アルゼンチンから里帰りを果たし、復元された丸ノ内線500形車両(撮影:尾形文繋)

真っ赤な車体に「サインウェーブ」と呼ばれる銀色の波模様を輝かせて昭和の東京を走り抜け、引退後は南米アルゼンチンのブエノスアイレス地下鉄に渡った丸ノ内線の赤い電車。地球の反対側での活躍を終え、昨夏日本に「里帰り」を果たしたその車両「500形」が11月27日、約20年ぶりに線路上にその姿を現した。

昨年7月の深夜、横浜の大黒ふ頭から車両基地に運び込まれた際には落書きや傷みが目立っていた車体は美しく修復され、まるで新車のような姿に。同社の留岡正男常務取締役(車両担当)は「500形は戦後の電車の近代化に貢献した車両。アルゼンチンで使わなくなった際には、ぜひ日本に戻して保存し、若い人の教育に使えないかとかねがね思っていたので、うれしく思っている」とピカピカの赤い車体を前にして語った。

3両を違う仕様で復元!


スペイン語の路線図やステッカーが貼られた「アルゼンチン仕様」の771号車(撮影:尾形文繋)

今回復元されたのは3両。それぞれ登場時、引退時、アルゼンチンでの姿と、1両ずつ異なる形で復元しているのがポイントだ。たとえばアルゼンチン仕様の771号車は、車内にスペイン語の路線図やステッカーを貼り、引退時仕様の734号車は西新宿駅の記載がない1990年代前半の路線図を車内に掲出。1958年の登場時の姿に復元した584号車は、製造当初に装備していた窓ガラスの大きな側面ドアを新たに造り直したほか、前面の行先表示も当時の独特な字体を再現するという凝りようだ。

いったん海外に譲渡した車両を再び引き取って修復するという大プロジェクトの狙いは、文化遺産としての保存だけではない。留岡常務の言葉にもある通り、若手社員の「教材」として役立てることだ。

「近代車両の幕開けというか、戦後のエポックメイキングな車両」と留岡常務が評する500形は、1954年の丸ノ内線開業と同時に登場した「300形」の後継として1957年から計234両が製造された。300形は、現在の通勤電車では当たり前となった2枚の扉が両側に開く形のドアを国内で初めて本格的に採用し、制御システムもその後の電車の基礎となる技術を数多く採用した車両。500形はその改良版だ。

この車両が若手社員の教育に役立つのは「電車の基本を学べる」点にある。入社時から500形にかかわり、「これ(500形)は私の人生そのものの車両」という中野車両管理所の増澤富士雄技術課長は、この車両の教育的な価値について、現在の車両のような電子部品ではなく、「抵抗器とスイッチの組み合わせでできている制御装置や、バルブと配管だけで造られたブレーキ装置」を調整して動かすことを挙げる。

現在の車両は機器類の電子化が進み、「本当の原理がわからなくても結果的にはメンテナンスができてしまう」(留岡常務)。だが、500形のような昔の車両は、電気の流れを理解していなければ保守や点検ができず、接点を磨くなどの細かい調整も重要になる。「昔の電車は、五感を生かして動作を確認しメンテナンスを行っていた。そういった基本を学んでほしい」と留岡常務は語る。

復元は若手社員の手で


修復プロジェクトチームのメンバーは若手社員9人だ(撮影:尾形文繋)

今回、復元に携わったプロジェクトチームのメンバーは、自ら志願した20代〜30代の若手社員9人。メンバーの1人である才口翔也さんは、母校の昭和鉄道高等学校(東京都豊島区)に同型の車両が保存されており、「この電車を教材として勉強していたので、教えてもらった分を恩返しできれば」と参加したという。増澤技術課長らベテランの指導を受け、2016年9月から修復作業に取り組んだ。

作業は週に1回のペースで行われ、住宅地に位置する中野車両基地では困難な塗装や大がかりな補修は、車両を新木場車両基地(江東区)に移送して実施。約1年をかけ、現在見られる姿まで修復にこぎつけた。

500形は1996年に全車両が引退したため、20代〜30代のメンバーは業務で直接触れたことはなく、日頃は現代のハイテク車両を扱っている彼らには驚きも多かったようだ。才口さんは「基板にはんだ付けされているような装置が一切なく、スイッチなど基本的な機械の組み合わせ」である点に現在の車両との違いを感じたという。「今なら2〜3個のスイッチで済むところにスイッチが10個以上もある。床下も装置がぎっしりで、作業で潜ると狭い。時代が進むにつれて機器が集約・小型化されたことがよくわかった」と才口さん。復元作業は「教材」としての役割を十分に果たしているようだ。

修復にはさまざまな難関があった。その1つは車体の落書きを落とす作業だ。「私たちが経験したことのないようなひどい落書きだった」と増澤課長。アルゼンチンでは長い間港に置かれていたため「機器類の汚れを落とすのも一苦労だった」(才口さん)という。車体に穴が開いている箇所も多かった。ブエノスアイレス地下鉄では路線の規格より車両がやや小さかったため、ホームとの隙間を埋めるためのステップを車体に取り付けていたが、この取り付け穴や腐食により、1両あたり150箇所もの穴があったという。

桜満開の中を走れるか?

今にも走り出しそうな状態にまで復元された500形だが、現時点ではまだ電気配線などを整備しておらず「完成程度でいえば6割くらい」(増澤課長)。目指すは自力走行だが「アルゼンチンで電気回路の改造が多々行われているので、こちらで使えるかどうか回路などを1つひとつ確認していく必要がある」という。すでにモーターはメーカーで手入れを行っているといい、配線関係が今後の修復の焦点だ。動くようになってからも「細かい調整などが大事な教育になる」と増澤課長はいう。

だが、自走できる状態まで復元しても、車両基地から出て丸ノ内線の線路上を走るには高いハードルがある。ATC(自動列車制御装置)などの保安装置が現在のシステムに対応していないためだ。自走可能になっても、当面は工場内などでの走行に限られる。

だが、留岡常務は「やるとしてもイベントという形になるが、想いとしては1回は(本線に)出したいという気持ちはある」と語る。実は、1両でも走れる500形をあえて3両復元したのは「1両だと故障した場合に動かなくなってしまうが、3両なら残り2両で動かせる」ためだという。

昨夏に500形が里帰りを果たした際、東京メトロの担当者は「ブエノスアイレス地下鉄には『里帰りしたら、桜が満開の四ツ谷を走る風景の写真を送ってくれ』と言われたんです」と語っていた。地球の反対側の地下鉄関係者も待ち望む「赤い電車の本線走行」は、はたして実現するだろうか。