ダイムラーのバッテリー工場の起工式に出席したドイツのアンゲラ・メルケル首相(中央)とダイムラーの幹部たち。ドイツは国を挙げて、新工場を後押ししている。(写真=AP/アフロ)

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「IoT」の普及で、日本の製造現場もIT企業に支配されてしまう――。そんな悲観論がささやかれているが、東京大学大学院の藤本隆宏教授は「デジタル時代にも日本に勝機はある」という。参考になるのはドイツが進める「インダストリー4.0」。日本では「工場の完全自動化の取り組み」と受け取られているが、藤本教授は「誤解されている」と指摘する。ドイツはどうやって米国に対抗しようとしているのか。藤本教授と経済ジャーナリストの安井孝之氏の「ものづくり対談」、第4回をお届けする――。(全5回)

■「上空」の楽観論と「地上」の悲観論が混在

【安井】米国発のIoT(Internet of Things、モノのインターネット)やドイツ発の「インダストリー4.0」が製造業の在り方を大きく変えるのではないかと喧伝されています。製造現場にインターネットやAI(人工知能)が入り込み、製造業がいわゆるグーグルなどのサイバー、IT企業に支配されるという見方です。藤本さんの近著『現場から見上げる企業戦略論』(角川新書)では「デジタル時代にも日本に勝機はある」と主張されていますが、勝機はありますか?

【藤本】そもそも私たちが生きている21世紀は「ややこしい」世紀です。IoTやAI、ディープラーニング、ビッグデータ、自動運転など新しい技術が誕生、発展し、これまで不可能だったことがどんどん可能になっていくという「楽観論」が生まれています。こうした見方は、ICT(Information and Communication Technology、情報通信技術)の世界、つまりサイバー空間という「上空」で業界標準を握り、プラットフォームを仕切る米国が大量に発信しています。

一方、生身の人間が生活し、重さやエネルギーの流れが支配する、より「地上」に近い世界を見ると、一転して「悲観論」が多く存在します。エネルギー資源の限界、地球温暖化の懸念、環境問題の深刻化、所得格差の拡大と社会の分断、政治の不安定化、テロの頻発など解決が難しい課題は枚挙に暇がありません。自動車もAIやインターネットを駆使すれば、高性能な自動運転車が作れるかというと、クルマの設計はますます複雑化し、困難さが増しています。今は「上空」の楽観論と「地上」の悲観論が混在した「ややこしい」時代なのです。

従って一面的なものの見方だけでは戦略を間違える。複眼的な視点で世界を把握していく必要があります。IoT時代には日本の製造業は弱くなり、米国のICT企業がさらに強くなる、という一方的な見方は経営戦略の誤りを導くことになりかねません。

【安井】「インダストリー4.0」やIoTについて「Cyber Physical System」と呼ぶことがありますね。サイバー(情報空間)とモノの世界とが連携した世界になるということだと思います。もしもそうならば、どちらか一方がどちらかを支配してしまうとは私は考えにくいのではないかと思います。例えばeコマースではアマゾンは巨人で、サイバー盟主企業です。でも商品を客に届ける物流業者が人手不足で迅速に配れなくなると、たちまちビジネスが円滑に動かなくなります。ドローンで配ればいいではないか、という人もいますが、東京の空におびただしいドローンを飛ばすのは非現実的でしょう。双方が連携する限り、どちらかが一方的に勝利すると考えるのは早計ではないかと思います。

■グーグルは「上空」から「地上」に攻めてくるか

【藤本】「地上」と「上空」は競争的でも補完的でもあります。したがって「重さのある世界」がもつ課題と「重さのない世界」で発展するICT層の潜在力をいかに健全に結び付けていくかが21世紀の課題です。ところが米国では、インターネット、スマートフォン、情報サービスといった「重さのない世界」を席巻する盟主企業がいるためか、使う言葉がどうしてもインターネット寄りに偏りがちです。

IoTという概念も、文字通り「Internet of Things」というだけの意味だと、本質を誤解させかねません。たしかにさまざまな機械、デバイスにつけたセンサーを介して生活空間や工場、乗り物から大量のデータを収集し、高速処理して、現場現物の改善に役立たせることは産業現場の多くで最重要課題の一つです。でも、そうしたデータを送る先が常に「上空」のインターネットであるとは限らないでしょう。企業内のイントラネットにつなぐだけでよい場合もあるし、製造現場近くに置いたAIで集めたデータを処理した方が効率化することもある。私は今後の製造業の在り方の本質はIoTではなく、「IfT」(Information from Things)、つまり「現場から良い情報をとれ」ということだと考えています。また、やみくもにモノからデータをとっても仕方がありません。そもそもどこにセンサーを付け、何を検知するかの現場のセンスが大事であり、ビッグデータも「大量の良いデータ」でなければ意味はありません。

重さのある世界とない世界、サイバーと現場現物空間(フィジカル)、ICT層とFA(生産工程の自動化)をそれぞれバランスよくつなぎ、全体最適と全体進化を図るのが、21世紀の企業に求められる「デジタルものづくり」のあるべき姿です。

【安井】しかし「上空」のサイバーは米国系企業が支配しています。「地上」では日本の製造業は依然として競争力を持っていますが、徐々に「上空」から「地上」に攻めてくるという事態が起きそうです。日本勢はどういう戦略を立てればいいのでしょうか。

【藤本】今後、重要になるのが「低空」領域です。ICT企業が制空権を握っている「上空」と「地上」とのインターフェース層である「低空」の主導権争いが世界規模で展開されると予想しています。ここでは日本も欧米に負けずしっかり主導権を取ることが必要です。

■「日本は周回遅れ」というマスコミ言説は的外れ

【安井】グーグルやアップルに対抗して、「上空」にも攻め上がるという必要はありませんか。ドイツは米国に対抗して、「インダストリー4.0」を提唱し、日本は出遅れているとさんざん指摘されています。

【藤本】ドイツの「インダストリー4.0」は日本でやや誤解されていると思います。ドイツ政府や研究機関、大学の指導者の話を聞く限り、ドイツの狙いは、(1)米国勢に「上空」の制空権をほぼ握られていることを前提に、(2)ドイツの強大な輸出競争力(日本の2倍以上の輸出額)を支える「地上」の国内現場や中小・中堅企業が米国系ICT企業の下請けにならないように、(3)インターフェースとなる「低空」層に強大なファイアーウォール、いわば防空圏をつくることのようです。工場の完全自動化それ自体は彼らの当面のゴールではない。その意味でも、「ドイツの工場はすべてデジタル化され、日本は周回遅れ」という一部マスコミの言説は的外れです。

【安井】「低空」の戦いというのはどういうものでしょうか?

【藤本】この戦いの主役企業は「地上」の現場にも「上空」のICTにも関わっている企業で、米ロックウェルや三菱電機などは従来この領域で強かったのですが、いま存在感を増している大物は米国のGEとIBM、そしてドイツのシーメンスあたりでしょう。そこに日本勢がどう加わっていくかが課題です。GEやIBMが米国を軸にグローバルに攻めようとしているのに対し、ドイツは欧州プラス中国ぐらいまでは抑えたいという考え方でしょう。一方、日本勢はまだどう攻めるかという戦略を描き切れていません。日本の場合、「地上」には世界的にみても優良な現場が多いわけですから、「低空」における標準化等での主導権を米やドイツのみに握られる事態は避けたいとことでしょう。戦略的に構想するならば、日本の設備が多く入っている日本国内と東南アジアなどについては、日本から「低空」の標準化について提案し、仕掛けていく必要があるでしょう。三国志的な言い方をすれば、日米独の「天下三分の計」に持ち込むことを日本勢は念頭に置くべきだと思います。

【安井】たしかに「上空」の盟主企業であるグーグルやアップル、アマゾンというような会社が日本で近い将来生まれるかどうかは難しそうですね。そこを目指すというよりも、日本の強みを生かしつつ、「低空」にまで攻め込まれない手を打つべきだということですね。それなのに「IoT時代になるともうだめだ」と早合点するのは問題ですね。

【藤本】これは現場の問題ではありません。まさに経営の問題です。世界で起きていることを正確に把握し、自社の現場をよく知り、的確なアーキテクチャ戦略を立てる必要があります。「低空」の戦いでは一定の勢力を確保し、たとえば「天下三分の計」に持ち込み、「上空」のICT盟主企業に制空権を握られてもなお、「地上」でのものづくり能力構築の強みを生かし、強い補完財企業、端末企業、部品企業などとして活路を見出していくことは可能だと思いますし、実際にそうした日本企業の例は身近に存在すると思います。

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藤本 隆宏(ふじもと・たかひろ)
東京大学大学院経済学研究科教授。1955年生まれ。東京大学経済学部卒業。三菱総合研究所を経て、ハーバード大学ビジネススクール博士課程修了(D.B.A)。現在、東京大学大学院経済学研究科教授、東京大学ものづくり経営研究センター長。専攻は、技術管理論・生産管理論。著書に『現場から見上げる企業戦略論』(角川新書)などがある。
 

安井 孝之(やすい・たかゆき)
Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト。1957年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、東京工業大学大学院修了。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京経済部次長を経て、2005年編集委員。17年Gemba Lab株式会社を設立、フリー記者に。日本記者クラブ企画委員。著書に『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある。
 

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(東京大学大学院経済学研究科教授 藤本 隆宏、Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト 安井 孝之 写真=AP/アフロ)