難関資格の筆頭格である、公認会計士。

―高収入、堅実、転勤なし。

そんな好条件を難なくクリアする”勝ち組”であり、東京の婚活市場においても人気が高い職業の一つである。

しかし彼らにも、悩みはある。

サラリーマン会計士から、念願の独立開業を果たした隆一は、大学時代の友人、神宮と手を組み共同経営という形で事務所経営を軌道に乗せることに成功した。

しかし、結婚に踏み出さない隆一に業を煮やしたユキは隆一に別れを告げ去ってしまった。

落ち込んでいる隆一に、神宮を筆頭とする大多数の職員から退職届が提出されてきた。

物語は怒涛の最終回へ…。




全てを失う隆一


神宮を筆頭とする大多数の職員からの、退職届。

この行動の意味するところを、僕はよく考えなくてはいけない。神宮との不仲は事務所では周知であったしいずれは決裂することも覚悟していたのだが、これだけの職員を引き連れてくるとは思ってもいなかったのだ。

今こんなに大量の職員がいなくなれば、事務所経営が回らなくなることは自明だ。

「みんなに辞められたら困るだろう?だったら、お前が引け」とも捉えられる理不尽な交渉術。これが神宮の真の姿なのかと、僕は頭を抱えた。

「数日、考えさせてくれ。」

そうは言ったものの、もう答えは決まっている。選択する余地のない不利な交渉を迫られ、この場から逃れたいという気持ちでいっぱいなのであった。

1週間後、自ら事務所を引く形で事態の収拾を図った。こんなことが大騒動になれば、自分が育て上げた事務所の評判が地に堕ちてしまう。そんな事態だけは避けたかった。

事務所を去る日、神宮は姿を現さなかった。

どこにもぶつけることのできない怒りと喪失感だけが残り、全てを失ってしまった。僕はこれからどうしたらいい…?


全てを失った隆一は何を思う…


歴史は繰り返す


人生、何が起こるかわからない。

独立してからひたすらガムシャラに走り続けた。開業時の苦労から始まり、ビジネスパートナーと手を組み、成長し始めたところで裏切られた。

原因は、お互いにあったのかもしれない。共同経営者としての2人の取り分から始まり、営業戦略・人事採用や職場のルールに至る細かいところまで、神宮とは意見が噛み合わなかった。

派手な性格である神宮は、“投資”という名目であらゆるものへ積極的にお金を使い事務所を成長させていった。そんな彼の手法を危ういと感じ、ストップをかけていたのが僕だった。

神宮は目立つ存在であるが故に、周りにいる部下からは憧れの経営者として映りやすい。大多数の人間が、神宮のようになりたいと羨望の対象となっていったのだ。

組織力を用いて、自らが事実上のナンバー1になるための社内政治力を駆使した神宮の勝利であった。

経営者となっても、社内政治は存在する。

サラリーマン会計士時代、出世するために様々な上司へのアピール・同僚との競争を目の当たりにし、嫌になって始めた独立開業であった。

しかし経営トップになっても、周りを巧みにコントロールできなければ経営者としての地位でさえも、剥奪されてしまうのである。


再出発に向けて隆一が向かった先は


「あなた大人しい顔して、ずいぶん派手な人生を経験してるわね」

昼下がりのティータイム。飯田橋『カナルカフェ』でお堀を眺めながらチクリと言ったのは、元監査法人の先輩、倉田さんである。これまでの経緯をすべて話した後の感想だ。

倉田さんにはユキを紹介してもらい、独立当初仕事がない時代に多くの仕事を振っていただいた恩人である。

しかしユキとは別れ、経営していた事務所を追われてしまった。恩を仇で返す、とはこのことであろう。返す言葉が見当たらない。

「仕事はまた振ってあげることはできるけど、女の子は自分で頑張りなさいよ。私だって、いい歳だしもうあまり若い子紹介できないから」

彼女なりの励ましの言葉である。

ユキとは4年以上もの交際期間を経た結果、別れることとなってしまった。なぜあの時、早く結婚を決断していなかったのであろうか。

節目、節目のタイミングはあったはずだ。仕事に夢中になり過ぎた結果、ユキのことを疎かに考えていたことは否定できない。

今となっては彼女に謝ることさえできない。これも因果応報というものであろうか。

―ビジネスも婚活も、1からスタートだ。


再スタートを切った隆一のその後は…?


隆一の5年後


神宮から事務所を追われ、5年が経過した。

当時は仕事と恋人を同時に失い、途方に暮れていた。将来を一緒に描く相手がいない状態で、どうやって1からスタートするのかということを延々と考えていた記憶がある。

傷心後の再スタートというものは、精神的に堪える。独立した当初のような、将来に対する希望ではなく、全員が敵かもしれないという、猜疑心の塊と化した自分がいたからだ。

しかし、自分が蒔いた種は少しずつ芽吹き始めていたのだった。

また一人でスタートしようとしていた矢先、自分を慕っていた部下達が事務所を退職してきてくれたのだった。

「隆一さんと仕事したいです。」




そう言われたときは、思わず胸からこみあげるものがあった。いままで自分がやってきたことは間違いではなかったのでと思えた瞬間だった。

信頼のおける部下たちと新たな再スタートを切った現在、事務所は再び大きく成長することができた。退職した事務所で、神宮と折り合いの悪くなったクライアントが契約を切り替えてくれ、大きく成長することができた。

もちろん、倉田さんの絶大なるサポートもあったことは付け加えておこう。

プライベートでも変化が起きた。取引先であるクライアントの社長の娘を紹介され、交際期間3ヵ月というスピード結婚をしたのである。5歳年下の妻は、ユキとは対照的に、仕事をバリバリこなすキャリアウーマンタイプだ。

子供にも恵まれ、現在では一児の父にもなった。仕事だけでなく、育児にも追われ、イクメンぶりを発揮している毎日だ。結婚についてあんなに悩んでいた当時は何だったのだろう。結婚してみると、これはこれで楽しい毎日だ。

ユキは僕と別れてから、半年後に結婚したようである。倉田さん情報によると、相手は、商社マンだそうだ。彼女にも幸せな人生を歩んで欲しい。

20代後半は人生の1つの分岐点だった。キャリアと結婚の狭間で迷い、葛藤した末の独立。その後も経営者としても散々悩んできた。人生の様々な場面で悩みは付きものであろう。

どの選択が正しかったのかは誰もわからない。きっと、どの選択も正解であり不正解だ。でも、自分が選択した全ての責任は自分にあるのだ。

だから、どんなことがあっても過去を否定せずに、希望ある未来のために前向きに進んでいかなければならないのだ。

―僕は、もう迷わない。

―Fin.