籠池夫妻の長期勾留は異例なのか?森友問題幕引きを狙う安倍政権と、監視すべき「人質司法」の実態

写真拡大

 学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐって指摘されている問題のなかでもっとも深刻なのは、財務省が文書を廃棄して8億2000万円もの値引きをした経緯や根拠を検証不能にし、説明責任を果たさずにきたことだ。公表された会計検査院の検査結果でも、森友学園とのやりとりや支払等に関する責任の所在、ごみの撤去・処分にかかる費用の単価などを示す行政文書がなく、「会計経理の妥当性について検証を十分に行えない状況」だったと指摘されている。文書がないために、会計検査院の検査が適切に行えないという事態はとんでもない。

だんまりを決め込む関係者たち

 会計検査院には捜査権限がないため、「文書はありません」と言われれば、強制的に捜索・差押えをするわけにはいかず引き下がらざるを得ない。ならば、独自にごみの量と処理費用を調べて算定すべきだったのではないか。しかし、なぜかそこまでの調査はせず、「値引き額の算定方法には十分な根拠が確認できない」と指摘するにとどめた。この大幅値引きが国にどれほどの損害を与えたのかは明記されず、責任の所在も判然としない。

 麻生太郎財務相は、「会計検査院の検査結果を重く受け止めなければならない」とし、国有財産の管理処分についての手続きを明確化するなど改善を約束したが、森友問題についての謝罪はなく、財務省として再検証も拒否した。この強気の態度には釈然としない。

 この問題では、財務省の理財局長だった佐川宣寿・現国税庁長官の国会での答弁が疑問視されている。佐川氏は「価格を提示したことも、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と答弁。しかし、籠池泰典前理事長と妻の諄子氏が国との交渉時に録っていた音声が明らかになっている。ごみを理由に損害賠償訴訟を起こす可能性をちらつかせ、「0円に近いかたちで」と迫る籠池氏側に対して、近畿財務局側は国が支払った汚染土の除去費の立て替え金約1億3200万円を下回ることはできないと答えている。

 虚偽答弁が疑われる佐川氏は、国税庁長官に就任してから一度も記者会見を開かず、だんまりを決め込んでいる。籠池夫妻と財務省の橋渡し役となったのではないかとみられる安倍昭恵・首相夫人も、選挙運動や講演活動などは精力的に続けているようだが、国会への招致はおろか記者会見での説明さえ行わないままだ。昭恵氏の秘書役を務めていた官僚も、沈黙を守ったまま海外勤務に異動となった。

 一方の籠池夫妻も、7月31日に逮捕されて以来、弁護人以外との面会や手紙のやり取りを禁じる接見禁止処分がついていて、なんらの発信もできない状態が続いている。

 会計検査院の検査結果を受けても当事者たちは誰も語ろうとせず、あるいは語ることができない。こうした状況では、国会での野党の追及も、政府にとっては「恐るるに足らず」なのだろう。

籠池夫妻の勾留は“人質司法の平常運転”

 日本の官庁にとって、戦後は、自分たちに都合の悪い文書を焼き捨てるところから始まった。残しておくと、戦争犯罪に問われるなど責任を追及されそうな文書を廃棄することで、身の安泰を図ったのだ。

 今回も、行政文書の廃棄と関係者が口をつぐむことによって、なぜ、どのようにして大幅値引きが行われたのかは明らかにされそうにない。こうして、またも“捨てたもん勝ち”という悪しき事例を積み重ねることになる。

 しかし、本当にそれでいいのか。

 加計学園の獣医学部新設や自衛隊の南スーダンPKO日報問題をめぐっても、公文書の保存・保管・開示のあり方が問題になった。政府は、今国会で森友・加計問題は幕引きとしたいようだが、せめて一連の事件を教訓に、行政文書管理ガイドラインの見直しに加え、公文書が「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るもの」(公文書管理法第1条)たり得るような法改正を行い、再発防止を図ってもらいたい。

 この問題をめぐっては、市民団体が佐川・前理財局長や交渉に当たった財務省職員を背任罪などで告発している。大阪地検特捜部が捜査を担当するが、近畿財務局などの家宅捜索を行ったとか、財務省のコンピュータを押さえてデータの復元作業を実施したという報もなく、どの程度の捜査が行われているのかわからない。

 籠池夫妻に対しては、家宅捜索を行う数日前にマスコミを通じて「詐欺容疑で学園側の強制捜査に乗り出す方針を固めた」という大々的な前触れを行い、各メディアが待ち構えているところに捜査陣が乗り込んでテレビ向けの“絵”をつくった大阪地検特捜部だが、財務省関連の捜査はその時とは打って変わって密行性を保っている。

 国の損害額を明らかにしなかった会計検査院の検査結果を受けて、早くも検察OBらが「背任罪成立のハードルが高まった」など、「立件せず」の予告を打ち始めており、検察の捜査によって真相解明が行われる期待はあまり持てそうにない。不起訴処分にした場合は、告発人が検察審査会に申し立てる道が残されているものの、検察としては、籠池夫妻が補助金を不正に受け取ったとして詐欺罪で起訴した件だけで幕引きとするつもりではないか。

 その籠池夫妻は、9月11日に追起訴された後も、勾留と接見禁止が続いている。弁護人が保釈を請求したが、却下された。これについて、ネット上では異論が飛び交った。

 たとえば、落語家の立川談四楼さんは、こんなツイートをしている。

〈「籠池夫妻の保釈請求を大阪地裁が却下」って、そんなべらぼうな話があるもんか。すでに4カ月も勾留され、家族にも会えないんだぜ。黙秘権の行使がそんなにいけないのか。逃亡、罪証隠滅の恐れ?そんなものあの夫婦にあるもんか。そうか、喋られちゃまずいことがあるんだ。やっぱりこれは報復なんだ。〉

 もっとストレートに、「籠池氏がまだ保釈されないのも総理の気持ちを考えた裁判所の忖度なのかな」「あり得ない。司法まで安倍に忖度?? おかしすぎる」「へたに出てきてもらっては、アベ首相が困るからだろう」などいった書き込みも多く、裁判所に対する不信感や不満がツイッターにあふれていた。

 心情は理解できるが、こうした批判は問題の突きどころがずれていると言わざるを得ない。今回のような司法の対応は、本件に限らず、実はいつものことだからだ。裁判所としては、安倍首相がからんでいるから特別な計らいをしたわけではなく、普段通りに対応しただけだろう。その普段の対応に、問題が潜んでいる。

 刑事事件の経験が豊富な山口貴士弁護士も、こんなツイートで的外れな批判をいさめた。

「裁判所が安倍夫妻の気持ちを忖度したのではなく、悲しむべきことに、人質司法の平常運転に過ぎません」

トンチンカンな非難は逆効果

 「人質司法」とは、自白しない被疑者を長く身柄拘束する、日本の司法の悪弊を言う。早く自由の身になりたいあまりに、虚偽の自白をして冤罪を生むこともある。

 大阪地検特捜部の主任検事が証拠の改ざんまで行った郵便不正事件では、実際に障害者団体の証明書を偽造した者は、長期の身柄拘束を恐れ、検察の筋書き通りの供述調書作成に応じてしまい、村木厚子さん(当時は厚労省局長)が巻き込まれることになった。しかも、検察の筋書きにそった「自白」をした者は、起訴されてすぐに保釈されたのに、否認している村木さん一人が長く勾留されることになった。検察側が強行に反対したため、裁判所が保釈をなかなか認めなかったのだ。

 籠池夫妻は、容疑に関して黙秘をしていると報じられている。自白していないうえに、夫婦が共犯ということで、保釈すれば口裏合わせをして「罪証隠滅のおそれがある」と、検察は猛烈に保釈に反対したことだろう。

 本当に罪証隠滅の可能性が高いと考えるなら、検察はマスコミに強制捜査着手の情報を流したり、任意の事情聴取初日に逮捕せず自宅に帰したりするようなことはしないはずだ。それでも、ともかく検察がそのように主張すると、裁判官はそれに引きずられがちとなる。

 東京高裁裁判長時代に20件もの逆転無罪判決を出すなど、慎重な事実認定と公正な量刑で定評があった元裁判官の原田國男弁護士に、人質司法について尋ねたことがある。原田氏は、検察側の主張に引きずられる裁判官心理を、次のように説明した。

「人質司法という問題の中心は、否認した時の『罪証隠滅のおそれ』なんですよ。裁判官も、否認すれば『罪証隠滅のおそれ』があるんだろうな、と考えてしまう」

「法律論としては、『罪証隠滅のおそれ』は抽象的なものではいけない。具体的な罪証隠滅のおそれでないといけないんですよ。でも、さて具体的にって言われても、なかなか難しい」

「(検察側が裁判官に提出する疎明資料の中に)なんか怪しいと思えることが書かれていると、具体的な『おそれ』まで行ってなくても、裁判官は『罪証隠滅やりそう』って考えがち。あくまで『おそれ』でいいわけだし、もし罪証隠滅されたら事件つぶしちゃうことになるから。自分の判断で事件つぶしちゃうのは困るから、身柄はとっておいて、決着は判決でつけよう、という判断になりやすいんだ」

 しかし、「とっておかれる身柄」の方にも、人生がある。判決で無罪になったとしても、拘束された時間は戻ってこない。有罪で実刑になるにしても、保釈期間中に身辺整理や社会復帰の準備ができれば、人生のやり直しもしやすいだろうし、事件によって迷惑をかけた人たちへの対応もできるだろう。

 批判をするなら、そのような時間を奪う身柄拘束についての裁判官の感覚や姿勢に対して向けられるべきで、トンチンカンな非難はかえって逆効果ではないか。

司法に適切な監視の目を

 一方、適切な批判はそれなりに効果を生むこともある。人質司法の弊害が叫ばれるようになって久しいが、ようやく裁判官の姿勢にも徐々に変化が見えてきた。

 司法統計年報によると、検察官が被疑者・被告人の勾留を求めたのに裁判官が却下した比率(勾留却下率)は、平成17(2001)年にはわずか0.45%だったのに、徐々に上がって昨年は3.86%となった。

 ただし、令状担当の裁判官の意識には相当のばらつきがあるのか、こうした数字にはかなり地域差がありそうだ。昨年10月31日の産経新聞電子版によると、勾留却下率は、東京では平成17(2001)年の1.33%から平成27(2015)には8.57%へと上がったのに、大阪は0.13%から2.06%の伸びにとどまっている。

 起訴後に保釈を許可される被告人の割合(保釈率)も、一時期に比べ増えている。平成の初め頃には2割程度だったものが、一時期10%台に落ち込み、平成15(2003)年には11.74%まで下がった。それが、平成23(2011)年に20%台に回復し、昨年は30.33%まで上がった。

 その一方で、長期に勾留される人は増えている。勾留された人のうち、その期間が6カ月を超える者の割合(長期勾留率)は、平成19(2007)年には5.92%だったが、昨年は7.67%になっている。ちなみに、大阪地裁は長期勾留率も、8.80%と全国平均より高い。

 無罪を主張したり、争点が多岐に亘ったりする事件では、公判前整理手続に時間を要し、公判が始まらないまま、被告人の身柄拘束だけが長々と続くことになる。被告人にとっては、裁判が始まる前に、すでに刑罰を受けているに等しい。

 籠池夫妻の事件は、客観的な証拠は検察が押さえているうえ、起訴されている補助金詐欺で被害者とされているのは、いずれも国や大阪市などの行政だ。夫妻が働き掛けて、被害事実を変更させることは不可能だろう。あとは何人かの関係者との接触を禁じて、それなりの保釈金を積ませれば、具体的な「罪証隠滅のおそれ」はないに等しいのではないか。捜査への黙秘とか、メディアへの露出とか、独特なキャラクターゆえに、長期の勾留が当たり前のようになってはならない。

 行政文書の保存・保管・開示の問題とは別に、司法の「平常運転」に対しても、市民の適切な監視の目を向けていきたい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)