プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話」 G.G.佐藤(前編)

 昭和のプロ野球では年俸1000万円が一流選手の証(あかし)だった。それが3000万円になり、1億円に上がっていき、現在では、4億円以上の年俸を稼ぐプロ野球選手が何人もいる。

 しかし、プロ野球選手には選手寿命がある。どんなすばらしいスターも衰えと無縁ではない。能力や成績が年俸に見合わないと判断されれば戦力外を通告され、移籍先が見つからなければユニフォームを脱ぐことになる。そのときには当然、年俸はゼロになる。

 プロ野球で「天国と地獄」を経験した元プロ野球選手に、お金にまつわる様々な話を徹底的に聞くシリーズ企画。第1回に登場してもらうのは、埼玉西武ライオンズ打線の主軸を担い、北京オリンピック日本代表でも活躍したG.G.佐藤氏。

 契約金や年俸の「推定」は正しいのか? 「グラウンドに銭が落ちている」は本当か? なぜ大金は身につかないのか? 球団との年俸交渉の実態は? そして、お金よりも大切なものは何なのか?


ルーキー時代のG.G.佐藤。安い契約金に「やってやる」と燃えていた

■プロ野球ほど儲かる仕事はない……は本当か?

──埼玉西武ライオンズ時代に年俸1億円を突破したGG佐藤さんですが、プロ野球選手になるとき、これくらい稼いでやろうという目標はありましたか?

佐藤 サラリーマンの生涯年収が3億円ぐらいだから、「プロになるなら3億は稼げ」とまわりの人には言われました。NPBで9年プレーして、それはなんとかクリアできたかな。

──佐藤さんは2003年ドラフト7巡目でライオンズに入団しました。ある資料によれば、いずれも推定で契約金2000万円、1年目の年俸は700万円とされていますが、実際の金額は?

佐藤 年俸はそのくらいですが、契約金は全然違います。プロ野球選手にとって前払いの退職金みたいなものだから、「使わずに貯めとけよ」と言われるんですけども、私の場合は少なかったですね。本当は、300万円でした。

──えっ、そんなに少ないんですか? あまり期待されていなかったのでしょうか……。

佐藤 だからこそ、「絶対にやってやろう」と思いましたね。

──現在の一軍最低年俸は1500万円ですね。でも佐藤さんの1年目は700万円。

佐藤 一軍に上がれば、一軍最低年俸に足りない分を日割りした金額が1日ごとにチャリンチャリンと入ってきます。もし開幕から最後までずっと一軍にいることができれば、1500万円になります。

──佐藤さんは1年目の2004年に45試合出場しましたから、700万円にかなりの金額がプラスされたということですね。

佐藤 でも、翌年の年俸交渉のベースはあくまで700万円でした。だから、レギュラーにならない限り、年俸はなかなか上がっていきませんね。1年目にもらったのは1000万円か1100万円くらいだったと思います。

──佐藤さんが「オレもやっとプロ野球選手になれた」と思ったのは、いつ頃のことですか?

佐藤 「お金が貯まってきたな」と感じたのは、年俸3000万円を超えたあたりから。お金が入ってくればくるだけ使ってしまうものなんですけど、それでも3000万円くらいあれば、かなり貯まりますね。自分に対して「やるね、おまえも」と思っていました(笑)。

──でも、プロ野球選手は出ていくお金も多いんじゃないですか?

佐藤 選手のなかには個人的に運転手をつける人もいましたね。みんな、食事や体のケアなどに、よりお金をかけていました。

──佐藤さんは日本でプロ入りする前に、アメリカのマイナーリーグを経験しています。俗に「ハンバーガーリーグ」と呼ばれるマイナーでは、本当に毎日、ハンバーガーばかり食べているんですか?

佐藤 はい、本当です。月曜日はマクドナルド、火曜日はウェンディーズ、水曜日はケンタッキー、木曜日がバーガーキングで、金曜日はタコベル。で、土曜日にマクドナルドに戻るの繰り返しです。これ、マジです。でも、アメリカ人はすごくて、店によってポテトがちょっと違うだけで「今日のポテト、うまいね」って喜ぶんです(笑)。

──そんな食事で力を出せますか?

佐藤 アメリカの選手は大丈夫なんですよねぇ。私はシーズンが終わる頃、15キロから20キロくらいは痩せましたが、彼らは体重もパワーも落ちない。ナイターが終わるのが22時とか23時ですから、その時間に開いている店は、ファストフードくらいしかないんですね。店にチームのバスを横づけして「なんか買ってこい」と。食料を確保したら、すぐに次の場所に移動です。

──それと比べれば、日本のプロ野球は天国ですね。

佐藤 寮もあるし、朝昼晩の食事に加えて夜食も出るんですよ。それでいて寮費は月額3万5000円くらい。お風呂にはいつでも入れるし、アイシング用の氷はあるし、ドリンク類も揃っているし、プロテインもあります。最高の待遇です。

──寮のすぐそばにグラウンドがあって、いつでも練習もできます。

佐藤 練習しようと思い立ったら、1分後には始められます。でも、ライオンズの寮は、私がいた頃も古かったですけどね。

──その寮には何年間いましたか? 食費込みの寮費が3万5000円なら、お金は貯まりますよね。

佐藤 私は、2年間いました。3年目もいたかったんですが、「いい加減にしろ」と言われてしまい……ルール的に許されるなら、ずっといたかった。野球をやるには最高の環境だし、お金も貯まるし。

──プロ野球選手はレギュラーにならないと年俸は上がらないというお話でしたが、佐藤さんの場合はいかがでしたか?

佐藤 1年目のオフから、いきなり契約交渉で保留した選手は私が初めてだったそうです。日本プロ野球で史上初! だから、「銭ゲバ」と言われるんですよね。球団の人には「本当に保留するのか?」と何度も聞かれました。

──球団の人は「面倒くさいヤツだな」と思ったでしょうね。

佐藤 そうですね。アメリカナイズされていたっていうのもあるし、「やった分はもらわないと」という思いはありました。

──プロ4年目の2007年は、136試合に出場して打率2割8分0厘、25本塁打、69打点。立派な数字を残したオフに”調停騒ぎ”が起こりました。

佐藤 やっとレギュラーになって、年俸3700万円から希望金額まで上げるのに、6回くらい保留しました。それで、調停までもつれそうになって……。交渉のために代理人を立てたのはライオンズでは私が初めて。代理人にお願いして、6回保留したあげく、大騒ぎになりました。

──保留している間、球団からの提示金額は変わりましたか?

佐藤 ビタ一文、動きません。何をどう交渉しても、1円も上がらない。最初の金額のまま、ずっと平行線。

──でも結局、調停まではいかなかったんですよね。

佐藤 あのときは感情ばかり行き違っちゃってましたね。でも、NPBに調停の申請に行ったら、NPBの人がライオンズの人に「揉めているみたいだけど、この程度の金額で調停するのはやめなさい。来年の4番バッターなんだから、ちゃんと払うべきじゃないですか」と言ってくれたんですよ。

──いわば”示談”をすすめられて、やっと上がったんですね。

佐藤 NPBの人に「歩み寄りなさい」と言ってもらったおかげです。でも、年俸で揉めても、お互いにあんまりプラスはないですよね。球団は「シブチン」だと思われるし、選手は「銭ゲバ」扱いされて……。

──長い目で見ればメリットはあまりなかったと?

佐藤 そうですね。頑張ったときには頑張った分だけお金をもらったほうがいいと思うんですが、あまりやりすぎると球団に残れなくなるんじゃないかと考えるから、揉めることを避ける選手が多いですね。円満な関係を保っていて、クビになったときには「面倒みてくださいね」というパターンが多い。

──プロ野球選手にはグッズ収入という副収入がありますが、どういう仕組みなんですか?

佐藤 プロ野球選手は、肖像権に関する契約を球団と結んでいます。Tシャツ1枚当たり何パーセントという具合に決まっていて、年俸の3分の1くらいの金額が入ってきます。『パワプロ』みたいなゲームの収入もあります。こういう副収入は人気の選手になればなるほどたくさん儲かりますね。

(後編につづく)

■G.G.佐藤

1978年、千葉県生まれ。本名・佐藤隆彦。桐蔭学園、法政大学を経て、アメリカ・マイナーリーグのフィラデルフィア・フィリーズの1Aでプレー。2003年ドラフト7巡目で西武ライオンズから指名を受けた。2007年からレギュラーになり、3年連続で20ホームラン以上を記録。2008年には日本代表として北京オリンピックに出場した。2011年限りでライオンズを退団。2013年、2014年は千葉ロッテマリーンズでプレーした。通算成績は、587試合に出場して打率2割7分6厘、88本塁打、270打点。現在は、株式会社トラバース千葉営業所所長を務めている。

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