―大好きな吾郎くんが、私と結婚してくれたー

数々の苦難の末に、結婚願望のない男・吾郎との結婚に辿りついた英里。

結婚はゴールでないことなど、百も承知。

しかし、そんな二人を待ち受けていたのは、予想を上回る過酷な現実であった。

愛し合っていたはずの夫婦は、どのようにすれ違い、溝ができてしまったのか。

男女の価値観のズレ、見解の相違、そして、家庭外での誘惑...。

二人はとうとう “新婚クライシス”を迎え、英里は気分転換に参加した飲み会で気分が悪くなってしまう。




「......英里さん!大丈夫ですか?もうすぐ家の近くですよ」

鈍い頭痛と、重たい瞼に逆らって目を薄く開けると、英里は薄暗いタクシーの中にいた。

「英里さんのマンション、このあたりですよね?」

言われるまま外を見やると、車はどうやら六本木通りを走行中のようだ。そして徐々に意識がハッキリすると、隣の声の主は後輩の新一であることが分かった。

「うそ...。私、もしかしてかなり酔ってた...?」

全身の怠さと、不快な胸焼け。じっとりと嫌な汗もかいている。自分の醜態に気づき、英里はサッと血の気が引く。

吾郎との不仲が原因で、ここ数日は寝不足気味だった。そんな状態でワインを口にしたから、思った以上に酔いが回ったのだろう。

飲み会の記憶すら朧げであるし、恥ずかしさと自己嫌悪で、新一をまともに見ることもできない。

「気にしないでください!むしろ、飲ませ過ぎた僕が悪いんです」

新一は英里の動揺を察したように涼し気に微笑むと、道順を聞き出し、タクシーはあっという間に自宅マンションの前に着いた。

「まだ足元フラついてますよね?ご主人に連絡した方がいいんじゃないですか?」

「いいの...!自分で帰れるから...、あっ!」

そう答えると同時に、足元のヒールが不安定によろけた。

すると新一は、遠慮する英里を強く制してマンションの部屋の前まで送ってくれたが、その光景を背後からじっと眺めている男がいることに、二人とも気づきはしなかった。


二人の姿を目にした吾郎。夫婦はさらに拗れる...?!


地味に嫉妬深い男・吾郎


―何をしてるんだ、アイツは...。

帰宅した吾郎は、マンションのエントランスで男と寄り添う妻の姿を捉え、一人唖然としていた。

足元が若干フラついて見えるから、おそらく飲み会か何かで酔いすぎただろうことは容易に想像できる。

だが、問題は隣にいる男だ。

まるで学生のような初々しさの残る童顔は間違いなく20代で、深夜で視界の悪い中でも、男が好青年風の爽やかさを纏っているのが分かる。

男は英里をかばうように寄り添いながらも、身体に触れることはない絶妙な距離を保っているから、きっと会社の後輩なのだろう。

それにしても、夫婦のマンションに堂々と男連れで帰宅する妻というのは、如何なものか。

一人で歩けないほど酔っているなら、夫である自分に電話の一本でも入れるのが普通ではないか。なぜ、あんな若い男にわざわざ家まで送ってもらう必要があるのか。

吾郎は苛立ちと一抹の不安を抱えながら、意を決し、数分遅れでマンションに入る。

すると早々に、エレベーターホールであの好青年とすれ違った。予想通り、男はただ酔った英里を家の前まで送っただけのようだ。

吾郎はさりげなく横目で若い商社マンの顔を観察しながら、心の中でホッと胸をなで下ろしつつも、今度は妻に対し、イライラと怒りが湧き始めた。




「おい」

家に戻ると、英里は自分を出迎える様子もなく、グッタリとソファに沈んでいた。

「あ...吾郎くん、おかえり...」

トロンと赤く潤んだ瞳が、焦点も定まらないままこちらに向く。この目をあの若い男に向けたのかと思うと、吾郎の苛立ちは強くなる。

「お前、酔ってるだろ」

「う、うん。会社の飲み会で、ちょっと飲みすぎちゃって...」

「イイ歳の女が、飲んで酔っ払って若い男に家まで送らせるなんて、恥ずかしいと思わないのか」

「......彼はただの後輩よ。見てたなら、声をかければよかったじゃない」

英里は目を合わせずに言った。その不貞腐れたような態度に、吾郎はさらに触発される。

「仲良さそうに歩いてたから、邪魔しちゃ悪いと思ってな。だいたいお前は、昔から隙が多い女なんだ。もっと人妻としての自覚を持って、行動を改めた方がいいんじゃないか。みっともない」

そこまで言うと、英里は顔を歪めたまま、しばし黙りこんだ。身体が小さく震えているから、またピーピー泣き出すかもしれない。

しかし、自分はごく真っ当な意見を伝えたまでだ。妻には反省が必要だろう。

吾郎はそう思っていたが、彼女の反応はその予想から大きく外れた。

「何よ、その言い方......いつも好きに出かけて飲みに行って、連絡もなしに平気で深夜に帰ってくるのは吾郎くんの方でしょう!!私がそれに、今まで文句を言ったことある?!

そうやって、いつまでも自分中心でいればいいわよ。もう、吾郎くんにはウンザリ!!!」

英里はこちらを強く睨みつけると、それ以上反論の余地は与えないと言わんばかりにベッドルームに閉じこもってしまった。

その気迫に思わず怯んだ吾郎は、リビングにしばらく立ち尽くしていた。


煮詰まった英里の前に、とうとう“あの男”が現る...!


-はぁ。もう最低だわ...。

翌朝、英里は重い足取りで会社に向かっていた。

今朝起きると、もはや当然のように吾郎の姿はなかったが、ベッドに入った形跡すらないのには驚いた。

昨晩の件は、たしかに英里に落ち度があった。なのに激しく逆ギレしてしまったから、きっと吾郎も大いに憤慨しているのだろう。

-やっぱり、吾郎くんとは一生噛み合わないのかな。もう、ダメかも...。

ケンカが長引いてしまった今、仲直りのタイミングも難しいように思える。このまま会話の少ない仮面夫婦になるのか、最悪の場合、吾郎と別れることもあり得るのか...。

「英里さん、おはようございますっ!体調は大丈夫ですか?」

ますます悲観的になる英里の背後から声をかけたのは、新一だった。

吾郎とのケンカですっかり忘れていたが、彼にも迷惑をかけたことを思い出す。

昨日の夫の嫌味に過剰反応してしまったのも、30歳を過ぎた既婚女が泥酔して26歳の爽やかな後輩に介抱されるのがどれだけ恥ずべき行為か、自分でも痛いほど分かっていたからだ。

「し、新一くん... 私は大丈夫。昨日は本当にごめんなさい...」

「なら、よかったです!何も謝ることなんてないですよ!またゆっくり飲みましょうね!」

新一はそれ以上突っ込みはせず、笑顔を崩さず爽やかに去って行った。

-本当に、いい子だな...。

英里は彼の若々しい後ろ姿を眺めながら、いつになくその明るさに癒された。


煮詰まる新妻の前に現れた、“あの男”


「英里、吾郎先生とうまく行かないからって、年下男を誘惑しちゃダメよ」

「誤解を招くようなこと言わないで。ただ送ってもらっただけなんだから...」

週末、英里は『ザ・カフェ by アマン』にて友人の咲子とお茶をしていた。結婚後に及んで吾郎の相談をするのを躊躇ってきたが、もはや限界だった。

「でも言っちゃ悪いけど、英里って少し危なっかしいのよ。隙があるっていうか...。ややこしくなるから、今は新一くんとはあまり絡まない方がいいと思う」

言い方は違うが、吾郎と同じく“隙がある”と指摘されたことに、英里はショックを受ける。

「それに新婚夫婦なんて、誰でも大なり小なり衝突はあるわよ。他人と共同生活を始めるんだから、当たり前でしょう。頑張って乗り越えてこそ、本当の夫婦になれるんじゃない?」

「でも...私と吾郎くんの場合は、根本的に何かがズレてるっていうか...」

英里がブツブツ呟やくのを黙って聞いていた咲子だったが、ふと気づくと、その視線が何かに釘づけになっている。

「咲子、どうしたの?」

「英里、だめ。そっちを見たら...!」

反射的に振り返ると、そこには一人の男の後ろ姿があった。

その丸みを帯びた大きな背中には見覚えがあり、英里は脈がドクドクと早くなるのを感じる。

二人の女の視線を感じ取ったのか、その背中は、ゆっくりとこちらを向いた。

-き、きんちゃん...。

それは、かつて英里が吾郎との破局時に恋人となった男・きんちゃんであった。

そして、さらに目に飛び込んてきた光景に、英里は思わず小さく叫んだ。

「う、うそ......」

こちらを完全に振り向いたきんちゃんの身体の前面には、抱っこ紐に支えられ、スヤスヤと眠る赤ん坊の姿があった。

▶NEXT:12月9日 土曜日更新予定
きんちゃんとの偶然の再会に、英里の“ある願望”が浮き彫りになる...!