豊田巧氏の小説のゲラは編集者の指摘出しでいっぱい(筆者撮影)

オフィスの本棚には1巻の抜けもない時刻表、ダイヤグラム、機関車部品表、発動機取扱書……。右を見ても鉄道、左を見ても鉄道。鉄道ファンにとっては夢のように思えるこの部屋こそが、豊田巧の本格派鉄道ミステリシリーズ『警視庁鉄道捜査班』の舞台なのである。そこは「警視庁 捜査一課 特殊犯捜査第四係 警視庁鉄道捜査班」通称「テッパン(鉄班)」、鉄道内での特殊犯捜査を専門とする部署なのだ。

児童向け小説『電車で行こう!』そして、中・高生を中心としたライトノベル『RAIL WARS! -日本國有鉄道公安隊-』を上梓してきた豊田巧が挑戦した、初の本格派ミステリ『鉄血の警視 警視庁鉄道捜査班』、そして10月に発売された第2作となる『鉄路の牢獄 警視庁鉄道捜査班』のタイトルとなっているチームが、このテッパンである。

きっかけは「乗りテツ」旅行

豊田を『警視庁鉄道捜査班』という本格派ミステリの世界に導いてくれたのは、講談社文芸第三出版部の岡本淳史である。

自身も鉄道に造詣が深い岡本が、豊田に初めてアプローチしたのは、今の部署ではなく『小説現代』の編集者時代だったと言う。『電車で行こう!』を読み、そこに対象年齢を飛び越えて大人の鉄道DNAをもワクワクさせる力を見出した岡本は豊田と仕事がしてみたい、と強く願う。

しかし『小説現代』という媒体では、当時児童向け小説やライトノベルで活躍していた豊田に小説を発注するのは難しい。そこで岡本は考えた。「『小説現代』で鉄道特集を行う際に、豊田先生の取材旅行を、逆に取材させてもらうという企画なら成立するのではないか」。

はたして2015年に刊行された『小説現代』6月号でそれは実現された。その名も「鉄道小説家がゆく 北陸新幹線に乗らぬ旅」。当時、開業で盛り上がっていた北陸新幹線にあえて乗らず、第三セクター鉄道と名物私鉄で北陸を取材する「乗りテツ旅行」である。

旅行とはいえ、鉄道作家の取材だけに旅が始まった直後から終わるまで「いつ何時ここが『殺人』の舞台になるかわからない」「トリックに使える」、そんなことを考えながら、車両の中もAEDや公衆電話の位置、トイレの形状に至るまで確認し、路線ごとの特徴、見どころを発見していく豊田の様子は、本人いわく「鉄道公安隊の鑑識のよう」。その挙動はもし現代に鉄道公安隊が存在したら職質を受けるのではないかと心配になるほどだったという。


豊田巧氏(左)と編集者の岡本淳史氏(右)(筆者撮影)

そんな楽しい鉄道取材旅行を経て、意気投合した豊田と岡本が『警視庁鉄道捜査班』のためにタッグを組むことになったのは、岡本が講談社文芸第三出版部、講談社ノベルスを発行する部署に異動したときである。

喜び勇んだのは岡本だけではない。豊田も同じだ。西村京太郎先生に憧れて入った鉄道小説の世界である。初めての本格派鉄道ミステリを鉄道に詳しいプロフェッショナルな編集者と一緒に作れる。こんなにありがたいことはない。

しかし書き始めてみると、それまで書いていた児童小説やライトノベルとは全く違う難しさがあることを知った。『電車で行こう!』や『RAIL WARS!』執筆時には、豊田の目の前にアニメーションが流れるかのように登場人物が現れ事件が起こり、彼らが自らの力で解決してくれる、それを書き留めていけば物語になった。

豊田の売りはアニメを見ているようなスムーズな流れのストーリーにある。心くすぐられるエンターテインメント性、臨場感あふれるアクションに引き込まれて、いつのまにか事件の謎を解いていくという軽やかさ。これを鉄道ノベルスの世界に持ってきたら新風を起こすに違いない。

年配の人にも読んでもらう工夫

「しかし」と岡本は笑いながら言う。「豊田先生がグッと勢いに乗って書いていらっしゃるせいか、どうしても文章がガサツになってしまうんですよね」。

豊田も笑いながら返す。「本当に原稿が真っ赤になって返ってくるから、修正部分に赤ペンで『OK』って書くのが面倒になってハンコを買っちゃったよ」。

確かに見せてもらうと、めげてしまいそうな原稿の赤入れである。

「ミステリ小説ファンは年配の読者が多いので、文章がいやだなと思うと、どんなに面白くても先を読まずに本を閉じちゃう人が多いのでもったいないんですよ」という愛ある岡本の赤入れに、豊田は感謝していると言う。

「岡本さんの目は本格派ミステリ小説ファンの目。この厳しいチェックを超えてこそ、正統派にも耐えうる文章力を手に入れられるものと思っています」

豊田と岡本には共通の思いがある。小学生のときには『電車で行こう!』、中・高校生のときには『RAIL WARS!』という豊田の鉄道小説を読みながら大人になった読者に、いつか『警視庁鉄道捜査班』を読んでほしい。

豊田は本格派鉄道ミステリを書くにあたって、必ず抱くようにしているテーマがあると言う。それは、これから先の未来に起こりうる事件、将来発生してしまうかもしれない事故の抑止力になりたいという強い意志だ。だから豊田の小説は、海外のように鉄道がテロのターゲットになりうることを示唆しているし、犯人の痕跡を現代のテクノロジーで追跡もしている。


警視庁鉄道捜査班シリーズは2冊発売中(筆者撮影)

擬音を多用する表現力の華やかさ、ついのめりこんでしまう緊迫感あふれるストーリーに一見だまされてしまうが、その意志を軸に持った内容は意外にも古典的な社会派ミステリである。そんな骨太の思いを抱き、現在起こりうるハイテク犯罪、スマホ、SNS、パソコンによる解析、鉄道会社のネットワーク化等をちりばめ、現代版『新幹線大爆破』を目指していると言う。

『新幹線大爆破』とは1975年に公開された日本映画。新幹線の走行速度が時速80kmを下回ると爆発すると国鉄を脅迫し、死者を出すことなく大金を得ようとする犯人と国との戦いを描いた犯罪映画である。

2〜3時間だけ楽しんでもらえれば十分

『警視庁鉄道捜査班』シリーズを書くに当たって豊田はいくつものプロットを作る。初めての本格派ミステリである。いつも何度かダメ出しをくらうことになる。「そこで豊田先生のすごいところは、初期のアイデアを手直しして戻してくるということがなく、全く違う新しい案がいくつも出てくることなんです」と岡本はうれしそうに言う。

鉄道ミステリの大御所・西村京太郎は鉄道長編ミステリを書くにあたり、「新幹線内で東京駅から読み始めて、新大阪駅で読み終わる分量」を意識しているという。豊田もまた同じようなことを口にする。「読者には2時間から3時間、本を楽しんでもらえたらいい」と、そして、「『こんな事件が起こるかもしれないかも』と頭のどこかにほんの少しでいいから留意してもらって、その数時間が楽しければ、ストーリーなんて忘れてもらってかまわない」と……。

しかし、豊田の鉄道ミステリは、数時間の楽しみでは終わらない。子供向け、中高生向けにも鉄道小説が書かれている。何年かあとに年若い読者が『警視庁鉄道捜査班』シリーズに手をのばす可能性もある。だから、今はまだ漢字が読めないかもしれない、将来の鉄道ノベルスファンのためにそっと本棚にしまっておくのも手ではないかと思うのだ。(敬称略)