「言わなくてもわかる」以心伝心の間柄が望ましいとされてきたが…(写真:elwynn / PIXTA)

「森友・加計」問題を契機にして、忖度(そんたく)という言葉が度々メディアで取り上げられましたが、精神科医の片田珠美氏によると、忖度しすぎてストレスをため、心身に不調を来す人が増えているといいます。『忖度社会ニッポン』を刊行した片田氏が、「忖度疲れ」にならないためにはどうすればいいのか解説します。

忖度とは、何も言われなくても、相手の意向を推し量り、先回りして満たそうとすることだが、筆者の外来に通院している患者の中には、忖度に時間とエネルギーを費やしすぎて疲れ果てた方が少なくない。

いわば「忖度疲れ」に陥り、心身に不調を来したわけで、こういう方は、「波風を立てたくない」「気に入られたい」「嫌われたくない」という願望が人一倍強い。そのため、他人の評価や評判に過敏で、相手が何を望んでいるのかをつねに気にせずにはいられない。

こうした現状を目の当たりにして、忖度は日本人の精神構造と密接に結びついた宿痾(しゅくあ)だと感じた。そこで、忖度しすぎてストレスをためないため、つまり「忖度疲れ」にならないためにはどうすればいいのか解説したい。

忖度はなくならない

最初に強調しておきたいのは、忖度は日本社会から決してなくならないということである。というのも、忖度は通常は配慮、気配り、思いやりなどとして認識されており、それが自然にできる人は「気が利く」と評価されることが多いからだ。

その背景には、日本社会において「察する」ことが伝統的に重視されてきたことがある。つまり、「言わなくてもわかる」以心伝心の間柄が望ましいとされてきたわけだ。裏返せば、腹の探り合いによってコミュニケーションを図ってきたともいえる。

このような社会で欧米と比較して言語が軽視されるのは当然だろう。いや、むしろ言葉でいちいち伝えるのはやぼという風潮さえあったように見える。歴史学者の会田雄次は『日本人の意識構造』(講談社現代新書)の中で「言葉(ロゴス)の否定という点、ないしは相互理解のためには、論理的な言葉は重要でないし、むしろ邪魔だという気持ちこそ、実は日本人には生得的なものではないか」と述べているが、筆者も同感だ。

この「言葉の否定」が、「空気」の支配を許す一因になっているのは確かである。コミュニケーションにおいて論理的な言葉が重視されず、「空気」に支配されやすい社会で、忖度がなくなることはありえない。

踏まえておきたい3つのこと

「忖度疲れ」にならないためには、それを踏まえたうえで、次の3つを実行することが必要だ。

1)まず気づく
2)観察と分析
3)あやふやなままにせず明確にする

それぞれについて解説しよう。

1)まず気づく

日本のサラリーマン社会には忖度のネットワークが張り巡らされていて、忖度のクモの糸からなかなか逃れられない。問題は、それに気づかず、知らず知らずのうちに忖度してしまう方が少なくないことだ。

「忖度疲れ」に陥り、不眠や気分の落ち込みなどの症状を訴えて筆者の外来を受診した方の多くも、忖度するのが当たり前になっていて、忖度がはらむ問題に全然気づいていなかったからこそ、手痛いしっぺ返しを食らい、心身に不調を来したように見える。

必要なのはその状況に気づいて自覚すること。何よりも困るのは、忖度がはらむさまざまな問題に気づかぬまま長年過ごしているうちに、手遅れになったり、一気に問題が噴出したりすることだ。

このように、はっきりした自覚症状がなく、危険を自覚しないまま放置しているうちにどんどん進行し、ある日突然命にかかわる状態になって初めて重大性に気づく病気を「サイレントキラー(沈黙の殺人者)」と呼ぶ。代表的な病気が高血圧で、放っておくと脳卒中や心筋梗塞などを発症し、生命の危機を招きかねない。

厄介なことに、「忖度疲れ」は「サイレントキラー」になりうる。伝統的に「世間」を気にし、「空気」に流されやすい日本人は、半ば反射的に忖度してしまい、「忖度疲れ」に陥りやすいが、そのことに気づいていない方がほとんどだ。それをまず自覚すべきである。

2)観察と分析

あなたをがんじがらめにしている忖度のクモの糸を解きほぐし、場合によっては断ち切るのに必要なのは観察と分析だ。まず、一歩引いて、なぜあなたは忖度するのかを見極めなければならない。

その際、自らに次の質問を投げかけてみるといい。

何を失うことを恐れているのか?
どんな見返りを期待しているのか?
誰に認められたいのか?

この3つの質問に対する答えをじっくり考えて、自分自身が忖度する理由を分析しよう。たとえば、あなたが会社員で、つねに上司の意向を気にかけており、上司の希望を察したら、それを満たすべく最大限の努力をしている場合。あなたのやっていることはまさに忖度であり、3つの質問を自分自身に投げかけることによって分析するのだ。

まず、失うことを恐れているのは、やはり現在の安定した生活、そして上司からの評価のはずだ。次に、見返りとして期待しているのは、昇進や昇給だろう。さらに、上司に認められたいという承認欲求が強いからこそ、忖度する。

このように自分が忖度する理由を分析することによって、さめた目で自分自身を眺められる。その際、「自分が失うことを恐れている評価は、それがなければ生きていけないほど大切なものなのか」「忖度すれば実際に見返りが得られるのか」「忖度すれば本当に認めてもらえるのか」などと、少々意地悪な質問を自分自身に投げかけるべきだ。

最終的には「忖度することは、自分が生きていくうえで必要不可欠なのか」と自問することをお勧めする。その結果、自分が失いたくないものを守るためにある程度の忖度はやむをえないと思えば、忖度を続けていくしかない。ただ、あくまでもさめた目で、忖度がもたらすメリットとデメリットをはかりにかけながらである。

忖度したら、報われる?

逆に、自分が失うことを恐れていたものは、それがなければ生きていけないほど大切なわけではなかったとか、忖度しても必ずしも報われるわけではないと気づいたら、しばらく忖度をやめてみることをお勧めする。

忖度するのが当たり前になっていた方は、全然忖度しなかったら、人間関係がぎくしゃくするのではないかと危惧なさるかもしれない。しかし、実際には、必ずしもそうなるわけではない。むしろ、忖度のクモの糸から解き放たれて、余計な気苦労をせずに済むはずだ。

3)あやふやなままにせず明確にする

日本社会で忖度がはびこるのは、「空気」に支配されやすいからであり、先述したとおり、その一因に「言語の否定」がある。とすれば、忖度の弊害を減らすには、できるだけ言葉にして伝えるしかないということになる。つまり「言わなくてもわかる」という思い込みを捨てることが必要だ。

これは、自分の身を守るうえでも大切なことである。というのも、狡猾な人ほど、自分の要求をはっきり言わずに、欲しいものを手に入れようとするからだ。それとなくほのめかしはするものの、何を望んでいるのかは決して明確にしない。他人に因縁をつけて金銭を要求する悪人が、「カネをくれ」などとは決して言わず、「誠意を見せろ」と脅すのと同じである。

こういう場合は、たとえ何を要求しているのかうすうす察しがついていても、しらばっくれるのが1番だ。だから、わからないふりをする、もしくは「誠意とはどういうことでしょうか?」「どんなふうに誠意を見せればいいのでしょうか?」などと尋ねることをお勧めする。向こうはいら立って暴言を吐くかもしれないが、そこで恐れをなして、中途半端に忖度などしてはいけない。あくまでも、「言葉ではっきりおっしゃってください」という態度を貫くべきである。

同様の態度を、言葉ではっきり伝えずに仕事を押し付けて責任転嫁しようとする同僚に対しても示すほうがいい。たとえば、同僚が、本来自分が作成すべき書類を、黙って、あなたの机の上に置いているような場合である。あなたが引き受ける筋合いのない仕事ならば、無視して差し支えない。

もっとも、狡猾な人ほど、罪悪感をかき立てて責任を押し付けるようなことを平気でする。「お互いに助け合わなければならない」という一般論を持ち出したり、「協調性がない」とあなたを責めたりして、何とか仕事を押し付けようとするかもしれない。

このような手口に乗せられてはいけない。「どういう理由で、あなたの仕事を私が代わりにやらなければならないのですか?」「なぜ、あなたがこの仕事をしないのですか?」などと質問して、仕事を押し付けようとした理由を明確にしておくほうがいい。

気まずい思いをしたくないから、あるいは波風を立てるのが嫌だからということで、同僚の気持ちを忖度して1度でも引き受けてしまうと、その後もずっと押し付けられかねない。そうなれば、向こうの思うつぼである。こうした事態を避けるためにも、最初に明確にしておかなければならない。

向こうの説明があいまいだったら、さらに尋ねて、決してあやふやなままにせず、明確にするのだというこちらの意思を示しておくべきだ。そうすれば、手強い奴と思われて、敬遠されるだろうから、余計なことを押し付けられずに済む。

「空気が読めない」ことを逆手に取る


このようにできるだけ言葉で明確にすることを続けていると、「空気が読めない」と中傷されるかもしれない。しかし、忖度は日本社会の宿痾であり、その最大の原因が「空気」の支配である以上、「空気が読めない」ことを逆手に取ったほうが生きやすい場合もある。「空気が読めない」人は、当然「空気」に支配されることもないのだから。

もちろん、「空気」をある程度読むことは、組織の中で生き延びるために必要だろう。ただ、その「空気」を何となくおかしいと感じるセンサーの感度が低下しないように気をつけなければならない。

そして、何となくおかしいと感じたら、あえて忖度しない勇気、時には水を差す勇気を持ちたいものである。