28日、新浪軍事は、1980年代に日中がほぼ同時に国産戦闘機の開発に乗り出したにもかかわらず、今では中国が日本を大きく引き離しているとする記事を掲載した。資料写真。

写真拡大

2017年11月28日、新浪軍事は、1980年代に日中がほぼ同時に国産戦闘機の開発に乗り出したにもかかわらず、今では中国が日本を大きく引き離しているとする記事を掲載した。

記事は「1980年代、日本の航空工業はピークを迎えていた。F15を改造したF15J戦闘機を完成させ、模倣から自主生産への機運が高まる中で、F1に代わる新世代戦闘機FS−Xの開発プロジェクトが立ち上がった。この時期、中国ではJ10戦闘機の研究開発が進められており、日中両国はほぼ同時にスタートラインに立っていたのだ」と紹介。「しかし、日本をコントロールできなくなる可能性を恐れた米国は圧力を掛け始め、結局、日米合同開発という形で88年にF16CをベースとしたFS−X、後のF2戦闘機の開発が始まった。米国がエンジンを提供して日本が組み立てるという形で95年1月にプロトタイプ機がラインオフし、10月に初飛行に成功。かたや、中国のJ10の開発は日本から3、4年遅れていた」とした。

日米共同開発となったF2戦闘機はその後、2000年に量産型が納品された。記事は「本来、日本にとっては記念すべき喜ばしい日であったはずだが、喜べない人たちもいた。なぜなら、その設計は米国の戦闘機をベースとしたものであり、米国のしがらみから脱して自前の新しい戦闘機を開発できなかったからだ」と指摘。「中国はJ10の開発によって技術的な過渡期を終え、今やJ20を開発するに至った。一方で日本は今も同じ場所で足踏みをしており、次世代戦闘機実証機の『心神』でも全体的なレベルアップを実現することはできなかった」と論じた。

さらに、「F2戦闘機はわずか98機を製造しただけで11年に生産終了となった。生産数の少なさは単価を大きく引き上げ、世界の同タイプの戦闘機に比べて2倍、3倍という高値になった。しかも、同年3月11日の東日本大震災で18機が損傷し、少なくとも5機が修復不可能と判定された。その後、複合材料製の翼など多くの新技術をF2の改造機に注ぎ込もうとしたが実現せず、レーダーなどのグレードアップにとどまった。その理由は、財政難に加えて、技術的に成功する保証がなかったからだ」としている。

記事は最後に「現在の戦闘機分野で、中国は日本をはるか遠くに置いてきた。その差はますます明らかになっている。自らの手で発展させることができないということこそ、日本が抱える最大の悲哀かもしれない」と結んでいる。(翻訳・編集/川尻)