アサヒグループホールディングス 社長 小路明善

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■「声なき声」を聴き留めたい

会社の発展に期待し、夢を抱く社員に、それぞれの能力と努力で成果を出せる仕事を提供する。言い換えれば、1人1人の力を最大限に引き出し、戦力としていく。それこそが人事の基本、もっと言えば経営の要諦だ。だが、とかく人事には上司らの恣意が入り、個々の意欲は届かない。それでは、戦力の最大化は難しい。もっと、1人1人の「声なき声」を聴き留めた人事制度に、していきたい。

人事部門で5年目になった2000年春、人事制度改革の一環に「コンピテンシー診断」を導入する。若手にいろいろ調べさせ、出てきた案から選んだ。先進的な外資系企業が使っていた手法で、小路流に仕立て直した。

概略は、こうだ。成果を上げた人の事例を社内外から集め、朝早く出て誰よりも先に仕事の手配を進めたなど、成功要因を分析し、列記する。一方で、支店長や課長などの職務に求められる要素を、分類しておく。社員たちは、社内ネットで双方の内容をみて、自分の足らざるところを診断し、職位が昇格するには何を強化しなくてはならないかを、自ら考える。

そこに、財務の理解を深める、あるいは提案力を高めるなど、研修テーマを15種類ほど用意しておき、それぞれが自力の強化に受けたいものを申し込む。研修は仕事の時間外に設け、報告書は上司経由で提出させる。

社員研修は、大半の企業で「入社10年研修」といった年次別や、「新任課長研修」など階層別が中心だ。それでは平均的な底上げにはなっても、個々のニーズには応じきれない。だから、年次別や階層別を組み替えて、テーマ別の選択研修に一新した。48歳、人事戦略部長に就いたときだった。

半年後の異動から活用した。人事部門は、自己診断の結果と選んだ研修テーマや報告書から、個々の意欲と成長を量る。そこに、恣意は入り込めない。一連のデータから、対象者の異動希望先と受け入れ側の考えとの照合が、透明性を伴って進む。異動期を迎えると人事課長が1週間、1人で個室に籠って異動案をつくる光景は、消えた。「論理的、科学的な仕組みだ」と、社内を説いた。

87年に発売した「スーパードライ」が大ヒットし、98年には国内の年間シェアで45年ぶりに首位に立った。なぜ、そんな頂点で、人事制度の改革に打ち込んだのか。人口減少時代が視野に入り、将来が不透明になった。一方で、バブル期に大量採用した面々が、30代後半から40代になっていた。この集団を将来の主戦力にするには、どう能力を引き出し、道を拓くかが課題だ、と確信していた。

改革は、初期から成果が出た。国際化の最重要市場と位置付けた中国への進出に、必要な人材の発見だ。アサヒは94年に杭州などのビール3社に資本参加し、技術供与と商標などの使用を認めるライセンス契約を結び、中国市場に参入した。さらに総合商社と組み、北京と煙台のビール会社の経営権を取得。97年には中国最大のビール会社と合弁会社をつくり、深セン地域で工場建設に着手。切り札の「スーパードライ」を生産し、参入を本格化させた。

ただ、事業の拡大に、派遣する人材が追いつかない。生産の要員だけでなく、総務や経理を受け持つ幹部も要るし、営業拠点にも監督者が欠かせない。だが、社員のほとんどが中国へいったこともなく、言葉もわからない。

そこで、中国の工場のデータを豊富に集めて分析し、「こういう要件に合った人材がいい」とのコンピテンシー診断をつくり、社員のデータを次々にかけてみた。すると、適任者の名が何人も出た。その上位者から5人までは、普通に考えたら、とても中国の駐在要員には出てこない顔ぶれだ。

診断で監督者に「最適」とされた人は、高校卒で入社し、30年近く工場などで経理や業務の仕事をしていた。海外経験はなく、中国語は話せない。電話をかけて、「実はこういうことで、あなたを中国駐在に考えているのだが」と話すと、驚いて「ちょっと待って下さい。1週間、考えさせてほしい」との答えが返ってきた。

1週間後、「やはり無理かな」と思いながら電話をしたら、「いかせていただきます」と言ってくれた。01年5月に48歳で杭州の工場へ赴任し、併設した事務所で経理や業務などの管理を担当した。その後で妻もいき、杭州と北京、上海で計10年、駐在した。もちろん、この人の力だけで中国での販売が伸びたわけではない。ただ、アサヒの存在感が高まったことに貢献したのは、間違いない。同様の事例はほかにもある。やはり、社員1人1人に光を当て、普段は「声にはならない声」を、聴き取る仕組みが物を言った。

■「社員は会社の命である」

28歳のときから約10年、労組の専従役員を務めたときの体験が、改革の基盤にあった。国内シェアが激減し、「夕日ビール」と揶揄されていた時代の81年11月、会社は経費削減に540人の希望退職を募った。経営の厳しさを知っていた組合は提案を受け入れ、会社による説得とは別に、役員が手分けをして退職を勧めに回る。自分も、ある工場の50歳近い先輩に会い、事情を説明した。

その先輩に言われたのが「会社が割り増し退職金でと声をかけてきたので、私は去っていくが、声の大きい人の話を聴くだけではなく、声なき声、真面目にコツコツと仕事をしてきたのに辞めていく人たちの声を聴くことも、してくれよ」との言葉だ。胸に応え、いまなお、胸に重く残っている。

社員1人1人の働く意欲と暮らしを守れなくて、何が経営か。そんな強い思いが、2011年7月に持ち株会社傘下のアサヒビールの社長になった際、社員たちに語った抱負に出た。「社員は会社の命である」。ちょっと尊大な気もしたが、希望退職に応じて去った先輩の言葉への、答えだった。

「聞不言之言」(不言の言を聞く)──口には出ない言葉、声なき声を聞くとの意味だ。中国の古典『荘子』にある言葉で、リーダーとしての心得を説く。人事改革にコンピテンシー診断を活用し、「声に出てこない声」を受け止めた小路流は、この教えに通じる。

2016年3月、持ち株会社のアサヒグループホールディングスの社長に就任、課題に事業の国際化の推進を挙げた。人口減の国内は、酒類の消費が減少する。非アルコール飲料や食品など需要の強い分野の強化は当然だが、「会社の命」と明言した社員たちの未来を築くには、国際化は進めたい。

今春、ベルギーのビール会社から、東欧5カ国の製造会社や販売会社を8社、買収した。目玉は、チェコの「ピルスナーウルケル」ブランドで、同国で48%のシェアを持つ。日本のビールの原点と言える会社で、先輩たちも自分も、そんな会社のオーナーになるとは夢にも思わなかった。9000億円近い投資の決断には、そこから新たな世界を切り拓きたい、との思いがある。だからこそ、厳しかった買収競争を、凌ぎ切る。

嗜好が多様化、高級化した日本の消費者に、来年は「ピルスナーウルケル」を届けたい。一方で、アサヒの看板「スーパードライ」を、東欧の人々に味わってもらう。「声なき声」は、国内外の消費者からも、発信されている。「聞不言之言」も、国際化していく。

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アサヒグループホールディングス 社長 小路明善(こうじ・あきよし)
1951年、長野県生まれ。75年青山学院大学法学部卒業後、朝日麦酒(現・アサヒビール)入社。東京支社特約店営業部長を経て、2001年執行役員、03年アサヒ飲料常務、07年アサヒビール常務、11年アサヒグループホールディングス取締役兼アサヒビール社長。16年3月より現職。

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(アサヒグループホールディングス 社長 小路 明善 書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)