AIで人間が不幸にならないようにうまく共存するには?(写真:iLexx / PIXTA)

日本経済は人手不足の様相を強めている。失業率は2017年9月には2.8%に低下し、特に有効求人倍率は1.52倍と、バブル期のピークだった1990年7月の1.46倍をも超える高さだ。団塊世代が65歳を超えた2012〜2014年以降も、毎年150万人を超える人が65歳を迎えて年金生活に入っていくのに対して、15歳を迎える人口は120万人に満たず、毎年30万人以上ずつ生産年齢人口が減少していく。今後も高齢化による労働力の減少が続き、高齢者や女性の労働参加を考慮しても、しばらくの間は労働需給がさらにひっ迫するだろう。

しかしもっと先を考えると、AI(人工知能)の進歩で機械が人間の行ってきた仕事を担うようになるという動きが加速し、人間の仕事はなくなっていき、世界的に労働力過剰という事態が出現する可能性がある。

『デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか〜労働力余剰と人類の富』(東洋経済新報社、2017)で、著者のライアン・エイヴェントは、コンピュータは蒸気機関や電気と同様の汎用技術でとてつもない力を持ったものであることや、デジタル革命は人類に多大な恩恵をもたらすので後戻りできない流れであることを指摘し、社会が直面する課題を論じている。以下ではこの議論を参考に影響を考えてみたい。

AIの発達で拡大していく格差


この連載の過去記事はこちら

AIが発達していけば、最終的には人間がまったく働かなくても社会全体としては有り余るほど豊富な生産物が供給できるというSF小説に出てくるような世界が実現する可能性がある。

どんなものでも価格は需給で決まるというのが経済学の「キホンのき」であり、空気のように必要不可欠であっても希少性のないものの価格はゼロか極めて低価格だ。英国の経済学者ライオネル・ロビンズは、経済学を希少資源の最適な使用についての学問だと定義したが、誰もが欲しいものを欲しいだけ入手できるようになる世界では経済学は無用になるのだろう。

しかし、MIT教授の物理学者であるテグマークの "Life 3.0: Being Human in the Age of Artificial Intelligence"(Max Tegmark, Knopf Doubleday Publishing Group, 2017)によれば、そもそもこの夢のような状況が実現可能かどうかや、それまでにどれくらいの時間がかかるのかについては、専門家の間でもコンセンサスはないという。

少なくとも短期間で実現するとは考えにくく、まだ何十年かの間は、生活を支えるすべてのものは、価格が低下していくものの有料である。必要なものを手に入れるためには、人々は何とかして所得を得る必要があるという状態が続くとの前提で将来を考えるのが無難だ。ところが、AIが発達していくことで機械に仕事を奪われ、所得が得られなくなる人が多数生まれてしまうおそれがある。

デジタル革命は、社会に非常に大きな利益をもたらすが、プラスの面ばかりではない。


たとえば、シェアリング・エコノミーの拡大によって、多くの人がフリーランスとして、あちこちから単発の仕事を請け負って生計を立てるという選択肢を持つようになったことだ。

会社に所属して規則に縛られて働かなくても、自分が働きたいときだけ働くということが可能になったが、その反面、米国ではこれまでのフルタイムの仕事では、普通の生活をするために十分な仕事量と収入が得られないケースが増えてきている。

Uberの登場でお客を奪われたタクシー運転手の所得は大きく下がったはずだ。所得の減少を補うためにやむを得ず副業に従事する人が増えており、必ずしも積極的にフリーランスの仕事を選んでいるわけではない。そもそも遠からず自動運転の技術は確立すると見られており、Uberで運転手として自分の都合に合わせて働いて収入を得ている多くの人も、仕事と収入の道を失うことになるだろう。

「高等教育で高所得が得られる」は楽観的すぎる

18世紀半ばに産業革命が起こったときには、織物の職人などが仕事を失ったが、こうした人たちは数のうえでは全体からみればごく一部に過ぎず、農業を離れて工場で機械を操作する職を得て所得が高まった人のほうがはるかに多かった。生産物の供給が増えて価格が低下し、多くの人が購入できるようになったこともあって、社会の平均的な生活水準は大きく高まった。

近年では、製造業で自動化が進むことで中程度のスキルの仕事が消えたため、職を失って低所得のサービス業の仕事しか見つからない人が増えた。一方で、ITを活用できる人たちの生産性は大きく上昇した。コンピューターや専門・技術的職業を持つ人たちの収入が上昇して所得格差が拡大しているため、高等教育への進学率を高めることが問題の解決策として提言されることが多い。

しかし、米国では既に大学卒の給与水準は頭打ちとなっていて、高い賃金が得られるのはさらに高度な教育を受けた大学院卒で、修士号や博士号を持つ人たちに限られている。日本では高等教育機関(大学以上)への進学率は50%を超えているが、必ずしもそれに相応しい能力を身に付けていないということが問題とされることがある。誰でも一定の努力をすれば、高度な知識・能力を活用できるようになり、高い所得が得られると考えるのは楽観的に過ぎるのではないか。

AIが進化して行けば、現在はAIで代替することは難しいとされている仕事に就いている人たちも安泰ではなくなる。少し昔にはコンピューターが囲碁で人間に勝つようになるのはまだ先のことだと考えられていたが、今や世界最強といわれる棋士でもコンピュータにはまったく歯が立たない。人間が必要な分野はどんどん縮小していくだろう。

AIによる自動化が図られるのは、それが容易な分野だけでなく経済的な利益が大きい分野も、である。企業にとっては、高賃金の仕事ほど機械で置き換えるメリットが大きい。低賃金で機械化の利益が小さいところや、雑多な作業で対応が難しいものが人間が行う仕事として残され、生活を支えるために多くの人がこうした仕事を得ようとして争うことになる恐れが大きい。

ベーシックインカムは解決策にならない

デジタルエコノミーの拡大で生まれる失業者を救済するために、「すべての国民に、生活に必要な最低限の所得を給付する」というベーシックインカムの制度を設けるべきだという人もいある。これについて、エイヴェントは最低賃金の引き上げよりは有望だとしている。しかし、職を失っても生活が保障されるという意味では朗報だが、あくまで最低限度のセイフティーネットに過ぎない。一部の人が現在は想像できないような豊かさを享受する一方で、多くの人の生活水準は大幅に低下してしまうという著しい格差が生まれることを防ぐことはできないのである。

AIを活用した研究開発が一部の人たちの生活水準を高めることに集中すれば、一部の人だけが豊かになり、多くの人たちの生活水準は大して向上しないということも起こるだろう。老化や癌などを克服するための研究にAIやさまざまな資源を集中的に投じれば、人間の寿命を大きくを延ばすことができ、今の時点では信じられないほど長寿となる可能性もある。

しかし、こうして開発された先進的な医療技術は著しく高額で、ベーシックインカムに依存して生活する多くの人たちはまったく手が届かないに違いない。例えば、現在免疫細胞を遺伝的に加工して癌に対する攻撃力を高めるという治療方法は驚異的な治療成績を収めているが、1回の治療に5000万円以上もかかると日経新聞は報じている(日本経済新聞夕刊、11月14日付)。

そもそも資源・エネルギーの制約があるので、誰でも欲しいものが何でも欲しいだけタダで手に入るという世界は永久に実現しないのかも知れない。ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房、2014)が警鐘を鳴らしたように、AIやこれを使った生産設備を保有している人たちとそれ以外の人たちという資産格差が、所得や寿命などの格差を拡大再生産していってしまうおそれもある。

長期停滞の背景には富の一極集中があるとエイヴェントは指摘する。確かに、20世紀半ばに工業化が進む中で格差が縮小したのは、経済的な必然の結果ではなくソ連などの計画経済国家という脅威の存在や、大恐慌の影響でさまざまな制度の変革が行われたことも大きな要因だったと考えられる。

「神の見えざる手」に任せておけば?

AIが人間の能力を超えていけば、生産を行うためにはどうしても人間が必要だという前提が崩れ、労働者は生産性(厳密には限界生産性)に等しい賃金を得るとか、生産の中から労働者が受け取る割合である労働分配率はほぼ一定であるとかいう世界ではなくなってしまうはずだ。「正統派経済学の終焉」という主張が、現実のものとなるかも知れない。

ノースウエスタン大のゴードン教授など技術進歩の速度低下を指摘する声は多いが、むしろ社会変化の速度は速くなっているように見える。親の経験は子供たちが将来を考えるにはまったく役に立たず、制度や人々の生活スタイルや考え方、行動が社会変化について行けないほどだ。

テグマークの言うように、AIの発展を未来の社会にとって良いものにするためには、これをどう受け止めるのかという議論が必要だ。デジタルエコノミーの発展は人類に想像できないような豊かさをもたらすことができるはずだが、それは神の見えざる手に任せておけば自然に実現するというものではないだろう。