと》特集です!!

(前大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹)