日馬富士は11月29日に引退会見を行った(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

人生相談室で人気のミセス・パンプキン。日々、報じられている日馬富士暴力問題で優勢になっている「モンゴル人力士批判、貴乃花親方擁護」の流れに、あえて異論を提示します。

相撲ファンであり、特に貴乃花と日馬富士が大好きだった私としてはとても胸の痛い事件が起こりました。暴力はいけないのは当然です。しかし、そこに理事会や親方間の"政治的確執"に、強いモンゴル力士への屈折した不満が加わり、当事者である日馬富士、貴ノ岩、そして相撲ファンを置き去りにした場外バトルに突入しています。

貴乃花親方には誠実な対応を、日馬富士関には第二の人生での活躍を、そして無責任な芸能人や評論家が黙ってくれることを願ってやみません。

日馬富士の引退会見にみる誠実な人間性

「私は、相撲を愛しています。大好きです。相撲道というのは、人として、相撲を通じて、国民の皆様に感動と勇気(を感じてもらう事)。(私は)親方、おかみさんから学びながら、相撲を通じて社会に何かできる事をやろうと(努力し)、できるだけのことをやってきました。そういう意味で、私にとっての相撲は、ただ闘って強ければ良いというのでなく、感動・勇気・希望を与える事です」、以上は元横綱日馬富士の引退会見の時の言葉です。

貴乃花親方の「相撲道を通じて、目上を敬う心とか、礼儀を重んじる精神を伝える」思いは、日馬富士にも十分に継承されていたようです(あの事件を除いては)。その横綱が引退しました。

貴乃花親方の対応次第で、日馬富士の罪の軽重が異なると聞きます。日馬富士のこれまでの相撲界への貢献や社会貢献を考えると、一時の過ちで受けた社会的制裁は十分でしょう。

被害者も、その被害の訴え方を間違えれば時に加害者になってしまうのは世の習いです。最初に義はあってもその後の沈黙で、表沙汰にならなくて済む内紛まで白日の下にさらされる事態を招いています。暴力が発端だからといって、その後の全ての貴乃花側の態度が正当化されるわけではありません。

被害者力士とその師匠が黙秘を続けるのは、神道に始まる神聖な相撲界とはいえ、ファンあっての相撲界である組織の人間として、重大な責任逃れという側面もあります。

「名は体を表す」

私が違和感を覚えるもう一つの理由があります。一連の貴乃花親方の服装や表情に触発されて発生した違和感です。「名は体を表す」と言いますが、服装や態度も体を表すと思います。親方の長いマフラーやサングラスは、彼のルックスが良いのも災いして、まるでファッションショーに向かうモデルか、イタリアのマフィア役を演ずる俳優の小道具に見えます。

そして私が一番ショックを受けたのは、11月30日の日本相撲協会の理事会の映像です。マフィアのボスのような恰好の貴乃花親方が、先輩や同僚理事たちを睨みつけるように、ある時は無視するかのように能面のごとく無表情で、しかも一人のけぞって席についていました。「目上を敬う心や礼儀」など、欠片も感じませんでした。

そして何よりも、被害者である貴ノ岩関の想いが考慮されているようには全く思えません。本件を行き過ぎた暴行事件として横綱を引退に追い込むほど処罰感情が強かったのか、それとも貴ノ岩関が望んでいたものは違うものだったのか、貴ノ岩関本人の意思が尊重される機会が一切ないように思えます。

いろいろ因縁があるようですが、それとは切り離して親方はまず、協会に不信があろうとも本件に関してはこの事態を、一刻も早く収拾するという一理事としての責任が見えないのは残念です。

かって元横綱・朝青龍が暴力事件で引退するとき、「解雇でなく引退で良かったと思います。朝青龍の人生はまだまだ続いていくので、彼の人生を、協会や理事会が奪うようなことにならなくて良かった」と、朝青龍を気遣っています。「しかしその引退の背景には、横綱の暴力行為があったことを忘れてはならない」と、釘を刺しました。

朝青龍の相撲界への貢献度を評価する親方の声も聞いた記憶があります。ここに親方の、愚直なまでの相撲道の求道者としての姿を見ました。事情は違いますが、日馬富士にもこの時の心を思い出して頂きたいのです。

貴乃花親方は「相撲を通じて古来から受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていくことが、相撲に関わるすべての人間に課せられた義務であると考えている」そうです。親方が、モンゴル人力士に相撲道や品位等の教育には、モンゴル語で対応する必要があることを提言したと聞いていますので、モンゴル人力士も、相撲道の美徳を継承してもらう対象に入っているのは明らかです。

貴乃花親方には、相撲協会と対立ばかりして浮いてしまうのではなく、意見が合わない人たちともコミュニケーションを重ねて、相撲道を日本人力士、モンゴル人力士に丁寧に伝え続ける役割を担ってほしいと思います。

貴乃花親方が異端児として扱われるのは忍び難い

かくいう私は、貴乃花親方のファンです。あどけない顔を残して入門した頃から、ずっとメディアを通して追っかけ、応援してきました。当時の小泉首相から「感動した!」と言わしめたあの名勝負での鬼の形相は人間の表情とは思えず、相撲の神様が降りてきていたと私は今も思っています。彼以上の相撲の申し子と言える人が、現在どれだけいるでしょうか。

このような親方が相撲界の異端児として扱われるのは忍び難く、同時に、現在の親方の振る舞いに疑問を感じるのです。

貴乃花親方は、日本人力士しか育てないという方針をまげて、貴ノ岩を育てました。その貴ノ岩が、モンゴル人力士会に出入りすることを禁じていたそうです。これは個人差もありますが、言葉も文化も違う国で、日本独特の世界に馴染み、精進する力士たちに、親同然の親方夫婦でもカバーしきれない部分に対する配慮が足りないと感じます。

石川啄木でさえ上野駅に、「ふるさとの/訛りなつかし停車場の/人ごみの中にそを聴きにいく」と詠みました。香港では数万人以上のフィリピンから出稼ぎに来た家政婦さんたちが毎週末、例えば東京なら丸の内のビル街や代々木公園に相当する場所に座り込んで、母国語で遊んだり寛いだりすることが認められています。翌週からまた元気に働いてもらうための香港側の配慮でもあるそうです。

取り組み相手とは、プライベートでも付き合いを慎むべきだという理由ともとれますが、それでも異郷の地で戦う孤独な外国人力士の憩いの場を取り上げてしまうのは、バランス感覚を逸しているように思います。

それと同時に、日本の相撲界に大きな貢献をしているモンゴル人力士への配慮と敬意がもっと払われてもいいと思います。

上から目線の評論にはうんざり

ここ59場所中、モンゴル人力士の優勝回数が53回なのだそうです。モンゴル人力士がこんなに強くて優勝を独占していなかったら、ここぞとばかりに様々な不満が噴出することもなかったでしょう。朝青龍関の時もそうでしたが、モンゴル人横綱のスキャンダルが出るたびに、鬼の首を取ったかのように喜び勇んで上から目線の評論を出したがる、外野の評論家やタレントにはうんざりします。

肝心なのは、当事者である貴ノ岩関と日馬富士関がどう考えていて、どのように締めくくりたいかを尊重することです。その上で、相撲ファンに正直に思いを伝えてもらうことではないでしょうか。

そして相撲界に今も残る“かわいがり”という慣習がなくなるように、また日馬富士関には行き過ぎた懲罰が続かないように、そして貴乃花親方には弟子が被害者だという一点で一切の協力を拒むのではなく、相撲ファンと貴ノ岩関の想いを組んだ、責任ある対応を期待したいと思います。

冒頭でも触れましたが、相撲道の具現者を、私は誰よりも(事件を例外として)日馬富士の姿にみていました。日馬富士ファンでなくとも今回の事件で、彼の深い人間性を知る機会となったのではないでしょうか。

彼はモンゴルの国立法科大学通信課程で警察官と弁護士資格を得て、法大大学院に合格し、医療支援や母国での学校建設など、社会貢献も活発で、絵は個展を開いた程の腕前だと知りました。それで横綱を張っていました。

引退後のこれからも、さすがは日本の国技の頂点であった横綱日馬富士だ、と尊敬される人生を歩まれることを信じ、今後の活躍に期待したいと思います。