【E−1選手権前に振り返る】日本代表、北朝鮮との激闘の歴史

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 埼玉スタジアムを埋めた6万人近い大観衆の脳裏を、ドロー発進の悪夢がかすめていた。2005年2月9日。ワールドカップ・ドイツ大会出場をかけたアジア最終予選の初戦。ジーコ監督に率いられた日本代表は、北朝鮮代表に想定外の大苦戦を強いられていた。

 開始早々の4分に、MF小笠原満男(鹿島アントラーズ)が約20mの直接FKを鮮やかに決める。しかし、日本の19位に対して北朝鮮の97位という当時のFIFAランキングほど、両者の実力差が開いていないことが時間の経過とともに分かってくる。

 衰えを知らない運動量と球際の激しさで、日本の追加点を許さない。旺盛な闘争心は運をも手繰り寄せるのか。61分に左サイドから放たれたDF南成哲のクロスは、左足アウトサイドにかかったこともあってゴールに向かう軌道を描き、逆を突かれたGK川口能活(ジュビロ磐田)とゴールポストのわずかな間をすり抜けてネットを揺らした。

 業を煮やした指揮官は、帰国間もない状況を考慮し、先発メンバーから外していたFW高原直泰(ハンブルガーSV)、MF中村俊輔(レッジーナ)を投入。それでもゴールを奪えない展開が続くと、79分には代表2戦目のFW大黒将志(ガンバ大阪)をピッチに送り出す。

 迎えたアディショナルタイム。右サイドから小笠原が上げたクロスを、GK沈勝哲がパンチングで弾く。こぼれ球に反応したMF福西崇史(磐田)がダイレクトで前方へはたいたボールに、大黒がゴールに背を向けた体勢から、振り向きざまに左足を合わせた。

「後ろにゴールがあるのは分かっていた。ターンしたら、すぐに打とうと思っていた。シュートは絶対に打つ。それだけしか考えていなかった」

 当たり損ねの一撃は、お世辞にも華麗とは形容できない。それでも、執念で流し込んだ代表初ゴールは青く染まったスタンドだけでなく、瞬間最高視聴率で57.7%を弾き出したテレビの前で祈っていたファンやサポーターをも熱狂させた。

 2004シーズンのJ1で日本人トップの20ゴールをあげた大黒は、決定力不足解消の切り札の期待を背負って、年明けの宮崎合宿でジーコジャパンに緊急招集されていた。託された背番号は「31」だった。

「おっ、掛布と同じや!」

 生まれも育ちも関西で、大の阪神タイガース党を自負する異能のストライカーは、レジェンド掛布雅之と同じ背番号に何か予感めいたものがあったと屈託なく笑った。そして、歓喜の瞬間から約5年7カ月後の2011年9月2日。埼玉スタジアムで再び歴史が繰り返される。

 北朝鮮を迎えたワールドカップ・アジア3次予選の初戦。直前にトップ下の本田圭佑(CSKAモスクワ)を右ひざ半月板の故障で欠いた、アルベルト・ザッケローニ監督に率いられる日本はボール支配率で圧倒しながら攻め手を欠いた。84分にFW朴光龍が一発退場すると、北朝鮮はますますゴール前の守備を固めてきた。

 0−0のまま5分間の後半アディショナルタイムに突入しても、運に見放されたかのようにシュートが決まらない。DF今野泰幸(G大阪)の強烈なボレーがバーを直撃すれば、左からのクロスを微妙にすらしたMF香川真司(ドルトムント)のヘディング弾もGK李明国のファインセーブに遭う。歓声と悲鳴が交錯する中で、時計の針が93分を回った直後に奇跡が起こった。

 右CKでMF清武弘嗣(セレッソ大阪)が選択したのは、MF長谷部誠(ヴォルフスブルク)へのショートコーナー。ドリブルで前へ進んだキャプテンは一瞬の機転を利かせて反転し、後方へポジションを移していた清武にボールを戻す。

 この動きに北朝鮮の選手たちは翻弄された。すかさず清武が送ったクロスに対して完全にボールウォッチャーとなり、完璧なタイミングで宙を舞い、得意の頭を一閃させたDF吉田麻也(VVVフェンロー)と誰も競り合えなかった。