「『ビジランテ』は大人版『サイタマノラッパー』」 入江悠監督が明かす、10年前からの変化

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『太陽』『22年目の告白-私が殺人犯です-』を手がけてきた入江悠監督の新作は、自身の故郷を舞台とした完全オリジナル脚本による“バイオレンス・ノワール”作品だ。本作は、歪みを抱える地方都市、別々の世界を生きてきた三兄弟が再会したことで、人間の欲望、野心、プライドが衝突し、狂気に満ちた社会の裏側に引きずり込まれていく模様を描く。

 リアルサウンド映画部では、入江監督にインタビューを行い、『SR サイタマノラッパー』以来となる自身の故郷を舞台とした理由や、メインビジュアルにも使用されている象徴的な“川”を使用した経緯など、じっくりと話を訊いた。

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■キャリアを重ねていく中で変化した意識

ーー本作は入江監督の総決算とも呼べる内容になっていると感じました。

入江:デビュー作の『SR サイタマノラッパー』以降、僕の撮る作品の多くが、“青春映画”と言われてきました。でも、自分自身では青春映画を描こうという意識はなくて、特に青春映画が好きなわけでもないんです。個人的には主人公たちが何か“苦味”を感じる映画が好きで。そのいちジャンルがフリッツ・ラングの作品に代表されるようなフィルム・ノワール作品ですね。その感覚がフィットしたのは前川知大さんの戯曲を映画化した『太陽』でした。コミュニティの中で人間はどうやって生きていくのか、社会とどう向き合っていくべきなのか、その問いが前川さんの原作にはありました。それまでは身近な青年の話を作ることが多かったのですが、前作『22年目の告白-私が殺人犯です-』とあわせて、もっと視野を広げた映画を作りたいと再発見しました。デビュー作から、『22年目の告白』まで、これまで培ってきた経験をいいかたちで『ビジランテ』に繋げることができたと思います。

ーー前川知大さんの戯曲、韓国映画『殺人の告白』と強力な原作の映画化が続きましたが、久々のオリジナル脚本を手がけてみてどうでしたか。

入江:『サイタマノラッパー』のデビュー以降、ありがたいことに商業映画やドラマを撮るチャンスをいただいてきました。でも、あのときから10年が経ち、気が付いたらオリジナル脚本をずっと書いていなかった。『サイタマノラッパー』のときのように、地元・深谷を舞台にしようと思って書き始めたわけではなかったんですが、今、自分が一番関心のあるものを詰め込んだ結果、地元でしか撮れないものになっていました。

ーー『ビジランテ』というタイトルは最初から?

入江:ビジランテ=自警団を取り上げる作品にしようと予め考えていたので、タイトルも比較的早めに確定していました。地方都市には“自警”意識が根強くあるんです。「町を守るために! 治安のために!」という大義があるんですが、どこかそこに気持ち悪さもある。僕も青春時代を地方都市で過ごす中で、田舎のコミュニティの閉塞感はずっと感じていました。もちろん、都心にはない連帯感などいい面もあるのですが、それが行き過ぎた場合にどうなるのか、それを映画にできればと。

ーー舞台が同じ『サイタマノラッパー』と共通点はありながらも、主人公たちが完全な“大人”となっていますね。

入江:『サイタマノラッパー』や『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』、『日々ロック』の主人公たちは、少し前の自分自身を反映していたせいか、やや無責任なんです(笑)。自分の夢や希望を追求するばかりで、社会に対しての責任がない。でも、僕自身も40代が近づき、作品を通していろんな方と仕事をする中で、責任を担う立場になりました。いつまでも無責任な主人公たちを描いていてもしょうがないという気持ちがあったんです。責任が生まれると所属するコミュニティに縛られるし、そこから抜け出ることができなくなる面があります。そういう大人を描こうという狙いはありました。

ーー本作の主役を三兄弟にしようとした経緯は?

入江:自分が脚本を書くときは特にそうなんですが、実はひとりの主人公に集約するのが苦手なんです。『サイタマノラッパー』も、IKKU(駒木根隆介)、TOM(水澤紳吾)、MIGHTY(奥野瑛太)の3人が主役で、それぞれに僕自身の駄目なところや精神的なところを分散させていました。複数の人物が対立して、時に手を組んで、というドラマを作るのが好きなんです。それはこれからの課題でもあります。その意味で、『ビジランテ』は大人版『サイタマノラッパー』とも言えますね。

ーーということは、本作の三兄弟にも入江さんの性格が反映されている?

入江:そうですね。桐谷君が演じた三郎に関しては格好いいキャラクターなので、自分の理想を彼に託した部分があります。映画の中で三郎が突きつけられるような大事な局面で、僕は日和ってしまうタイプなんです。大事な選択に気付くことができる、それを選び取る強さを持つ三郎に、僕の理想を重ねました。一方で、一郎の凶暴性や、二郎の長いものには巻かれてしまう性格も僕の一面なのかなと。

ーー三郎が正しい選択を取ることができるのに対して、二郎は分かっていてもそれを選び取ることができない。その姿が集約された最後のスピーチはグッとくるものがありました。

入江:三兄弟の中で二郎が一番地元のしがらみに囚われているんですよね。僕も、二郎について書いているときは特に力が入っていました。一郎と三郎のどこか超人的なキャラクターに対して、本音と建前を駆使してそこで生きていくしかなかった二郎の姿は、観客の方にも感情移入してもらいやすいかもしれません。

■「誰かの救いになる映画を」

ーーメインビジュアルにもなっている、川を三兄弟が渡っていくシーンは非常に印象的です。

入江:『太陽』でも、閉鎖された街と外の世界を繋ぐ場所として、橋的装置を意識的に使っていたんですが、そういった空間と空間を繋ぐ境界線となるものが、映画的で好きなんです。海がない埼玉で育ったせいもあるからか、唯一の“流れていくもの”である川が昔から好きだったのも理由のひとつですね。その思いもあって、川を象徴的に使おうと企画の初期段階からイメージしていました。めちゃくちゃ寒い中での撮影で、役者さんたちは本当に大変だったと思います。ほかのシーンでも、その日の朝から翌朝までの限界を越えた撮影が続いていたので、撮影終了後は役者さんたちから刺されるとすら思っていましたから。

ーー過酷な撮影を投映するかのように、画面全体に気迫が滲んでいるのを感じました。

入江:日本にはあまりない“ノワール”作品を本作では目指しました。僕が10代の頃、生きることの残酷さや、主人公が報われることのない現実を描いた作品に救われるものがあったんです。自分の苦しさを映画が引き受けてくれているような気がして。本作も、決してハッピーエンドではないし、説明的なセリフもなくて、お客さんにとっては不親切な映画になっているかもしれません。お客さんにどう受け取っていただけるかは分かりませんが、この映画が誰かの救いになればうれしいです。

(取材・文=石井達也)