流される浮き名に、すっかり疲れた和泉式部が「こもってみた」石山寺(写真:カメラ大好き / PIXTA)

もう恋なんて、金輪際ごめんだ。目を閉じると思い浮かぶ、脳裏に焼き付いた後ろ姿。しっかりと記憶に刻まれる言葉の数々。心がズタズタに傷つき、もう二度と修復できないかもしれないと心配になることだってある――。

多かれ少なかれ、誰もがそれぞれのドラマを抱えている。そうはいっても、ドロドロ路線を突き進み、昼ドラ並みの壮絶な人生をまっとうするというのは、凡人にはそう簡単にできることではない。

ドラマクイーンの草分け的存在


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平安時代はいわゆる女流日記文学が盛んに創出され、そこには、奔放に、そしてドラマチックに愛を生きた女性たちの姿がありありとつづられている。その中でも和泉式部ほど欲望の道をとことん極めた人は珍しい。危険な情事のパイオニア、ドラマクイーンの草分け的存在と言っても過言ではない、感情の激しさはこの有名な歌人のトレードマークだ。

藤原道長に「浮かれ女の扇」と落書きをされたとき、「アンタ、私の夫でも恋人でもないクセに……」というような意味合いの歌をその場ですらすらと書いて突っ返し、何事もなかったかのように立ち去った、という言い伝えもある。相手は時の権力者であり、雇い主でもあるので、そこまでダイレクトに反抗するにはなかなか勇気がいる。そのエピソードからも和泉ちゃんの大胆な性格がうかがえる。

しかし、桃色事情に関してかなりおおらかだった時代にもかかわらず、おとがめを受け、成敗されていたことから推測すると、彼女はただの恋多き女の次元を超えていたことは確かだ。では、和泉ちゃんの華やかな男遍歴はどのようなものだったのだろうか。

最初の結婚相手は橘道貞。「和泉式部」という女房名は、夫が赴任した和泉国と父の官名を合わせたものである。普通ならこの辺りで恋愛市場を卒業して、習い事ざんまいのマダム生活を楽しむはずだが、和泉ちゃんの恋愛伝説はここから派手やかにスタート。どちらかが不倫したせいか、早くも夫婦仲が冷めてしまい、いつの間に自然消滅状態。

そこで新しい彼氏ができるというところまではいいが、そのお相手は何と!冷泉院の第三皇子である為尊親王というチャラ男だった。受領(ずりょう)の娘、バツイチで子持ちだった和泉ちゃんとしては身の丈に合っていない人を好きになってしまったのだ。

そのうわさで宮廷がにぎわい、和泉ちゃんは勘当までされてしまう。さらに、疫病の大流行で、道路に死体が転がっているような平安京での夜遊びがたたり、為尊親王は26歳という若さで帰らぬ人となる。大好きな人を失い、泣き伏せる日々。ところが、もう立ち直れないと思ったそのとき、突然情熱の嵐が再びやってくる。だって恋しちゃう、女の子だもん。

美人で和歌の達人として有名な和泉ちゃんの周りには、つねに求婚者がうようよしていたのだが、彼女がそこらの中納言や大納言で我慢できるわけない。次の恋人に選んだのは帥宮敦道(そちのみや あつみち)敦道親王……そう、死んだ恋人の実の弟だった!

春の目覚めは恋の目覚め

平安時代の不倫マニュアルこと『和泉式部日記』には、宮廷をびっくり仰天させたそのスキャンダラスなアバンチュールがつぶさに語られている。日記に記されているのは、10カ月ほどの間に起こった出来事なのだが、期間が短い分、密度が何とも濃い。冒頭はこんな感じ。

夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日(うづきじふよひ)にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。
【イザ流圧倒的意訳】
夢よりも儚いこの世の中――大好きな彼はそばにいないなんて嫌!と嘆きながらなんとか生きているうちに、四月十日過ぎになってしまったわ。木々が生い茂り、木の下に広がる影が少しずつ暗さを増していく。

恋人を失って以来、時間が止まったかのようで、心の季節はいつだって真冬。しかし、周りの自然が少しずつ春に目覚めていく。ちょうどそのときに、帥宮の初めての便りが届く……。運命の時計の針が動き出してゆく瞬間がはっきりととらえられている。

当初、2人の共通の話題は為尊親王の思い出話なのだが、弟くんは早くも攻めモードに切り替え、ナンパ全開のやり取りになる。それに対してまんざらでもない和泉ちゃん。そして月がきれいな夜、ついに帥宮がいきなり女性の家を訪ねる……。

〔…〕世の人の言へばにやあらむ、なべての御様にはあらずなまめかし。これも、心づかひせられて、ものなど聞ゆるほどに、月さし出でぬ。
【イザ流圧倒的意訳】
〔…〕前から聞いていたからなのか、めっちゃハンサム! こっちもドキッとしちゃって、緊張しながら話をする。そうこうしているうちに月が昇って、光が差し込んできた。

帥宮……来ちゃった。評判のとおり、カッコイイ! 美しい景色を堪能しながら、2人はいろいろな話をして、少しずつ距離を縮めていく。そこで宮がだんだん焦りだし、入らせてよ!と積極的になる。女性は少し抵抗を見せているものの、並外れた優美な様子を見て心の堰(せき)に穴が開いた。今までずっと寂しかった和泉ちゃんが自分に言い訳しつつも心の扉を開けていく。

「かろがろしき御歩きすべき身にてもあらず。なさけなきやうにはおぼすとも、まことにものおそろしきまでこそおぼゆれ」とて、やをらすべり入りたまひぬ。
【イザ流圧倒的意訳】
「俺はそう簡単に外出できる身分ではない。もう自分でどうかしている、と怖くなるぐらいあなたのことが好きで好きたまらないんだ」と言って、そっと御簾(みす)の内側に滑り込んだ。

晴れて恋人同士になったものの…

……ついに2人は契りを交わすのだ。しかし、結ばれたからといって、めでたし、めでたしというわけにはいかない。早速恋人たちの間に、高くて厚い壁が立ちはだかる。それは戦争でも伝染病でもなく、地震でも台風でもないが、ある意味そうした災害よりおそろしいものだ。それはずばり、浮き名だ。

平安時代の貴族は暇なうえに、うわさ話が大好きで、特に恋バナで大変盛り上がっていた。身分違い! 禁断の恋!となるとなおさらだ。陰口をたたかれたら最後、身の潔白を証明するのは至難の業。何せどこかの部屋から琴の音が漏れただけで、「あそこに絶世の美女がいる!!!」といううわさが流れて誰も疑わなかった時代なんだもの。

おそろしい浮き名のせいで、2人はくっついたり離れたり、男は疑い、女はむっとして、女はすねて男は燃え上がり……かなりじれったい恋のダンスが展開される。『和泉式部日記』の中に記録されている歌のやり取りが、そのじれったさを表している。その数はなんと100首以上にも上るのだ。

この不安定な状態に疲れ果てて、ついに和泉ちゃんは出家すると言い出して石山寺というところにこもる。そうはいっても、浮き世を捨てる気はさらさらないという感じで、朝から晩まで彼のことばかりを考える。当然のごとく、つかの間の寺ごもりにあっけなく終止符を打つ。

山を出でて冥き途にぞたどりこし今ひとたびのあふことにより
【イザ流圧倒的意訳】
山を出て、真っ暗な世の中に戻ってきました。あなたに、ただあなたにもう一度逢うためだけに……

仏様のいる明るい山を出ていって、恋を選んだ和泉ちゃんはもう破滅の道を歩んでいく覚悟を決めている。ここから2人の仲はもっと深まり、行動がさらに大胆になる。女性が外出することがめったになかった時代に、男性と2人で牛車(ぎっしゃ)に乗り回ったり、外でお泊まりしたり、彼の家に上がったり、髪の毛はぼさぼさ、着物がしわしわの朝帰りをしたり……空前絶後のことであろう。

アバンチュールの時間はハラハラドキドキで楽しくもあるが、帥宮はずっと遊んでいられるような身分ではない。そこでまさかの提案。うちに来ないか、と。しかし、それは決してプロポーズではない。まず、権力もあって、ものすごくカッコよくて、和歌のセンスも抜群というような優良物件が独身なわけがない。それに、和泉ちゃんはただの受領の娘なので、例え第2婦人としても、帥宮との結婚は絶対に許されない。

「うちに来る?」というのはすなわち

「うちに来る?」というのは、つまり愛人兼召使いとしてということだ。毎日帥宮と時間を過ごせる半面、自分のプライドを捨てなければならない。当然、女心はかなり揺れる。だが、恋にすべて委ねることに決意する。これで一件落着かと思ったら、今度は帥宮が出家すると言い出すではないか! ここまで来たのにぃ……と現代人読者ががっかり。しかし、帥宮の出家宣言も一種のパフォーマンスにすぎない。

案の定、出家のことなんぞすぐにあきらめて、和泉ちゃんを家に迎えることに。運命の日は、12月18日。一緒に住み始めたら、面倒な移動をしなくても済むし、とがめる人もいない。まるでパラダイスにいるかのように2人はただ愛し合って、語り合って、幸せな時間をたっぷりと味わう。だが、それを面白く思わない人がいる。帥宮の正妻こと、北の方だ。

「しかじかのことあなるは、などかのたまはせぬ。制しきこゆべきにもあらず、いとかう、身の人気なく人笑はれに恥かしかるべきこと」と泣く泣く聞え給へば、「人使はむからに、御おぼえのなかるべきことかは。御気色あしきにしたがひて、中将などがにくげに思ひたるむつかしさに、頭などもけづらせむとて、よびたるなり。こなたなどにも召し使はせ給へかし」など聞え給へば、いと心づきなくおぼせど、ものものたまはず。
【イザ流圧倒的意訳】
「女を連れてきたそうですが、何故私に一言も言ってくださらないの? 別に妻の私はどうこう言えるわけではないですが……あまりにも侮辱的な扱い、周りの人はみんな私を笑いものにしているのよ。もう恥ずかしくって……」と北の方が泣く泣く話している。それに対して宮「新しい召使を雇うにはあなたの許可なんかいらないでしょ。あなたは機嫌が悪いので、こっちの侍女が俺を嫌っていることだし。髪をセットしてもらおうと彼女を呼んだんだ。こっちでも使えばいいんじゃないの」というのであった。

何その言い方!? 帥宮、ひどくないか? 和泉ちゃんかわいそうだし、正妻も気の毒。北の方の姉は皇太子の妻で、妹がこのような扱いを受けていると知り、家を出ちゃいなさい!と妹を説得する。やがて北の方は耐えかねて、家出を決意。そこで、華々しくフィナーレ。

宮、入らせ給へば、さりげなくておはす。「まことにや、女御殿へわたらせ給ふと聞くは。など車のことものたまはぬ」と聞え給へば、「なにか、あれよりとてありつれば」とて、ものものたまはず。
【イザ流圧倒的意訳】
宮が部屋に入ると、北の方は何事もないような様子だった。「お姉さんのところに行くと聞いたけど、それって本当なの? 言ってくれれば車を用意したのに」と話し、北の方は「あちらからお迎えが来たので」とだけ答えて、それ以上一言もしゃべらなかった。

ひぃーっ! この臨場感あふれるシーンで『和泉式部日記』が突然幕を下ろす。別居寸前の夫婦が目の前にいるかのような感じだが、よく考えてみると、和泉ちゃんがなぜそんなことを知っているのか。まさか障子のすき間からのぞいていたわけではあるまい。

そうなると、可能性が2つある。1つは帥宮から話を全部聞いた(男最低!)。そうじゃなければ、和泉ちゃんが顚末を自ら創作したということになる。

和泉ちゃんが最後に会いたかったのは

『和泉式部日記』は、「日記」と呼ばれているが、もともとは『和泉式部物語』と呼ばれていたようだ。三人称で書かれており、主人公は名前がわからないとある女という設定になっているというのはそのゆえんだが、これはまぎれもなく、和泉ちゃん自作自演の不倫物語だ。

恋愛は勝ち負けなんてないとよく言われているけれど、この作品を読むと、和泉ちゃんが勝利を収め、北の方はぼろ負けという結果を認めなければならない。その一部始終を文章化することによって、愛人の勝利は1000年経った今も色あせない迫力がある。北の方の身にもなってみてくださいよ……。

読者の共感を得るため、主人公はいろいろな試練を乗り越えながら、一途な思いに生きる控えめな女性として描かれている。しかしその中で、まれではあるが表面化する女の積極性というものも看過できない。

たとえば、5月5日の頃、川の水が増したということで、宮は女に歌を送る。当時の常識のとおり、女はそれに対して返歌を送るのだが、紙の端に「かひなくなむ」、つまり「言葉だけじゃ足りないよ、あなたが欲しい!」とそっと書き添える。女性が薄暗い家の中で男性が忍び込んでくるのを待つことしかできなかった時代にあって、その積極的な働きかけは珍しい。和泉式部が伝説となったゆえんは、恋人の数でも、禁断な恋でもなく、その大胆さにあるのではないだろうか。

恋多き女だった和泉式部の晩年についてほとんどわかっていないが、百人一首にこの歌がある。

あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな

自分はもう長くないとわかり、「あの世への思い出に、あなたにもう一度だけ逢いたい」と歌っている。モテモテだった彼女は最後に逢いたかったのは誰だったのだろうか? 遊び人の為尊親王なのか? それとも帥宮敦道親王? または数々の愛人の1人だろうか。

「愛こそ人生」をモットーに生きた和泉式部が、最後にもう一度逢いたかったのは「新しい恋」なのではないかと思う。あの美しくて切ない気持ち、夜眠れない緊張感、胸が締め付けられるほど好きという感情をきっともう一度味わいたかったのではないだろうか。どんな長くて寒い冬でも、その先には必ず新しい春がめぐってくるものだから。