結婚に適した男は、30歳までに刈り取られる。

電車で見かけた素敵な男は大抵、左手に指輪がついている。

会社内を見渡しても、将来有望な男は30歳までに結婚している。

そうして「青田買い」に目覚めた、大手不動産会社勤務の奈々子(28歳)は、幸せを掴むことができるのか・・・?

先輩社員・中村の罠にまんまとはまってしまった奈々子。会議中、突然立ち上がり中村を睨みつけた新入社員の田中が、奈々子を救う!?




-リリリリリリリリーン!

枕元に置かれた携帯電話がけたたましく鳴り響いている。

眠い目をこすりながら応答すると、電話越しに優雅なクラシック音楽が聞こえてきた。

「おはようございます。田中です。岡田先輩が起きられたか心配になりまして、目覚まし代わりにお電話差し上げました」

田中の声で一気に目が覚めた奈々子がベッドの周りを見回すと、昨日着ていた洋服が床に散乱していた。

化粧も落とさずに寝てしまったらしく、砂漠のように乾燥した肌に絶望する。

「あー、ありがとう。って、その音楽はなに?!」

「二日酔いの頭痛には、クラシック音楽が良いらしいです」

田中の言う通り、重度の二日酔いのようだ。視界がぼやけ、全身がユラユラと揺れているような感覚だ。それに、とにかく頭が痛い。

「昨日って、結局どうしたんだっけ?」

昨夜のことを思い出そうとうしても、お酒を飲んでいる断片的な記憶しか浮かばない。かろうじてある記憶は、なぜか田中が泣いていたことくらいだ。

「ラーメンは後日になりましたので。あ、遅刻しないでくださいね。それでは」

奈々子が、ラーメン?と聞き返しているとブチっと電話が切れた。

枕元の目覚まし時計に目をやると、始業1時間前。急いでシャワーを浴び、身支度をすませて会社に向かった。


あの会議で田中がとった行動とは。奈々子を救えるのか?


現実に引き戻された女


ー1日前ー

ガタン。

勢い良く椅子から立ち上がった田中は、プレゼンを終えた中村を睨みつけた。

「その資料を作ったのは・・・」

田中は全部知っていた。中村が仕事のために奈々子の好意を利用していたこと、手柄を横取りしたこと。

まだ社会の荒波に揉まれていない田中にとって、そのような行為は信じられなかった。

社会人になれば、上司に手柄を横取りされることなんて日常茶飯事だが、入社半年の田中の目には、中村は薄汚れた、罪深い人間のように映ったのだ。

田中の異変に気づいた高杉課長が、田中の言葉を待たず止めに入った。

「田中くん、時間も過ぎていることだし質問は後日にしよう。では、次のプレゼンに移りましょうか」

田中は「失礼しました」と呟き、俯いたまま着席したが、その顔は怒りに満ちていた。

上層部も大満足のプレゼンを終えた中村は、薄ら笑いを浮かべ、自信に満ちた表情で奈々子を避けるように席に戻って行った。

奈々子は自分が惨めでならなかった。

中村はイケメン、高身長で花形部署に所属。しかも帰国子女で英語も出来る。モテる要素しかない男だ。

そんな中村に好意を抱かれていると勘違いして舞い上がり、奈々子は仕事の話をベラベラとしゃべった。

さらに、彼に気に入られたくて無我夢中で資料も仕上げたのに、結局は仕事のために利用されただけだった。

自分の見る目のなさに撃沈し、虚しさと恥ずかしさ、情けなさが一気に奈々子を襲う。

デスクに戻った奈々子は、仕事に猛進することを誓った。恋愛なんかに期待してしまったのが悪い、そう自分を責め続けた。




終業の時刻。早く帰宅して疲れ切った頭も身体も癒そうと思っていると、奈々子のもとに田中がやってきた。

「岡田先輩、エントランスでお待ちしてます。では」

「え!?ちょっと!急に何よ?」

奈々子の言葉に反応せず、田中はくるりと背を向けて歩いて行った。

何が何だか分からないが、とりあえずエントランスに向かうと、田中がニッと笑った。笑った顔にえくぼができていて、子どもっぽいが、案外かわいい。

ビシッと黒のコートを着ているが、まだ学生っぽさが抜けきれず、全く様になっていない姿にクスッと笑ってしまった。

「この前言ってたラーメンの約束、今日に変更します」

「今からラーメン!?」

奈々子はラーメンを食べに行く約束なんてすっかり忘れていたが、どうやら田中は覚えていたらしい。

「ダメですか?」

田中は、黒目がちな瞳をウルウルさせながら子犬のように訴えかけてくる。

「ラーメンはシメで良いんじゃない?どこかで飲んで、その後にでも」

「分かりました!ラーメンは僕が決めますので、一軒目は先輩オススメのお店に行きましょう」


落ち込む奈々子を前に泣く田中。慰めるつもりはないのか?


傷ついた女に染み入るピュアな心


奈々子は、プライベートでもよく行く『ニホンバシ イチノイチノイチ』を訪れた。

メニューを見るなり、田中は興奮した様子で、普段より1オクターブ上の声で奈々子に話しかけてくる。

「日本酒スパークリングがありますよ!僕飲んでみたかったんですっ」

「はいはい」と、奈々子が適当にあしらった後も、田中はキョロキョロ店内を見回しながら嬉しそうにしている。

「大人のお店って感じですね。こんな素敵なお店、初めてです」

田中の“初めて”という言葉に、奈々子は妙に嬉しくなった。

自分が田中に新しいことを教えてあげた、大げさに言えば、彼の世界を広げたように感じたのだ。

奈々子は、世の男性達が、女性に“初めて”と言われて喜ぶ気持ちが分かるような気がした。そして、ふと、青田買いの醍醐味はこれではないかと思った。

「岡田先輩、今日はお付き合いいただきありがとうございます。かんぱーい!」

日本酒スパークリングをゴクゴクっと喉を鳴らしながら飲んだ田中は、スマイルマークのような笑みを浮かべる。なんとも幸せそうだ。

奈々子と一緒にメニューを見ながら、あれも美味しそう、これも美味しそうとウキウキ楽しそうにしている。

今日の会議で落ち込んでいた奈々子の荒れた心は、ラーメンはトンコツか醤油かなんていう田中との会話で、じんわりと温まっていく。

しばらく飲んで、奈々子がお酒の勢いで中村の愚痴を言いそうになった時、田中がシクシク泣き始めた。




「え、どうしたの?田中くん、泣き上戸なの?」

「僕、今日の中村さんのプレゼン資料、本当は岡田先輩が作ってたこと知ってたんです」

先手を取られた奈々子が驚いていると、田中が手で涙を拭いながら続けた。

「僕、聞いちゃったんです。中村さんが“岡田さんって使えるわ。これで戦略会議は俺のものだ”って言ってるのを。

この前仕事を手伝っていただいたので、岡田先輩が出来るということは知っています。でも、先輩を利用して自分の手柄にするなんて卑怯ですよ!」

奈々子も思わずもらい泣きする。心の奥底に封じ込めるつもりだった負の感情が、一気に湧き出て来た。

「だから、みんなに真実を言おうと思って立ち上がったんです。でも、急に混乱してきて・・・結局黙ってしまいました。余計なことしてすみませんでした」

奈々子は、田中の真っ直ぐで誠実な思いに心打たれた。そして、奈々子の負の感情を浄化してくれたことに感謝した。

「そうだったの。ありがとね」

気づけば、二人で泣いていた。田中は、ヒクヒク言いながら奈々子にこう言った。

「僕・・・岡田先輩が中村さんの仕事で一杯いっぱいで、ラーメンにも行ってくれなかったのが、正直不満でした!

岡田先輩は、中村さんみたいに自分の損得だけで動かない。こんなペーペーの僕の相談にも親身になってくれるし、一生懸命教えてくれる。僕、岡田先輩のこと・・・」

奈々子の記憶は、ここで途切れたらしかった。

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次週、奈々子と田中がついに仕事以外で会うことに。グダグダデート、どうなる?