勇心酒造の製造棟(写真提供:勇心酒造、以下同)


 どんな事業分野であれ、業界全体として、生産量が右肩上がりで上昇し続けている最中(さなか)に、やがて訪れるであろう急転直下の市場縮小を的確に予測することは難しい。

 しかし、業界がまだ浮揚しているそうした時期にこそ、非連続・現状否定型の経営革新を行うべきことは、多くの事例が証明している。

 1980年代後半のバブル経済絶頂期に、来るべき崩壊を予見して経営革新を断行した企業は、「バブル崩壊」とその後の「平成大不況」を乗り切ることができた。

 それができた企業の数は、もちろん決して多くない。わずか2〜3年先を予見することさえ難しいのだ。ところが、今回ご紹介する勇心酒造(香川県・綾川町)の5代目当主・徳山孝氏(76)は、実に半世紀近く前に、現代へとつながる時代の潮流を洞察し、自社の経営構造を変革。同社を現在の繁栄へと導いた。

勇心酒造の「代表取締役農学博士」徳山孝氏


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日本酒の売上比率は1%未満

 勇心酒造は社名が示す通り日本酒の蔵元である。しかし、日本酒が売上に占める比率は1%未満に過ぎない。残り99%以上は、同社が独自開発した「ライスパワーエキス」を主成分とする商品群(化粧品、医薬部外品など)で占められている。

 同社は、讃岐平野の田園地帯、“讃岐うどん発祥の地”として有名な香川県綾歌郡綾川町(人口2万3000人)にある。なまこ壁の外観には老舗酒蔵の面影が残る。ところが、一歩、建屋に足を踏み入れると、そこはまさに最先端の研究施設そのもの。創業は、1854年(安政元年)。現在、従業員は115人、売上は46億円である(2017年6月期)。

勇心酒造の本社


 名刺に「代表取締役農学博士」と肩書を記す徳山氏はこう語る。

「西洋の医薬品は対症療法を目指しており、効き目はシャープですが、副作用を伴います。それに対して、ライスパワーエキスは、生体が本来持っている機能そのものを、より健全な、より若々しい状態へと導く点に特徴があります。米の醸造醗酵によって作られたエキスですから、自然なものであり、当然、副作用もありません」

 麹菌、酵母、乳酸菌などの微生物の種類、量、醗酵期間次第で、異なる特性を有する「ライスパワーエキス」が生成される。これまでに36種類開発され、その内、13種類が実用化されている。中には画期的な特性を有するものも少なくない。

日本型バイオ企業として“世界初”の快挙

 たとえば、「ライスパワーエキスNo.11」は、「皮膚水分保持能改善剤」として、2001年、厚生労働省から承認された。これは、医薬部外品として“世界初”の快挙であった。

「水分保持能」とは、すべての人が生まれながらに備え持つ生体機能の1つである。何らかの要因によって、この水分保持能が低下し、皮膚の水分が減ると、細胞同士を結びつけているセラミドが減少し、皮膚のバリア機能を低下させる(下の図の左側を参照)。

皮膚の水分保持機能を示す肌の断面のイメージ図


 そうなると、皮膚細胞は、紫外線、温熱刺激、雨、風はもとより、微生物やアレルゲンの刺激に直接晒されることになり、様々なトラブルに見舞われる。

 コラーゲンやヒアルロン酸などの「保湿剤」を使うと皮膚が一時的に潤うものの、水分保持機能自体は回復しない。ところが、「ライスパワーエキスNo.11」は、皮膚の内側からこのセラミドを増大させることで、本来あるべき皮膚の水分保持能を回復させるという(図の右側を参照)。

 この「No.11」を主成分とする「アトピスマイル」は、2002年に発売されるや大ヒット商品となった。特に、アトピー性皮膚炎で苦しむ子どもたちには、この商品によって症状が緩和したケースが多いようだ。

2002年に発売された「アトピスマイル」


「主治医から出してもらったどんな薬でも改善しなかった息子のアトピーの症状が、貴社のアトピスマイルクリームですっかり良くなりました」

 筆者も拝見したが、勇心酒造に寄せられた、こうした感謝の手紙の数々が、その効果を裏付けていよう。

 しかし、徳山氏が、ここにたどり着くまでには、実に30年にも及ぶ歳月を要した。

成熟化の影をいち早く見抜く

 勇心酒造は、江戸時代末期の創業当時、「蔦屋」という屋号で酒銘は「白菊」だった。その後、「歌菊」を経て、現在の「勇心」を製造するようになる。販売先は、主に香川県内。

 明治期には、塩業にも進出し、朝鮮半島に塩田を有していたこともあるという。

「代々、原価よりも品質、自分のことより他人様のお世話に注力してきました」

 同社には、創業以来継承されてきた“不義にして富まず”という家訓がある。「ただ単に、“悪いことをして金を儲けてはいけない”というだけではありません。“社会的に意義のある、社会に役立つことをしなさい”という意味です」

 1968(昭和43)年、徳山氏が東北大学農学部を卒業し、東京大学の大学院で微生物学を研究していた頃、日本の酒造業は大きな転機を迎えようとしていた。

 高度経済成長の最盛期、日本人のライフスタイルは欧米化が進み、酒に対する嗜好も多様化しつつあった。

清酒製成数量の推移(出所:国税庁「酒のしおり」)


 上の図を見ても分かるように、高度経済成長期の清酒製成数量は右肩上がりの急激な伸びを示しており、日本酒業界の隆盛を感じさせる。ところが、清酒製造を行う蔵元の「場数」は、1955年をピークに、じりじりと右肩下がりを続けていた。68年当時、香川県だけを見ても、蔵元の数は、すでに戦前の半分に減っていたという。

 一見、隆盛に見える日本酒業界にも、実は成熟化の影が忍び寄り、生き残りのためには、イノベーションを必要とする段階に達していたのである。

 社会情勢に目を向けるならば、高度経済成長の“負の遺産”としての公害が深刻化し、公害病の蔓延は大きな社会問題になっていた。また、米国のベトナム反戦運動に端を発した学生運動は世界に広がり、日本でも運動が激化。東京大学の入学試験が中止に追い込まれるなど、物情騒然とした時代だった。

“決意”のとき

 徳山氏は思った。

「人も企業も、自分を中心に考え過ぎて、今や、自縄自縛になっている。しかし、人も企業も、実は、自己を取り巻く森羅万象の中で“生かされている”のではないか? これからの時代に必要なのは、この発想だ」

 日本の老舗企業に等しく伝わる“主客一如”の哲学である。

 すなわち、「主体」としての自分と、「客体」としての自分を取り巻く森羅万象は、不可分一体をなしており、自分はその中の一部として「生かされている」存在である。だからこそ、事業を行うに当たっても、特定の人や物の犠牲を前提とするのではなく、自然環境はもとより、顧客・従業員・取引先・地域社会など、「自分を生かしてくれている」あらゆる存在に対して感謝し恩返しする姿勢が大切だと考える。

 徳山氏は、日本(ないしは東洋)古来のこの思想と、西洋の近代以降の科学思考を統合させる「創造と科学の合一」という理念を打ち立て、これをベースに、事業を通じて、様々な社会課題の解決を図ろうと決意する。

 そして、この“決意”をある人物に伝えた。のちに酒蔵「一ノ蔵」を創業することになる鈴木和郎(わろう)氏(2007年に急逝)だ。鈴木氏は東北大学の1学年後輩で、実家は宮城県塩釜市の「勝来酒造」だった。“将来の業界のリーダー”と目される存在になっていく鈴木氏は長い沈黙ののち、次のように語ったという。

(後編に続く)

筆者:嶋田 淑之