<記者コラム:オトゴト>
 先日、使用しているパソコンのOSが更新された。いつもの通りの簡単な更新で済むと思いきや、インストールまでに1時間半がかかった。途中であきらめたので、実際にはもっとかかっていただろう。締め切りに追われている身としては、迷惑な話だ。

 結局、元に戻したが、それにも1時間半がかかった。メールは使えないし、文章も打てない。更新作業もできない、と、できない尽くし。これだけパソコンに頼っていたのか、と改めて感じるとと同時に、自身の無力さを感じた。この“奇襲”によって失われたのは時間だけでなく、データも…。

 元に戻すものの、不具合が生じて正常に起動ができない。初期化という選択しか取れず、やむなくデータに別れを告げて、購入時の状態に戻した。

 こういう求めてないものを“強要”されるのはこのOSの特徴だが、思えば音楽にもそういうのがあったなあと思う。1990年代後半から2000年代前半。複製禁止のもとで導入されたコピーコントロールCD(CCCD)。音質については一部で、CCCD自体は下げることはないという見解もあるが、日本においては通常のCDよりも劣っていたように感じる。

 当時、CDをレンタルしてコピーするということが出始めていた。それではCDの売り上げに影響を及ぼしかねないと、考え抜いた“策”だが、これによって信頼を失われたのも事実だ。ただ、これに関しては、コピーする行為そのものが良くないことだったなのだが…。

 パソコンによって便利になったが、失われたものもある。依存し過ぎたことによって、漢字が書けないということもある。今では検索に依存し過ぎることによって頭に留めておく知識などが失われつつある。こうしてみると程よいバランスが大事であることを感じる。

 音楽も、便利な配信だけに依存し過ぎるのではなく、時にはCDやレコードを聞いて、それぞれが織りなす音のぬくもりを楽しむも時間も設けたいものだ。イヤフォンだけでなく、スピーカーを通すことによって感じる音の広がり…。

 もっともパソコンについてはバックアップをしっかりとっておけば良かった、と自省しているのだが…しかし、素人にもわかるようにもう少し案内を丁寧にしてほしいものだ。「更新に失敗したらデータそのものが“複製”ができなくなりますよ。なのでこのまま数時間じっとしてください」と。【木村陽仁】