産経新聞コラムはルワンダの大虐殺の扇動と同じ――。

 こんな内容の記事が朝日新聞に出たのには驚いた。

 日本で言論の自由はもちろん保証されるべきである。最近の日本のメディア界で盛んとなってきた相互批判も、健全な現象として歓迎したい。だが、そこには民主主義の基本という一定の規範があってしかるべきだろう。

 私は現在、産経新聞ワシントン駐在客員特派員という立場にあるが、攻撃されたのが「身内」だからという理由で反論しているわけではない。現代の日本のメディアの論調を1990年代のアフリカでの民族大殺戮での扇動役に重ねるという朝日新聞の論調がいかに乱暴で間違っているかをここで指摘したい。

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産経抄は「扇動」していない

 この朝日新聞の記事とは、11月25日夕刊のメディア面に掲載された「過激な言説には『静かな抗議』を 敵対視にひそむ危険」という見出しのコラムである。筆者は社会部・仲村和代記者となっていた。

「敵対視にひそむ危険」という見出しと本文を合わせて読むと、産経新聞の記事はルワンダ虐殺のような事態を引き起こしかねない危険がある、と主張しているように読み取れる。

 この記事は以下のような文章で始まる。

≪産経新聞のコラムが、ウェブサイトで「日本を貶める日本人をあぶりだせ」との見出しで配信され、批判が広がりました。フランスで在外研究中の文化人類学者、亀井伸孝・愛知県立大学教授は、1994年にルワンダで起きた虐殺で、メディアが担うことになった役割との共通点をツイッターで指摘しました。

 ルワンダでは、フツとツチという二つの民族の分断が強調され、迫害が扇動されました。亀井さんによると、ツチへの迫害を扇動する具体的手段の一つとなったのが、民衆に親しまれていたラジオ局だったといいます≫

 上記の記述にある「産経新聞のコラム」とは、産経10月17日朝刊の「産経抄」をウェブで同19日に配信した記事だった。ウェブ版には確かに「日本を貶める日本人をあぶり出せ」という見出しがついていたが、原文の産経抄にはそうした表現はない。

 その産経抄は、まず地中海のマルタで新聞記者が殺されたことを批判的に取り上げ、一方で日本には報道や言論の自由がふんだんにあることを再確認していた。そのうえで、国連やその他の国際組織で、日本には報道の自由がないという非難がまかり通っていることを挙げて、「日本に対する強い偏見がうかがえる。一部の日本人による日本の評判を落とすための活動が、さらにそれを助長する」と述べていた。そして「そもそも国連を舞台に、実態からかけ離れた慰安婦像を世界にばらまいたのは、日本人活動家だった。何ということをしてくれたのか」と結んでいた。

 これが批判的な記述のすべてである。つまり、産経抄の文章は決して「扇動」などしていない。

敵を「悪魔」として描く得意手段

 だが仲村記者は亀井教授の言を借りる形で「産経コラムと、ルワンダ虐殺を扇動したラジオ局の共通点」を強調する。

 ルワンダ大虐殺は世界の近代史に人類の汚辱として刻まれる大規模なジェノサイドである。1994年4月初頭からの100日ほどの間に総人口500万のうちの80万人もが同国民に虐殺された。その原因はフツとツチという異部族同士の宿年の対立に加え、国内社会での差別や搾取、外部勢力の干渉など多々あった。

 大虐殺にはラジオ局の扇動という要素も、もちろんあっただろう。だが、大規模な殺戮が国際的な注視のなかで起きてしまい、なお止まらなかったことは、そもそもルワンダという国の基本的なあり方が最大要因だったということができる。「法の支配」「市民社会」「人権尊重」「人道主義」といった民主主義の支柱がまったく欠落していたのである。

 朝日新聞の記事は、そうした発展途上の国と日本を同じに扱い、日本の新聞やネットの記事がルワンダのラジオ局と同じ役割を果たすと論旨を展開している。だが、産経新聞とルワンダのラジオ局がなぜ共通しているのか、という説明はない。ネットに配信された記事の見出しに反応して、亀井教授の発信を根拠に「共通点」があると主張するだけである。産経抄が指摘する、国際社会で「日本への偏見」がある現状はなぜ無視するのか。

 そもそも敵を「悪魔」として描くのは朝日新聞の得意とするところだ。例えば安倍晋三首相をナチスの指導者たちによくなぞらえる。つい最近も、安倍氏をナチスのゲーリング元帥と似ていると評する記事があった。

 その「悪魔」のたとえとして引き合いに出すのがナチスだけでは物足りなくなり、ルワンダ虐殺まで登場させてきたということだろうか。「敵対視にひそむ危険」という言葉は、そのまま朝日新聞の姿勢にあてはまるといえるだろう。

筆者:古森 義久