佐藤天英名人は、将棋ソフト「PONANZA」に2連敗。(AFLO=写真)

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■2045年くらいに「シンギュラリティ」が訪れる

進歩が目覚ましい人工知能。その能力が人間を超える「シンギュラリティ」(技術的特異点)が起こるのかどうか、起こるとしたらいつくらいなのか、という議論がある。米国の発明家レイ・カーツワイルは、2045年くらいに「シンギュラリティ」が訪れるのではないかと予想している。それに対して、もっと早いのではないか、いやそんなことは起こらないなど、さまざまな議論がある。

私は最近、シンギュラリティはもう起こっているのではないか、と考えている。人工知能、より一般的に情報処理システムは、すでに人間の能力を超えてしまっているのではないかと思うのである。

もともと、人間の脳の情報処理の能力は限られている。アメリカの心理学者、ミハイ・チクセントミハイによれば、1秒間にせいぜい100ビット程度の情報しか、人間の意識は処理できない。

さまざまな認知科学、脳科学の実験でも、人間が1度に処理できる情報はきわめて限られているということが、一貫して示されている。逆に言えば、そのように「容量」が限られている中で、人間の脳は生き延びてきたのである。

論理的にものを考えたり、言葉で何かを表現したり、あるいはひらめき、創造力などの能力を発揮するのは、人間の脳のユニークなポイントだが、人工知能は、このような人間の力とはそもそも発展の前提条件が異なる。

将棋や囲碁において、人工知能が人間のチャンピオンをはるかに凌駕するに至ったのは、確かに画期的なことである。一方、1対1で対局するのは、人間の脳の条件にわざわざ人工知能が合わせてくれているという感も否めない。

記憶容量も、処理スピードも人間をはるかに上回る人工知能にとっては、本来、例えて言えば将棋や囲碁の対局を同時に何千局、何百万局も行うというような設定のほうが、その力をより発揮できると言えるだろう。

■成り立ちが違うから、比較しても意味がない

たとえば、近い将来、自動運転車が街にあふれるようになったとき、通行量や渋滞状況を把握して、瞬時に、全体の流れが最適になるように調整するのは人工知能にふさわしい課題だろう。一人ひとりの人間の脳には手に負えないし、理解もできないけれども、そのような課題を人工知能にやらせることは、現実のこととなるだろう。

人工知能の生みの親、アラン・チューリングが提唱した、人間と同じように会話ができるかどうかという「チューリング・テスト」も、今となってはあまりにも人間の都合に合わせた課題だと言えるのかもしれない。

人工知能にとって本来取り組むべき課題は、たとえば、何千人という人と同時に会話して、その言葉の統計的傾向から、市場の変化を予想したり、流行を把握したり、社会の問題を察知するといったことなのかもしれない。そのような課題は、人間の脳にとってはほとんど想像すらできないことだけれども、人工知能にとっては近い将来現実的なものになるだろう。

人工知能と人間の脳は成り立ちが違うから、比較しても意味がない。人間の脳と全く違う能力を持ち始めているという点から見れば、シンギュラリティはもう起こっている。

人工知能は人間とは違うと考えれば、かえって安心して人間らしく生きることを模索できる。人工知能を人間と比べる時代は、そろそろ終わりなのである。

(脳科学者 茂木 健一郎 写真=AFLO)