政治家はなぜ“失言”してしまうのか?(写真はイメージ)


 私は30代で国政選挙の候補者になった。最初は、1985年、参院選挙に比例代表選挙が導入された時だった。その後、中選挙区制時代の衆院選挙に10年間で3回立候補した。都合4回、いずれも落選だった。

 最初に当選したのは、95年の参院選である。比例代表選挙での当選だった。続いて2001年にも当選した。10年以上の候補者生活であった。この間の演説回数は数千回に及ぶだろう。

 最初のうちは苦労したものだ。何しろ知名度ゼロ、党の幹部でもない。自分自身でも、“どこの馬の骨か分らない”と思われているだろうな、と思っていた。上から目線の演説など、できる能力もなければ、立場でもなかった。最初の頃は、「よく言えば立て板に水、率直に言えば早口すぎて、何を言っているのか分らない」と言われたものだった。

 私は腹の中で思ったものだ。「考えてきたことを早くしゃべらないと台詞を忘れてしまうから仕方がないよ」と。余裕などまるでなかった。余裕が出てきたのは、いつ頃のことか。記憶をたどれば、衆院選挙に2回目の立候補をした時期ぐらいだと思う。

 落語でも「間が大事」と言われる。演説も一緒だ。演説で5秒間黙っていることは、あまりにも長く感じられてほとんど不可能である。「間」といってもせいぜい2秒から3秒だ。だが、これが難しいのである。

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「受ける」ことは失言と表裏一体

 相当慣れてきたとき、ふと思ったことがある。「そうか、演説というのは、説を演じるということなのだ。その意味では役者と一緒なのだ」。この理解はかならずしも正確ではなかったかもしれないが、「演」という字は「広く及ぼす」とか「しみこむ」という意味がある。自分の主義、主張を広く及ぼすのが「演説」というものなのだ。

 ただ「広く及ぼす」ためには、拡声器を使って大声で叫べば良いというものではない。聴衆に受けなければならない。この「受ける」というのが、実は失言と表裏一体なのだ。

 私なども余裕が出てくると、「まず“つかみ”が大事」というので、演説の冒頭に聴衆をどう沸かせ、笑わせるか、これを毎回考えたものだ。政治家の失言を見ていると、こういう場面での失言が多いように思う。

 例えば、内閣府の政務官だった務台俊介(むたい・しゅんすけ)議員は、昨年9月1日、台風10号に伴う豪雨被害の視察で岩手県岩泉町を訪れた際、同行者に「おんぶ」されて水たまりを渡ったことで批判された。長靴を履いていないためだった。ところが、今年3月8日、東京都内で開催した自身の政治資金パーティーで、この件を振り返り「たぶん長靴業界は、だいぶ儲かったんじゃないか」と言ってしまった。悪意などどこにもない。ただ受けを狙っただけである。これで政務官を辞職する羽目になった。

演説はもともと上から目線

 政治家の演説というのは、そもそも上から目線である。高い壇上や宣伝カーの上から、別に求められてもいないのに、自分たちの主義、主張を訴え、それに賛成し、同調するのが正しい選択である、という話をするのであるから、そもそも相当傲慢なのである。

 選挙で涙を流し、土下座をする候補者もいる。私の故郷は、中選挙区制時代の兵庫2区である。ここには原健三郎という20期も衆議院議員を務めた自民党議員がいた。衆院議長も務めた人物だが、選挙になると夫婦で土下座パフォーマンスをすることで有名だった。これだって、どこかで「偉い自分がここまでしているんだから、票を入れるはずだ」という気持ちがあったはずだ。みっともないようだが、やはり上から目線なのである。

 この上から目線というのは、一歩間違うと聴衆を軽んじる態度につながってくる。これが軽はずみな言葉を生み出すことになる。

 自民党の山本幸三前地方創生相が、11月23日、同党の三原朝彦衆院議員の会合で、三原議員が日本・アフリカ連合友好議員連盟会長代行としてアフリカとの交流活動や支援活動を行っていることに触れ、「何であんな黒いのが好きなのか」と発言し、各方面から抗議を受けている。

 この人物は、地方創生担当相時代にも、滋賀県での地方創生セミナーで、博物館で働く専門職員である学芸員に「観光振興に理解がない」「学芸員はがんだ」と発言し、翌日には謝罪と取り消しを行っている。ちなみに、この人もかつて支持者の前で土下座したことがあるそうだ。

 経歴を見ると、東大卒業後、大蔵省に入省、在職中にコーネル大学・経営大学院に留学し、MABを取得しているというエリートである。失言と学歴は関係がないことだけは確かだ。

「先生」と呼ぶ不思議な習慣

 国会でも、地方議会でも、議員のことを「先生」と呼ぶ習慣がある。参院議員を辞めた今でも私を「先生」と呼ぶ人もいる。しかし、普通、先生とは、教育機関、あるいは塾などにおいて、教える人のことである。にもかかわらず、なぜ「先生」と呼ばれるようになったのか。

 政治家という存在が現われたのは明治時代だ。当時の政治家は、書生といわれる寄食して大学などに通う弟子を抱えていた。その書生たちが「先生」と呼ぶようになってからだそうである。

 私は共産党に所属していたが、共産党では「先生」と呼ぶ習慣はなかった。私などは、党内では、秘書や誰からも「筆さん」と呼ばれていた。

 車の中で秘書を怒鳴り上げ、足蹴にするなどして大騒動になった自民党の女性議員がいたが、秘書に「真由ちゃん」とでも呼ばせておけば、あんなことにはならなかったと思う。誰でもそうだが、何も教えるものも持たないのに、「先生」などと呼ばれると増長してしまうものだ。

 2カ月前に高校時代のクラス会が大阪で開かれた。何年ぶりかで参加したのだが、その際、クラスメートの1人から「筆坂は議員時代に同窓会に参加したときも、今も、少しも変わりがないね。ちっとも偉そうな素振りをしないのはどうして」と聞かれたので、「偉くないからだよ」と答えた。

 確かに選挙で当選することは大変なことだ。また国会議員に当選すれば、高額の歳費やさまざまな特権が付与される。だがそれは、国民に奉仕するための特権などである。ところが、ここで勘違いをして、自分を一段上の人間だと思ってしまうのだ。その上に「先生」である。この習慣はもう止めた方が良い。

本音の吐露が失言につながる

 今年(2017年)の9月、北朝鮮が米領グアム周辺に向けて島根、広島両県などの上空を通過するミサイルを発射すると予告したことをめぐり、「島根に落ちても何の意味もない」と発言して物議を醸したのが自民党の竹下亘総務会長である。「戦略的に考えた場合に、北朝鮮が島根を狙ってくるかというと、それはないだろうという思いを話した」と釈明した。確かに、島根を狙い撃ちする理由は見当たらない。だが島根にも落ちても、やはり困るのである。

 同氏は、宮中晩さん会についても、「(国賓の)パートナーが同性であった場合、私は(晩餐会への出席は)反対だ。日本国の伝統には合わない」と発言し、猛烈な反発を受けた。

 これは間違いなく竹下氏の本音なのだろう。そして腹の中では、「多くの国民が同じように思っている」と考えているのだ。だから反省の弁も「言わなきゃ良かった」なのである。

失言は駄目だが、言葉狩りも問題だ

 2011年の東日本大震災で東京電力の福島第一原発が壊滅的な打撃を受けた。野田内閣の経済産業大臣だった鉢呂吉雄(はちろ・よしお)氏は、9月10日に福島を視察した際、「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない『死の街』だった」と語った。これが批判され、辞任に追い込まれた。

 この批判には、まったく同意できない。いまだに故郷に帰れない被災者が多数いる。ではどう表現すればよかったのか。この批判記事を書いた記者に聞きたいものだ。原発事故のために、まさに「死の街」にされてしまったのではないのか。

 政治家の発言を揚げ足を取るように批判すればよいというものではない。いまの日本のマスコミは言葉狩りが多すぎる。これは言論という舞台で活動するジャーナリスト自身の首を絞める行為ではないのか、ということも考えてもらいたい。

筆者:筆坂 秀世