今度はマラドーナ! 「似てない銅像」がインドに出現も、本人は上機嫌で“大人の対応”
偉業を成し遂げ、銅像が建立される。サッカー選手に限らず、人として大きな名誉であるが、それがあまり似てないとなると……。
今年3月、故郷のマデイラ島で空港に自分の名前が冠せられることとなったクリスチアーノ・ロナウド。まさに故郷に錦を飾ったわけだが、このニュースとともに人々の興味を引き付けたのは、空港内に設置された「似てない」銅像だった。
「恐ろしい」「奇妙な像」「まるで別人」「モンスターにそっくり」とメディアやファンから散々な評価を下されると、今度は制作者が「全ての人を満足させるのはキリストでも不可能だ!」と反論するなど、この銅像が思わぬ騒ぎを引き起こすこととなった。
そしてこのたび、再び人々の注目を集めそうな銅像が、インドのコルカタでお披露目された。今回のモデルとなったのは、アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナだ。
現地時間12月11日、コルカタでのチャリティーイベントにマラドーナが出席した際、主催側は彼のこれまでの偉業を称え、盛大なレセプションを催し、そのなかで銅像を披露したのだった。それは1986年、メキシコ・ワールドカップ優勝を果たして黄金のトロフィーを掲げた場面を模したもので、12フィート(約3メートル60センチ)という巨大な全身像である。
しかし、この力作に対し『ESPN』は「なぜトロフィーをこれほど大きくしたのか?」「マラドーナというよりは、彼の祖母のよう」と綴り、他のメディアも「似てない」「C・ロナウドのよりも酷くないか?」とかなり厳しい評価が下している。
【PHOTO】なんとも“微妙”なマラドーナの銅像… etc.
確かに、銅像を見るとトロフィーが異常に大きい。マラドーナが小柄なのは事実だが、比率は明らかにおかしい。カーリーヘアが強調された頭部や顔については……見る者によって意見は分かれるところだろう。
では、この銅像を見たマラドーナ本人はどう感じたのか? 日頃は思ったことを包み隠さずに口にするのが彼の流儀だが、歓待を受けたこともあり、3月にC・ロナウドがマデイラ島で語ったのと同様、謙虚かつ感謝の言葉に終始した。
「私はサッカーの神様じゃない。ただのサッカー選手だ。そんな私が銅像を建ててもらえるなんて素晴らしい! 今回、再びここに来られてとても嬉しかった」
コルカタに3日間滞在し、地元のクラブとのチャリティーマッチにも出場したマラドーナは終始、上機嫌だったようだ。やはり銅像とは、建てられること自体が名誉や喜びであり、C・ロナウドの銅像制作者が訴えたように「似てる似てないの問題じゃない」ということなのだろう。
今年3月、故郷のマデイラ島で空港に自分の名前が冠せられることとなったクリスチアーノ・ロナウド。まさに故郷に錦を飾ったわけだが、このニュースとともに人々の興味を引き付けたのは、空港内に設置された「似てない」銅像だった。
「恐ろしい」「奇妙な像」「まるで別人」「モンスターにそっくり」とメディアやファンから散々な評価を下されると、今度は制作者が「全ての人を満足させるのはキリストでも不可能だ!」と反論するなど、この銅像が思わぬ騒ぎを引き起こすこととなった。
そしてこのたび、再び人々の注目を集めそうな銅像が、インドのコルカタでお披露目された。今回のモデルとなったのは、アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナだ。
現地時間12月11日、コルカタでのチャリティーイベントにマラドーナが出席した際、主催側は彼のこれまでの偉業を称え、盛大なレセプションを催し、そのなかで銅像を披露したのだった。それは1986年、メキシコ・ワールドカップ優勝を果たして黄金のトロフィーを掲げた場面を模したもので、12フィート(約3メートル60センチ)という巨大な全身像である。
しかし、この力作に対し『ESPN』は「なぜトロフィーをこれほど大きくしたのか?」「マラドーナというよりは、彼の祖母のよう」と綴り、他のメディアも「似てない」「C・ロナウドのよりも酷くないか?」とかなり厳しい評価が下している。
【PHOTO】なんとも“微妙”なマラドーナの銅像… etc.
確かに、銅像を見るとトロフィーが異常に大きい。マラドーナが小柄なのは事実だが、比率は明らかにおかしい。カーリーヘアが強調された頭部や顔については……見る者によって意見は分かれるところだろう。
では、この銅像を見たマラドーナ本人はどう感じたのか? 日頃は思ったことを包み隠さずに口にするのが彼の流儀だが、歓待を受けたこともあり、3月にC・ロナウドがマデイラ島で語ったのと同様、謙虚かつ感謝の言葉に終始した。
「私はサッカーの神様じゃない。ただのサッカー選手だ。そんな私が銅像を建ててもらえるなんて素晴らしい! 今回、再びここに来られてとても嬉しかった」
コルカタに3日間滞在し、地元のクラブとのチャリティーマッチにも出場したマラドーナは終始、上機嫌だったようだ。やはり銅像とは、建てられること自体が名誉や喜びであり、C・ロナウドの銅像制作者が訴えたように「似てる似てないの問題じゃない」ということなのだろう。