川上典子さん(仮名、53歳)は佇まいに育ちのよさを感じる普通の女性だ(編集部撮影)

この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
今回紹介する女性は、家族の介護により離職せざるをえなかった53歳のシングルマザーだ。彼女は中学から都内の有名女子校に進学、何不自由のない家庭で育った。

介護離職から終わりのない貧困に苦しむ


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都心部にあるおしゃれエリア。利便性が高く、昔からたくさんの芸能人が居住する。その超人気エリアにある川上典子さん(仮名、53歳)の自宅に向かう。

急行停車駅を降り、昔ながらの商店と、おしゃれな飲食店が並ぶ長い商店街から住宅街に入る。軽自動車がやっと通行できる4メートル道路を何度も曲がり、車道のない私道に入る。おしゃれな雰囲気は消えた。老朽化した木造住宅が立ち並ぶ。さらに舗装されていない1メートルない道を抜け、強引に建築したのか、掘っ建て小屋のような接道のない老朽木造アパートに着いた。

家賃5万2000円、生活保護者をターゲットにした福祉物件だ。5万円台前半はこの地域では破格の賃料である。しかし、劣悪だ。再建築不可で四方はベタ付きで住宅が建ち、24時間ほとんど日は当たらない。舗装されてない歩道は泥が湿る。携帯電話で到着を伝えると、いちばん手前の部屋から川上さんが出てきた。木造のドアを開けたとき、なにかが軋(きし)む嫌な音がした。

「築50年くらいの物件です。住人は、私以外はみなさん生活保護の方だと思います。すき間風がすごいので寒いです。冬になると毛布をかぶって凍えながら生活しています」

川上さんは雰囲気、佇まいに育ちのよさを感じる普通の女性だった。バツイチで、22歳になる娘がいる。現在は隣区の大規模病院に事務職として時給1090円で非常勤雇用され、月給は手取りで12万円ほど。長年経済的に困ることのない暮らしを送っていたが、8年前に介護離職をしてから終わりのない貧困に苦しむ。

「自分が貧困みたいな立場になるとは、実際にそうなるまで夢にも思いませんでした。今思えば、正規の仕事を辞めたことがいちばんの理由です。それとずっと普通の暮らしをしていたので、社会のこと、世間のことをなにも知らなかった。もうなにもかも遅いですが、振り返れば、貧困を回避する選択肢はあったと思う。自分の無知によって、貧困みたいになってしまいました。本当に世間知らずでした」

かび臭く、薄暗い部屋の中でそうつぶやく。部屋は話が隣に聞こえてしまうという。駅前のカラオケボックスで、なぜ厳しい現状になったのか聞くことにした。

東京出身、バブル世代に多かった恵まれた中流家庭育ちだった。父親はマスコミ関係者、中学からお嬢様系の有名一貫校に通った。まじめな性格で成績もよく、指定校推薦で有名私大に進学した。就職のときは空前の売り手市場で、1部上場企業から何社も内定をもらった。

「元夫との結婚は27歳で、同じ会社でした。結婚と転勤がきっかけで会社は辞めました。夫は当時年収500万円くらい。私はパート程度で、全然普通の暮らしができました。29歳で出産して、33歳で離婚です。元夫はバツイチで、元奥さんに子どものことを相談されたとかで頻繁に会っていた。それで気持ちが冷めてしまって、言い争いみたいなことが増えた。養育費もなにももらわずに離婚してしまいました。そのときは1人で娘を育てることはできると思っていて、不安はなかったです」

母子家庭になった。一度実家に戻り、生活を立て直した。隣県にある家賃3万円の公団住宅に申し込んだら当たった。また、公団の近くにある国公立大学の教授の秘書として採用された。正規雇用で年収400万円ほど。給与、児童手当と児童扶養手当をもらえば、生活に困ることはなかった。

「毎月、何万円か余るので貯金もできました。団地には母子家庭じゃなくても、働いているお母さんが多かった。休みの日、子どもの面倒をみるみたいな助け合いがあって助かりました。経済的には少し余裕はあったし、大丈夫かなと思って娘を私立中学に行かせました。自分もそうだったし、公立が荒れていたので」

姉の介護が始まった

進学した私立中学を聞き、驚いた。県内最難関の東大進学者も多い中学高校で、検索すると偏差値を70超えている。なにかがおかしくなり始めるのは娘の中学進学の頃。まず、実家の父親が亡くなった。

「娘が中学1年のとき、父は亡くなった。私に2年年上の姉がいて、姉は精神的に問題を抱えていた。大学卒業から仕事をしないで、ずっと実家にいました。数年前に亡くなった母の代わりに家事をして、父がいなくなって1人になった。もともと危うい状態でしたが、1人になって本格的に病んでしまいました。つねに誰かがそばについていないと、という状態です」

27歳で家を出て、母子家庭ながら自立した暮らしをしていた。働いたことのない姉のことは心配で、実家の不動産など、財産の相続はすべて姉に譲った。

「家も姉に渡しました。それで父の死から2年後、関西の精神病院から私に電話がかかってきた。姉が入院して家族の方に来てほしいって。姉は実家を売ってマンションを買い、関西に引っ越していた。知らなかった。もう、こっちはなにがなんだかわからなくて、それから遠距離なのに姉の介護が始まったんです。とりあえず1年ぐらいは関西と行き来しながら仕事を続けました」

姉は医師から統合失調症と診断された。誰かに見張られている、盗聴されていると言い張って、東京から関西に引っ越していた。長期間の入院はできない、月に何度かは自宅に帰ってほしいと、病院から言われた。月に何度も関西に行く生活になった。

姉には貯金はなかった。不動産業者に実家を安く買いたたかれ、マンションを高額で購入させられたことで、父親が残してくれたおカネはきれいになくなっていた。中学生の娘を抱えながら、常勤で働き、さらに遠い関西で姉の介護がはじまった。

「新幹線を使えば、往復の交通費だけで3万円です。入院費を筆頭に医療費は、全額私が負担しなきゃいけなくなりました。月に少なくても10万円、多いときは30万円くらいかかりました。どうしても関西に行けないとき、自費でヘルパーさんを頼みました。1日1万円くらいかかります」

病状は悪化の一途だった。介護者の重要な役割は薬の管理で、第三者が見ていないと服薬しているかどうかわからない。服薬を怠ると自殺未遂をする、川に飛び込む、マンション共有部で絶叫して暴れるなど、頻繁にトラブルが起こった。

病院に呼び出され、トラブルのたびに連絡がきて、勤務先にも迷惑がかかった。時間はいくらあっても足りない。働きながら遠距離介護が始まって1年、限界だと思った。これ以上、不安定な生活を続けて勤務先に迷惑はかけられないと、退職届を出してしまった。

誰に相談すればいいかすらわからない

介護離職したのは2011年、47歳のときだ。学歴はそれなりに高く、新卒の頃から求職で苦労したことはない。現在の職場を辞めても、なんとかなると思っていた。

「今思えば、当時は思考回路が正常ではなかったです。とにかく今、目の前の姉をなんとかしなきゃいけないという意識が強かった。500万円くらいの貯金はあって、今の厳しい状況を乗り切ってすぐに働けばいいと思っていました。姉は全然よくならなくて、貯金はどんどん、どんどん減っていきました。1年間でおカネはほとんどなくなって、どうにもならなくなりました」

1人で背負い込んで、抱え、悩んだ。家族の介護は誰にも相談ができない。後先を考えずに目の前の姉の介護をこなし、時間は過ぎていった。

「姉の居住地の役所に行くだけでも、大変なことです。なにか相談したくてもたらい回しにされるし、精神病院も家族の相談とかは聞いてくれません。当時は介護保険とかも充実していない時期で、なにを頼っていいのか全然わからなかった。混乱している間におカネがなくなって、姉も目を離したすきに電話線を切ったり、盗聴されているって家の窓という窓を新聞紙とガムテープで潰したり、めちゃくちゃでした」

現在は医療、介護など、社会保障の縮小が国の課題だ。病院は入院を減らして医療保険を圧縮し、介護保険が適用される介護は必要最低限にという流れがある。各自治体で厚生労働省の意向で地域包括ケアシステムの構築に動くが、簡単にいえば、病院や介護施設から自宅に戻し、地域と家族が面倒をみるという施策だ。

川上さんは恵まれた家庭で育ち、責任感が強い。それが災いした。限界を超えて姉の介護を背負ってしまった。悪い言葉でいえば、責任感の強い川上さんのような家族の存在は、病院や余計なおカネを使いたくない自治体にとってはありがたい。

自立して生活ができないのは、同居家族ではない姉。介護休業は使えない。姉はマンションを所有するので生活保護は利用できない。家族の介護者は放置される存在なので、自分が苦しいばかりで、ずっと誰に相談すればいいかすらわからない状態が続いた。

今振り返ると、病院や自治体から電話がかかってきても「私は東京に家庭と仕事があるので無理です。行けません」と、姉を見捨てるしかなかったか。家族がいない状態だと責任は自治体となり、トラブルを起こせば、おそらく措置入院となる。

娘は、叔母の介護で混乱する母を理解した。1人で留守番をしながら勉強を続けて、超進学高の1年生になっていた。

【12月4日18時追記】 初出時、この箇所に<弁護士になりたいという夢があった。家庭に迷惑をかけないようお茶の水女子大学法学部に進学し、「頑張って司法試験を突破するから」と言っていた>との表現がありましたが、この内容は誤りだったため12月1日午前9時に当該箇所を削除しました。重要な訂正を行った場合には注記を行うことが編集部の方針ですが、漏れがあったことをお詫びいたします。

貧困の数だけ、子どもの夢は潰れていく

介護離職によって家計は破綻した。1年間以上世帯には収入がない状態で、子どもの貧困に該当する。

「結局、貯金も全部、蓄えはなくなりました。無一文に近い状態です。どうしても学費が払えなくなって、娘は高校1年から2年になる春休みに退学しました。現実を伝えたとき、泣いていたけど、文句ひとつ言わずに通信制の学校に転校してくれた。本当に娘には苦労をかけています」

高校退学する直前、川上さんは何度も学校に延納を頼んでいる。この1年間の家庭の事情を全部話して先生に頼み込んだ。

「学費はどう考えても払える状態じゃありませんでした。でも、学校から『辞めてください』とは絶対に言わない。どうしますか、どうしますかと、根拠ある支払い計画を求めてくる。なんとかして払いますではダメで、納得してくれません。時間をくださいというのもダメで、辞めますという返答を待っていました。結局、退学しますと言いました。先生たちはホッとした表情になっていました」

高校退学しても挫折することなく、アルバイトをしながら学費と自分の生活費を稼ぎ、お茶の水女子大学を目指した。順調に通信高校は卒業して大学受験した。第1志望は合格にはならなかった。難関私立大学に合格し、貸与型の奨学金で進学した。しかし、1年で断念している。

「今は働いています。大学中退したのは、これ以上、借金を増やせないって理由でした。成績はよかったのですが、傷は浅いほうがいいって辞めてしまいました。私はおカネを出せる状態じゃないし、もったいないとは思いますが、娘の選択です」

貧困の数だけ、子どもの夢は潰れていく。

45歳で介護離職、47歳で経済的に破綻した。生きるために仕事を見つけなければならない。

「ハローワーク、インターネットの求人サイト、フリーペーパーとあらゆる求人を見て応募しました。全部、断られる。本当に何十件も断られて、おかしくなりそうでした。原因はおそらく年齢だと思うのですが、最終的にはスーパーのレジもダメでした」

正社員どころかパートすら決まらない状況で、姉が通う病院からは容赦なく請求書が届く。払えない。何度も電話で謝って、支払いを延ばしてもらった。限界だった。

「やっと病院での仕事も決まった。でも、時給で月の給与払いなので働いてからお給料になるまでに2カ月くらいかかる。請求がたくさんきてどうにもならなくなって、個人融資っていう闇金に手を出してしまったんです。私、闇金って存在すら全然知らなくて、大変なことになりました」

個人融資とはこの数年に出てきた新しい闇金だ。債務者を掲示板などで見つけ、即日おカネを貸す。金利はすさまじく、川上さんが借りたのは5万円。元金5万円で10日2万円の利子がかかるというシステムで、免許証を写メするとすぐに5万円から利子が差し引かれた3万円が振り込まれた。10日後に5万円を支払う、利子2万円を支払ってジャンプする、どちらかが求められる。

「結局、5万円を返すことができなくて、10日ごとに2万円をまじめに返していました。結局、何度も払ってから5万円を返しました。そうしたら相手は、また勝手に3万円を振り込んできて、終わらせてくれなかった。警察にも行きました。警察から警告してもらっても終わらなくて、職場に何度も電話がかかってきたり、ピザを大量に頼んだりと嫌がらせもされた。せっかく見つけた仕事もクビになりました」

まじめな川上さんは、闇金にとっても餌食にさせやすかった。強引にでも貸し出せば、返済をしてくる。闇金は川上さんから徹底的におカネを引っ張り、結局、たった3万円の振り込みから始まって総額100万円近くを支払ったという。

「闇金から逃げるために今の部屋に引っ越して、昔の職場の先生に泣きついて、今の病院を紹介してもらった。だから、普通の生活が送れるようになったのは一昨年です。大学退学した娘はシェアハウスを借りて、なんとか自立しています。今後どうなるかわかりませんが、姉も落ち着きました」

まじめな人がとことん損をする

川上さんの話は終わった。娘の高校退学あたりで涙目になっていたが、“まじめな人がとことん損をする”典型的な話だった。家族の介護には誰も同情しない、国も社会保障は地域や家族に限界まで押しつける流れがある。彼女に降りかかった介護離職から始まった悲劇は、これからどんどん増えるはずだ。

「介護離職したことは本当に後悔して、仕事がまったく見つからなかったとき、生活保護も受けるべきだったと思いました。行政とちゃんと話をする知識があればよかった。それに苦しい人をさらに苦しめる闇金みたいな人たちがいることも、本当に知りませんでした」

姉の介護を拒否し、闇金には即元金5万円を支払い、携帯電話を変えれば終わった話だ。善意ある人がとことんむしられ、その子どもたちまでが容赦なく被害をこうむる。老朽化した部屋ですき間風に凍える川上さんの姿は、現在のなにか歯車が狂った社会を映しだしていた。

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