「大企業に入れば、一生安泰」

昔からそう教えられて育ってきた。

有名大学を卒業し、誰もが知っている大企業に入社。

安定した生活を送り、結婚し子供を育て、定年後は年金と退職金で優雅に暮らす。それが一番の幸せだ、と。

丸の内にある大手総合商社に勤める美貴(26)も、そう信じてきたうちの一人。

大学の同級生エミリや元彼のタクヤ、シンガポール駐在帰りの同期の潤など同世代の話から多くの刺激を受けた美貴。ついにこれまでの“安定”を重視する姿勢や、結婚ありきの他人依存な考え方から脱する決意をする。




「何でうちの会社を辞めたいと思ったんだ…?」

美貴が転職することを告げると、課長は見たことがないくらい動揺し、大変驚いた様子だった。

そのことをエミリに告げると、「そりゃ20年以上も勤めてきた課長からしてみれば、『こんな良い会社を辞めるなんて信じられない』って感じなんでしょう。」とエミリは笑っていた。

11月下旬の日曜日の夜、「昨日、飲みすぎたから」というエミリのリクエストで『マーサーカフェ 恵比寿』で2人はコーヒーを飲んでいた。

「心機一転、年明けから新たなスタートね!私も楽しみだわ。」

美貴も、自分で決めた新しい道を進む未来を想像するとワクワクした。

「私、エミリの言葉がきっかけで『このままじゃダメだ』って本気で思えた気がする。そう思ってなかったら、今でもまだ“安定と大企業のブランド力が一番大事”とか言って、会社にしがみついて痛い目にあっていたかもしれない。」

自分が変わることができたのは、ほんの些細なきっかけだ。そう自覚する美貴は「ふふっ」と笑いながら、少し照れ臭そうにした。

「私は何もしてないわよ。ヨガだの婚活だの言ってる美貴のことを、“もったいない”と思っただけよ。能力があるのに、刷り込まれた価値観に囚われて色んな選択肢を消してるなんて、人生損してるって思ったの。」


やりたいことを模索していた美貴が選んだ道とは…?


美貴が「自分で決めた道」とは…?


美貴です。

自分の現状に疑問を抱き始めてから、私は1ヶ月間とことん悩みました。まるで学生の時の就職活動のように様々な業界のことを調べ、「自分のやりたいこと」が何かということを考えた。

私は多分、本当は心のどこかで「もっと情熱を持って仕事に取り組みたい」ってずっと思っていたんだと思います。

でも、その気持ちに蓋をして、「とにかく大企業に勤めて安定した生活を送ることが正解なんだ」って思い込んできた。

逆に言えば、「“安定”と“ブランド力”がなかったら、このまま商社の一般職として働き続けるか?」と聞かれたら、自分の答えは「NO」だったんです。




-自分のように“大企業迷路”で迷い、再スタートを切ろうとしている若者の手助けをしたい。

私は最近業界内で存在感を示してきている、ベンチャー気質溢れる人事コンサル会社に転職をすることにしました。

自分の今後のキャリアについて色々考えるうちに、私みたいに途中で“企業頼りの人生”の罠に気づく若者、もしくは気づかずに騙されてしまっている若者って多いんじゃないかと思ったのです。

大企業に勤めていれば、絶対に幸せなわけじゃない。理不尽な人事異動にあう人もいれば、上司に抑えつけられて新しい仕事のチャンスを掴めない智樹のような若手社員もいる。一方で、潤のように海外赴任を経て着実に力をつける人もいます。

そして、結婚したら辞めるつもりで一般職として入社して、そのまま残ってしまっている“お姉さま”もいる。

ただ環境に流されるだけの大企業生活は自分の成長に繋がらないこと、「もったいない」ということに私も気づけました。

だから、私と同じような人にも、早い段階で気づいてほしい。そう思いました。

親や友達の言うことに左右されず、「自分の意思だけで大きな選択をする」ことは、恥ずかしながら人生で初めてです。

正直、自分の選択に責任を持つ覚悟を持つことは怖かった。受験や就職など、今までの人生の大きな決断の後ろには常に両親の助言があったから。

周りの言う通りに人生を進めたり、会社のブランド力に頼ってなんとなく頑張っている(つもりでいる)ことは、実は一番楽なんです。

勿論、私自身は両親の期待に応えようと、今までたくさん努力をしてきました。でも、心のどこかで「両親のためにこうしてるんだ」っていう無責任な気持ちがあって、それが自分への甘えを生んでいたんです。

-これからは、「自分だけの力」で頑張っていかないといけない。

こんな私でも今はそういう意識を持てています。今の自分の考え方は、ただ「安定した“良い”大企業に勤めたいから」という理由で財閥系総合商社を選んだ6年前とは違う。

自分の頭で考え、自分の意思で決断をした。

無論、両親の反対に対しては「自分の決断には責任を持つから」と強行突破しましたが…。それでも私は「いつかお母さんやお父さんにも認めてもらえるようになる。」と前向きな気持ちでいます。


「私たち、騙されなかった。」若者たちのその後


「遅くなってごめんね。家を出る直前に子供が大泣きしちゃって…」

表参道の『ウエスト青山ガーデン』に、もうすぐ1歳半になる娘を抱えた美貴が現れた。

「前に家に遊びに行った時より、希ちゃんもずいぶん大きくなったわね〜!子育ても少しは落ち着いたかしら?」

あれから5年が経ち、美貴は、転職した人材コンサル会社の同僚と交際1年で結婚し、結婚式を挙げる頃には妊娠が発覚、長女の希を出産した。

「そうね、仕事に復帰したからまだまだバタバタだけど子育ても楽しみながらできてる気がする。私が結婚して子供を育てるなんて、5年前は想像もできなかったな〜」

美貴は希を見つめながら、優しい笑みを浮かべた。




「美貴が婚約後に彼を紹介してくれた時、『昔は、商社マンと結婚したいと思ってた』とか笑いながら彼に話してたよね?懐かしいね。私も当時は、よくわからないけど美貴は意地でも大企業の男性と結婚するんだと思ってたわ。」

エミリは音の鳴るおもちゃで希と遊びながら、美貴の方を向き、少しからかうように笑いながら言った。

「私ね、希には自分の好きなようにのびのびと人生を生きてほしいと思っているの。『こうしなさい、ああしなさい』っていうのはなるべく言わないようにして、自分でちゃんと考えられる子になってほしい。私は結局ずっとお母さんやお父さんの言いなりだったから。」

「でも、あれだけ『仕事よりも先に結婚してほしい』ってうるさかったお母さんも、私が意外と早いタイミングで結婚を決めたら驚いていたけどね〜。今ではすっかり希のお世話が楽しくて仕方がないみたい。」

-あの時、「タラレバ」話をやめて、踏み出して本当に良かった。

忙しく時間に追われる毎日を過ごしながらも、美貴は心からそう思っていた。商社時代の同僚と再会すると、未だに「タラレバ」話で盛り上がっている人もいる。

「そういえば、この間雑誌でタクヤの対談記事見たわよ。ついに自分で会社を立ち上げるんですって。もしかして美貴、また『逃した魚は大きかった?』とでも思ってる?」

「あはは、懐かしい!タクヤもやっぱりすごいね。でも、私は今の自分が好きだし、自分の選択に後悔はしてないわ。」

美貴は今、自分で決めた道を進む楽しさを、そして、これまでに感じたことのない、ただ過ぎ行く時間をなんとなく過ごしていた昔とは明らかに違う充実感を感じていた。

-私たち、騙された?

いや、騙されなかった美貴の今後はどうなるのだろうか。

―Fin.