杉山愛さんの母・杉山芙沙子さん【写真:Getty Images】

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コーチを務めた母・芙沙子さんが“哲学”を感じた家族、「良い人間」に育つ条件

 15年の長きに渡りテニスの四大大会に出場し続け、62大会連続出場というギネス記録を樹立した杉山愛さん。シングルス世界ランキング8位、ダブルスでは1位と38ものタイトルを獲得した彼女は、2009年に34歳で惜しまれつつ長く充実したキャリアに幕を引いた。その愛さんを支えたのが母親であり、コーチとしてツアーに帯同した杉山芙沙子さんだ。

 現在は自らテニスアカデミーを経営。インタビュー第1回は「ジャパンアスリートペアレンツアカデミー(JAPA)」創設理念や自身の経験に照らした子育ての哲学を語ったが、今回は長い指導歴で「哲学」を感じた選手・家族、そして、教え子のリオ五輪ダブルス代表の穂積絵莉の指導の思い出を聞いた。

――「大切なのは哲学を持つこと」というお話が前回ありましたが、杉山さんが実際に関わった選手やご両親の中で、その哲学を感じた方たちはいますか?

「錦織圭選手のご両親は、13歳の息子をアメリカに送り出しました。この時、ご両親は13歳の圭をすでに、一人の人間として信頼し尊重していました。ご家族の哲学がしっかりしているから、それができたのだと思います。

 車椅子テニスの国枝慎吾選手(※グランドスラム車椅子部門で、シングルス20回・ダブルス20回の優勝者。2008年北京、2012年ロンドンパラリンピックではシングルスで金メダル獲得)も、理念を持って強くなった選手だと思います。まだトップ10になったばかりの頃の国枝さんに『将来はどんな人になりたいの?』と聞いたことがあるのですが、その時の彼はまだ、すぐに答えられませんでした。

 自分がどうなりたいか、具体的にイメージできてなかったんですね。その国枝さんが最終的に見つけた答えが、『世界最強の男になる』でした。ここでいう『最強』とは決して、スキルだけを指しているのではありません。何を食べ、どんなことを話すことが『世界最強』に通じるのか……それを考えて日々努力を重ねた結果、彼は、半年後に世界1位になるんです。

 そうすると今度は、自分より上に選手がいないなかで『世界最強』であるためには、どうすれば良いかという課題に当たります。そこで国枝さんは『昨日の自分より今日の方が強くなくては、世界最強の男ではいられない』ということに気がついたんです。なので彼はそこを目指し、モチベーションにしながら活動することで、10年間も世界1位に居続けました。

 私は、選手や子供たちと話す時に『テニスを通じて何をしたいのか』ということを問います。そういう風に考え、哲学を抱ける選手は良い人間になり、何をするにも軸がぶれない。打ち込んでいるスポーツを、人生の中でどう捉えるかが重要だなと思っています」

強くなって「練習がつまらない、レベルが低い」という教え子にかけた言葉とは?

――その意味では、杉山さんが育てた穂積絵莉選手(※2016年リオオリンピックにダブルスで出場。2017年全豪オープンダブルスで加藤未唯と組んでベスト4)は常に「テニスを通じて、人の心を動かすこと」が目標だと公言していますよね。

「彼女(穂積)の場合は、また少し特別で(笑)。彼女の母親は若い頃に、私が(杉山)愛を連れて通っていたテニスクラブの受付をやっていたんです。その時に私と幼い愛を見て『自分に子供ができたら、こういう子育てがしたい』と思っていたそうなんです」

――そうなのですか!? それで杉山さんの教えの影響が大きいのですね。

「そうなのかもしれません。実はわたしはあまり覚えていないのですが、絵莉と母親がわたしに言われたことで、凄く良く覚えていると言っていることがあるんです。それは絵莉が、日本のトップレベルのジュニア選手になった頃のこと。それくらい強くなると、どこのテニスクラブに行っても同等レベルの選手がいなくなるので、絵莉が『練習がつまらない、レベルが低い』と不満を言っていたそうです。

 その時にわたしは母子を呼び出し、『セリーナ・ウィリアムズもロジャー・フェデラーも世界のナンバー1で、自分より弱い選手しかいないにも関わらず、その地位を維持している。あなたが自分より下のレベルの子と練習する時、そのなかでどうやれば自分のレベルを上げられるか? どうやったら楽しい充実した練習ができるかを考えていくのが、今後重要になるよ』と言ったそうです。

 確かに絵莉には、テニスをする目的とは何か? それを仕事とし、プロになるとはどういうことかというのを、しっかり伝えたことは覚えています。愛にも、そういうことを言っていました。愛は、『自分が好きなことをできて、それが人の役に立つなんて素晴らしい仕事だと思ってプロになった。人に元気と勇気を与えることを目標にしている』とよく言っていました。愛のその言葉を、絵莉も子供の頃から身近に聞いていたので、その影響もあると思います」