11月23日、自由民主党の総務会長が以下のような凄まじい失言をしているのを目にしました。

 「天皇皇后両陛下が国賓を迎えて開く宮中晩餐会で国賓のパートナーが同性だった場合、自分は晩餐会への(同性パートナーの)出席には反対」

 さらにその背景として「日本国の伝統に合わない」云々という、言うも恥ずかしい教養の欠如振りを見せている。あまりにも突っ込みどころ満載な、このお粗末な報道から、いくつか問題を考えてみたいと思います。

[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

婚姻制度は文化によって違う

 あえて名前などは記しませんが、くだんの政治家さんは、フランスのフランソワ・オランド前大統領が国賓として来日した際に、宮中晩餐会に事実婚のパートナー女性を伴って参加したことを取り上げたそうです。

 そのうえで「奥さんではないパートナー女性が天皇皇后両陛下と並んで座るのに、宮内庁がどう対処すべきか悩んだ」そうです。

 しかし、まず「悩む」方がおかしいし、さらにそこで「日本国の伝統」を持ち出すのは相当変なことです。

 例えばアラブの首長が来日したとしましょう。イスラムでは妻を4人まで持つことが可能です。

 仮に、アラブの王様と「第1夫人」「第2夫人」「第3夫人」「第4夫人」と、ずらーっと並んだ奥さんたちがやって来たとししましょう。

 そこで日本側が「日本国の国情に合わないから」とか「伝統が・・・」とか言って、第2夫人以下を締め出すというようなことがあるとすれば、いったいどれほど外交的にマイナスか・・・。

 と言うより、自国の風習を他の文化に押しつけるくらい、やってはいけないことはないわけです。そんな外交音痴は亡国の挙と言わざるを得ない。

 そもそも「宮中晩餐会」に日本の伝統を持ち出すのがおかしい。

 たかだか明治以降、もっと言えば現行のものは戦後のここ数十年の話であって、日本国の伝統ではなく、今日の国際情勢を見ながら、適切に国賓を非礼のないようにお迎えするのが、外交であり「お・も・て・な・し」というものでしょう。

 そもそも、イスラムであれば妻は4人までと節度ある上限が示されていますが「日本国の伝統」はどうでしょう?

 近代に限っても、例えば、宮中晩餐会に関わりがある例で考えるなら、明治天皇には、明らかに分かっているだけで「側室」が4人は存在しています。

 大正天皇は明治天皇の息子ですが、お母さんは明治天皇の皇后ではありません。柳原愛子典侍、通称「二位の局」が天皇の生母で、明治天皇は后である昭憲皇太后こと、病弱であったとされる一条美子との間には子供がありません。

 ここ20年ほど、皇位継承をめぐって女帝問題など様々な議論があります。これらについては別論としますが、少なくとも封建時代以前、領主とか君主といわれる人たちの1つの仕事は、血統を絶やさないことです。

 近代以降の明治天皇ですら正妻と側室4で5人の妻、妻でない女性の数などは正確に把握できない状態が「日本の伝統」の1つの切り口にほかなりません。

 ちなみに、どの程度正確な数字か分かりませんが平安時代初期の帝である嵯峨天皇には皇子が23、皇女が27、合計50人の子があったそうで、当然ながら皇后(橘嘉智子)以外にも記録に残らない人まで含め、多くの「妻」がありました。

 あまりにも皇子が多いので、これらを皇族として税で養うのには限界があり、そこから「皇室に起源を持つ臣下」に臣籍降下して「源氏」という姓ができるわけです。

 どこかの政治家の日本の歴史や文化の認識では、源氏物語も源平の戦いも鎌倉幕府も「日本国の伝統」と無関係になるようで、これはまた面白い独自研究もあったものだと思います。

 観光絵葉書以前の印象で「伝統」のような言葉を振り回す政治屋業種も問題なら、それで右往左往するなら、有権者の教養水準が低下していると言わねばなりません。そんなことでは日本の伝統が泣くでしょう。

 言うまでもありませんが、現行の日本国憲法と真っ向から矛盾する、こうした多重婚を「日本の伝統」云々で是認するという話ではありません。

 「誤読以前」はご勘弁いただきたい。文化の多様性に対して外交は謙虚であるべきで、特に宮中晩餐会といった場所について、思いつきの陣笠アドリブは、相当危なっかしいというのが第1点です。

同性婚の国賓パートナーを排除すべきか?

 さらに、どこかで言及されていた「同性婚」の国賓、これは具体例を挙げる方がいいでしょう。

 ルクセンブルク大公国の首相 グザヴィエ・ベッテル(1973-) はフランスやギリシャで学んだ弁護士で、21世紀初頭にはテレビ番組の司会もしていた多才な人です。

 ルクセンブルク市長を経て2013年、アンリ大公から組閣の大命を受けて34年ぶりの政権交代で首相になります。

 ときに40歳の若さでしたが、自らルクセンブルク内での同性婚を合法化し、2015年、ベルギー人の男性建築家ゴティエ・デストネ氏と結婚します。

 2013年、ベッテル首相とゴーティエ氏はローマ教皇フランシスコから招待を受け、バチカンで祝福を受けています。

 これに先立ち、フランシスコ教皇は、ローマ教会が長年にわたって性的マイノリティに対して迫害を加え続けてきたことに「謝罪すべき」と繰り返し声明を発してもいる。

 これと対照的でみっともなかったのがドナルド・トランプ政権のお粗末な対応でした。

 NATO(北大西洋条約機構)首脳会議に集まった各国トップ「配偶者の会」で、メラニー夫人などと並んで唯一男性として参加したゴーティエ氏の名を、ホワイトハウスの公式フェイスブックでは削除して発表したのです。

 当然ながら轟々たる非難を浴び、修正するという失態を演じています。

 欧州では、アイスランドの女性首相ヨハンナ・シグルザルドッティル(1942-)が首相在任中の2010年に長年の生活パートナー、脚本家のヨニナ・レオスドッティルと「同性婚」入籍して、先進的な例として世界の注目を集めました。

 ただ、これは少し冷静に見る必要があるケースで、シグルザルドッティル元首相はかつて男性と結婚、2児を育てたのちに離婚。

 政治家として活躍し首相まで務める日常生活を、あれこれうるさいことのない生活のベストパートナーと言うべきレオスドッティル女史と送ってきたもので、入籍時点で68歳。

 残りの人生をどのように生きるか、という生活の選択でもあって、単に「性的マイノリティのリべレーション」といった風潮だけで見ると、大切な一面を見失うことになるように思います。

 ほかにも、男性の生活パートナーを持つ政治家は欧州に多く、ベルギーのエリオ・ディ・ルポ元首相(1951-)、フランスの元パリ市長ベルトラン・ドラノエ氏などの例が知られています。

 ドラノエ・パリ市長は初期の例として暴漢に襲われて重症を負ったりしていますが、ルクセンブルクのベッテル首相が「すでにルクセンブルク国民は、そんなこどどうでもよいと思っているようだ」と述べているように、ことさらに取り沙汰されていない。

 むしろそこに注目したいと思います。

 ある政治家が、例えばポニーテールが好きだろうと、ミニスカートが好きだろうと、それでセクハラなどに及ぶなど悪影響のない限り、政治家として大事なのは政策実行能力であって、それ以外の要素があれこれ取り沙汰されるのは、そもそも本質的ではありません。

 むしろここでは、さらに進んだ点を記しておきましょう。ベルギーのディ・ルポ元首相は、エリオ、という名や苗字にディが入ることから分かるかもしれませんが、露骨なイタリア系です。

 さらに、ルクセンブルクのベッテル首相の伴侶はベルギー人の男性建築家、性別のみならず国籍も国境も自由自在になっている。

 マーストリヒト体制・ユーロ導入から10年を経た2010年以降の欧州では、様々なボーダーが現実問題として壊されており、島国日本の「独自の価値観」とは、かなりかけ離れたものになっている。

 日本で首相のパートナーが同性かつ隣国人なんてことがあるか、考えてみるといいでしょう。

 私たち音楽の世界もそうですが、仕事をきちんとしていればプロとして一流であって、その人がどういうプライバシーであるか、など問うこと自体が、全く的外れという冷静な分別にこそ、注目すべきと思います。

 では「同性婚」を奨励すべきか?

 と問われるなら、日本での制度導入に私は非常に慎重でもあるのですが、長くなりましたので、そうした話題は稿を分けてお話したいと思います。

筆者:伊東 乾