ふくおか・もとひろ=1974年生まれ、東京都出身

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さまざまな分野で活躍する人物に密着取材し、その人の素顔や魅力に迫っていくドキュメンタリー「情熱大陸」(TBS系)で、2010年から5代目プロデューサーを務めてきた福岡元啓。1998 年に大阪の毎日放送に入社し、ラジオ局制作部、報道局を経て、2006年に東京支社へ。「情熱大陸」では生放送を行うなど、新たな試みにも取り組んできた福岡Pが番組に寄せてきた思いとは? 12月17日(日)に放送される「情熱大陸20年記念スペシャル」を区切りに、7年間務めてきたプロデューサーを離れることになった彼に、さまざまな話をうかがった。

「情熱大陸」のほか、「創刊!有吉ジャーナル ―」(2012年TBS系)、「青春☆美味しい交換留学 ―」(2016年TBS系)といった特番も多数手掛けた福岡元啓プロデューサー

■ 報道局時代は、取材対象との人間関係の築き方も勉強になりました

──福岡さんがテレビマンとして初めて携わった番組は?

「毎日放送に入社して最初に配属されたのが、ラジオ局の制作部だったんです。そこで、『MBSヤングタウン』という、局を代表する番組のスタッフを務めました。それから4年後、報道局に異動になって、報道記者として夕方のニュース番組の10分くらいの企画をやったのが、自分にとって初めてのテレビの仕事でした。それは、神戸で震災復興のライブを行っていたガガガSPというバンドを密着取材するというもので。報道に来たときに、デスクに企画書を20本くらい持っていったんですよ。今思えば、取るに足らない企画ばかりなんですが(笑)、いっぱい提案していく中で、今までの報道記者のポートフォリオにはないものがポンと出てきたんです。そうやって少しずつ自分の色が出てきたというか。従来の報道のジャンルにはない領域で勝負していった感じですね」

──元々「人とは違うことをやりたい」という意識は強かったんでしょうか?

「確かに、そういう意識はありましたね。そもそも、人と同じことをやっても勝てない、というのが前提としてあって。みんなと違うところだったら、自信を持って戦えるかなと」

──報道局時代に学んだことは?

「精神的な部分で勉強になったことは大きかったと思います。何か不測のトラブルがあったときとか、言いがかりを付けられたときとか(笑)、そういう局面で、どうやって自分の正義を主張していくのか、その立ち居振る舞いの仕方を学んだというか。また、報道の取材というのは、内通者に話を聞くことも多いわけですが、そのときにいちばん大事なのは信頼関係なんですね。そういった取材対象との人間関係の築き方も、すごく勉強になりましたね。あと、身に堪えたのは、警察関係者から情報を得るための夜回り(自宅を訪問すること)。夜の8時から深夜2時くらいまで立ちっぱなしで、帰宅するのを待つんですけど、結局空振りで終わる、なんてことがザラにありましたから。そういうときの月夜の住宅街の景色は今でも忘れられません(笑)」

──その後、2006年に東京支社に異動となってバラエティー番組を手掛けることになりますが、ターニングポイントになったお仕事はありますか?

「東京へ来て初めてついた番組が『ランキンの楽園(パラダイス)』(2006〜2008年)という番組で、ディレクターが突撃取材をするという内容だったんですね。その中で、僕がどれだけ猛獣に近付けるかっていう体当たり企画があって(笑)。放し飼いの虎の横に寝転んだり、放し飼いのワニがうじゃうじゃいるところに檻に入った状態で下ろされたり、今で言うイモトアヤコさんみたいなことをやってました。報道でも“突撃取材”はやってましたけど、猛獣のロケは、何だか一皮むけた感じでしたね(笑)。

あとは、『ビートたけしのガチバトル』(2010年ほか)という番組で、ビートたけしさんとご一緒できたときは感動しました。やはりテレビで働いている者にとって、たけしさんの存在ってすごくて、誰もが一度はお手合わせしたいと思うタレントさんですからね。打ち合わせをしているときも、震えるような感覚がありました」

■ 「基本を押さえながら、基本じゃないことをやる」ということを意識しました

──そして、2010年からは「情熱大陸」のプロデューサーを務めることになりますが。

「『情熱大陸』の話は何の前触れもなく来ました(笑)。番組もスタートか12、13年経っていて、内容的な部分でも、時代に合わせて少し活性化を図ろうという時期だったので、漠然とではありますけど、いろんなことをやっていかないといけないなと思ったのを覚えています」

──「情熱大陸」といえば、葉加瀬太郎さんのテーマ曲、窪田等さんのナレーションは番組のスタイルとして確立していますが、そういった部分も変えようと?

「着任した当時、周囲から『何をやってもいい』と、それこそ『ナレーターやテーマ曲を変えてもいいんだよ』といった声もあったんですが、僕は、枠組みはなくしちゃいけないと思ったんですよね。『情熱大陸』にとって、窪田さんのナレーションと葉加瀬さんのテーマ曲というのは、番組の大事な“フレーム”。そのフレームを取っ払ってしまうと、今まで積み上げてきたものがなくなってしまう。別の番組になってしまうんです。だから、そのフレームをしっかりと守った上で初めて“何をやってもいい”ということが許される番組だと思うんですよ。ただ逆に、フレームに合ったことだけをやっていると、視聴者に飽きられてしまう、というジレンマもある。ですから『基本を押さえながら、基本じゃないことをやる』ということを意識しました。

そんな考えのもと、この7年間で実験的な企画を年に1、2本やってきたんですが、やはり番組の中に生放送のパートを入れたのは大きかったと思いますね。今までのドキュメンタリーにはなかった試みなので、最初は否定的な意見もありましたが、いざやってみると、『生放送、いいじゃない!』という声が大勢を占めるようになって(笑)。ドキュメンタリーの新しい領域の開拓という意味で、番組の重要なターニングポイントになったのではないかと自負しています」

──その生放送を初めて取り入れた「石巻日日新聞」の回(2011年9月11日放送)と、フリーアナウンサーの小島慶子さんに密着した回(2011年4月3日放送)は、特に大きな反響を呼びました。

「2011年というのは、東日本大震災という未曾有の事態が起きた後、日本全体が“試されていた”時期だったような気がするんですよ。僕らテレビの作り手たちも皆、今どういう番組を世の中に発信できるのかを試されていたと思うんです。そんな中で、僕は『情熱大陸』という番組において、石巻日日新聞と小島慶子さんを紹介することができたのはベストな選択だったと思っています。特に石巻日日新聞は、通常の『情熱大陸』であれば、法人の新聞社を取り上げるということはありえないんですね。それを敢えて取り上げさせていただくことができて、かつ、生中継という演出を入れることもできた。葉加瀬太郎さんにも生演奏という形でご協力いただいて、“今、日本人は何を感じるべきなのか”ということを、ひとつのメッセージとして提示できたことは、とてもよかったと思っています」

■ 「情熱大陸20年記念スペシャル」は僕自身の7年間の集大成にもしたい

──芸能界では、「情熱大陸」の取材を受けることが売れっ子の証、と考えている方も多いと思うんですが(笑)、人選に関しては、基準などはあるのでしょうか?

「“今輝いている人”を選ぶのはもちろんですが、それが絶対条件ではありません。時代とのタイミングもありますね。つまり、時代のメッセージを、その人を通じて発信できるかどうか。そこはすごく考えます。“輝いている人”というのも、言葉通りに、万人が認めるような完璧な輝き方をしている人だけでなく、世の中にはこんな輝きを放っている人もいるんだ、という打ち出し方もありますし。例えるなら、最も効率よく輝きが出るように計算してカットされているダイヤモンドも、違う切り方をしたって、また別の素敵な輝き方をすることもあるんじゃないか、という(笑)。そういう意欲的な回が、思わぬ反響をいただくと、僕らスタッフとしては非常にうれしいですね。今年ご紹介したテキスタル・デザイナーの森本喜久男さん(2017年4月9日放送)は、まさにそういう感じで、本当にたくさんの反響をいただいたんですよ。放送から3ヵ月後にお亡くなりになってしまったんですが、生前の姿をご紹介できて本当によかったなと思いますね」

──その「情熱大陸」が2018年の春に放送20年を迎えます。12月17日(日)には、20年記念スペシャルが放送されますね。

「プロデューサーとして着任して初めて僕が通した企画が、プラントハンターの西畠清順さんの回なんですが、今回のスペシャルは、その西畠さんが世界一大きなクリスマスツリーを立てるイベントを企画している、という話を聞いたのが始まりなんですよ。あすなろの木を使ったツリーということで、“明日も頑張ろう”という番組のメッセージとも合っていますし、番組の顔である葉加瀬太郎さんも放送当日、オープニング曲とエンディング曲を生演奏してくださることも決まって。『情熱大陸』の20年を記念するにふさわしい放送になるんじゃないかと思いますし、僕自身にとっても、これまでプロデューサーを務めてきた7年間の集大成にもしたいなと。西畠さんで始まり、西畠さんで終わるという、幸福な締め括り方ができてうれしいですね」

――福岡さんは、このスペシャルを機に番組を離れ、新規事業の立ち上げに携わるということですが、これからの「情熱大陸」を担うスタッフの方々に、どんなことを期待しますか?

「報道局の時代に同じ釜の飯を食った後輩が次のプロデューサーをやってくれるんですが、僕が作ってきたのとは違う、新しい視点を持った『情熱大陸』を作っていってほしいと思います。まずは、2020年の東京オリンピックを意識した企画をやってほしいですね。やはり日本中が熱狂するであろう一大イベントですから、そこにどうアプローチするかというのは、スタッフの腕の見せどころだと思うんですよ。もちろん僕もこれからは、『情熱大陸』で培った経験をもとに、新規事業の立ち上げに向けてステップアップしていきたいと思っています」(ザテレビジョン)