現在、日本のトップテニスプレーヤーといえば錦織圭選手だろう。しかし、その前から世界の舞台で活躍し続けている選手がいる。それが車いすテニス選手の国枝慎吾選手だ。世界最高峰・グランドスラムにあたる4大大会をシングルスで20回、ダブルスで20回制している。そしてその国枝選手を育てたコーチが丸山弘道氏である。

当初、車いすテニスには全く関心がなかったという丸山氏。しかし、ある1人の選手をきっかけに、3人のプレーヤーを指導し、それぞれが望む結果まで導いてきた。そして世界の頂を掴むことになる国枝選手と出会う。「世界の国枝」を生み出すまでの知られざるストーリーが、ここで明らかになる。

初めは断った車いすテニス。全ては1人の選手から始まった。

私は初め、健常者のテニスにおけるジュニア育成をメインに指導していました。

その中である日、アトランタ、バルセロナパラリンピックに出場した大森康克選手から指導を依頼されたんです。でも、車いすテニスはルールから違うので、断りました。

しかし、繰り返しお願いに来るので、次第に私はこの人と縁があるのかもしれないと思うようになっていきました。そこで私はコーチではなく、練習相手を引き受けることにしました。

私は車いすに乗ったこともないし、実際どういう動きをするかも分かりません。そんな人がレッスンなんて全く説得力がないですから、あくまで練習相手として受けることにしたんです。

とはいえ、黙々とただ打っているわけにもいきません。通常通り費用はかかっていますから、失礼にならないように私自身も週末は元車いすテニス選手から指導を受け、プレーをする感覚を養いました。

2人目の選手と歩んだパラへの挑戦。

大森さんとは半年間練習をしたのですが、それが終わったら私は車いすテニスから離れるつもりでいたんです。

しかし、大森さんが最後の挨拶に来た時、なんと隣にもう一人車いすの人がいました。その人は当時日本ランク5位の山倉昭男選手で、『シドニーを目指したい』と。もうそこにいるわけですから、断れないですよね(笑)。

山倉さんが目指す、シドニーパラリンピックの代表枠は2つ。しかし、既に1人は決まっていました。

ランキングをひっくり返してその残り1枠を掴むため、試合の出方などを考え、ツアーを回っていくことになります。

転戦中、疲労が蓄積してきた頃には奥さんを呼んで、残り試合を一緒に乗り切ってもらうように指示したこともありましたね。

最終的に山倉さんは私が立てた計画にうまくハマってくれて、最後の2大会でランキングを逆転し、代表の座を掴むことになります。

そして、次に斎田悟司選手を指導することになります。彼はアテネパラリンピックで金メダルを獲る目標を掲げていました。

結果的に斎田選手はシングルス世界ランク3位、ダブルスでは世界一になり、私は彼から世界のトップと戦うというのはどういうことなのか、学ばせてもらいましたね。

同時に世界で斎田選手を勝たせるために、私は車いすの操作技術を上げて、ツーバウンドで拾っていたものをワンバウンドで返していく、といった新しい発想も取り入れるようにしていきました。早く打ち返すことができれば、その分相手の時間を奪い、自分の時間を作ることに繋がります。

新しい試みは他にもあります。元来車いすテニスのダブルスは2人の選手両方がコートの後方から打ち合うというのが一般的でした。でも私はアテネの時、健常者のテニスと同じように2人を前衛と後衛に分けました。これは世界でも初めての試みでしたが、それで金メダルを獲ることができたんです。

私は常識を疑って、“できる”前提で入っていきます。勝ちたいならそういう部分からやっていくことが必要だということです。

同時にいかに車いすテニスを健常者のテニスに近づけていくか、というのが私の指導のテーマだとも言えます。

国枝選手(中央)と丸山氏(右)とトレーナー(左)

世界のトップを獲るべくして獲った国枝慎吾

そして、後にともに世界のトップに上り詰めることになる国枝慎吾選手と出会います。当時私がジュニアコーチを勤めていた施設に練習に来ていたんです。彼はまだ17歳でした。その時私は彼に「君は世界のトップレベルに行くと思う。どうせやるならスターになるためにカッコよくやろう」と言いました。たとえ伊達でもいいから、格好良くないとスターにはなれないと思ったからです。

ただ、国枝選手は世界3位の斎田選手の背中を追えばいいわけですから、恵まれていたと言えるでしょうね。明確に超えるべき存在を目の前にして、国枝選手は世界一になるべくしてなったと私は思っています。

世界一を掴むために、まず彼に最初に指導したのはフォークとナイフの使い方です。なぜならトップ選手になればすごい人が集まるパーティーに出席することも出てくるからです。これは斎田選手と付き合う中で感じ取っていたので分かっていました。

本当は彼らは体のバランスを取るのが難しく、食事をする時に肘を付きやすいんです。でもそれではまずいんです。コート上だけのことしかうまくやれないのでは通用しません。

 

世界ランク1位に輝き、チャンピオンズディナーに出席

テニスのロジャー・フェデラー選手と

元々私はコーチとしてプロを育てたいのではなくて、生涯を通じてテニスを楽しみ、その人に様々な意味で豊かに生きていただきたいと思っていました。それをゴールとして考えていたんです。たまたま今はより競技性の高い部分で指導していますが、根本的な考え方というのはそこにあります。

それは国枝選手も同じで、人間力を育てるところから始め、私も彼らとともにその力を付けていきました。

とはいえコート上の勝負で最後に物を言うのは「体」なので、そこを練習を通して鍛えていくということは当然やっていく必要があります。

気の緩みからダメになっていった選手を私はいくらでも見てきました。次の日からやろうなんて言っていたら負けた意味がないんです。そのくらいのスピードでやらないと石が転げ落ちる勢いでほつれが大きくなってしまいます。

人間力とトップテニスプレーヤーとしての精神力・体力を身に付けた国枝選手は2009年には子ども達にさらなる夢を与えるためにプロ宣言をしました。そして北京パラに続いてロンドンパラでもシングルス金メダルを獲得するなど、さらに飛躍していきました。

ウィンブルドンにてゴルフの松山英樹選手(中央)、谷原秀人選手(右)と。

 

 

全仏オープンにて三木選手(右)と。リオではダブルスの銅メダルをかけて国枝選手のペアと対戦し、惜しくも敗れた。

引退覚悟の怪我を乗り越え、東京パラへリスタート。

ロンドンを最後に一旦私は国枝選手とのマネジメント関係を解消しています。この時私は柏から名古屋へ拠点を移しました。嬉しかったのはロンドンパラ代表の三木拓也選手が柏から私の移動と共に名古屋についてきてくれたことです。

国枝選手もグランドスラム前になるとわざわざ私のところにまで来て、合宿していました。

2人ともそこまで私のことを慕ってくれているのですから、2020年を一緒に目指さない理由が見当たりません。

本当は現場を離れて、私はマネジメント側に移行していくつもりでしたが、国枝選手や三木選手から改めて「人の役に立つ」という人間の一番芯の部分をくすぐられたような気がしましたし、それが何より嬉しくもありました。

だから私も逃げ道をつくらないようにするために自分で会社を立てて、2020年を目指すことにしました。今はとにかくそこをやる、という感じです。

今回のリオの前後の国枝選手の肘の怪我との戦いは私にとっても本当にきついものでした。

本番では会場で国枝選手と私とトレーナーの3人だけでミーティングをして、引退覚悟でステロイドを注射するという決断もしています。その時は3人とも泣いていましたね。私はコーチとしてその意味を問い、本人に自分自身の言葉での回答を求めました。そうして人生を左右する決断を下したのですから、止めることはありません。

リオのシングルスでは国枝選手、三木選手ともにベスト8、ダブルスでは両者が銅メダルを争う戦いを繰り広げたわけですが、その姿にはこみ上げてくるものがありました。

これからは車いすテニスをより自立した競技にするために、パラリンピックを一番に考えるのではなくて、1年に4つあるグランドスラムに照準を合わせ、その間にたまたま4年に1度パラリンピックが来るという考え方をしていく必要があると思っています。2020年に向け、国枝選手とも毎年が勝負と捉え、1年毎の結果を大切にしようと話しています。

 

そういったトップ選手の指導に加えて、私はこれまで車いすテニスのジュニア世代に対して、大会を開いています。3月には、東京中央ロータリークラブに特別協賛をいただき個人戦の開催、12月には、日本生命保険相互会社に特別協賛をいただき、全国の子供たちを東西に分けた団体戦を開催しています。

そして今年度からは「(※)修造チャレンジ」の車いすテニス版をやりたいと考えていました。それが今年の12月に小学4年〜高校2年の10名を対象に、NTTコミュニケーションズ株式会社による特別協賛のもとで行うことが決まりました。

そこではテニスだけではなく、フィットネスのコーチや心理学の先生を呼んで講義を行うほか、私から考えることについて話をしたり、国枝選手にも講演をしてもらいます。

参加者は私の開催する大会の出場者を対象に、成績や参加回数等を考慮して選んでいます。

ジュニアランキング上位を選ぶのが分かりやすいのかもしれませんが、そこは成績だけでなく、目力など独自の選考基準を設けて選出しました。世界に行くには目先の成績以上に総合力が大切です。

※修造チャレンジ:元プロテニス選手の松岡修造氏が行う、幅広い世代に対してテニスの魅力を伝えていく活動。その中の一つとして、ジュニア世代のトップ選手を対象とした強化キャンプを行っている。

 

サポートを受けている足立区医師会のロゴ入りのウェアを着用する丸山氏

パラスポーツの指導者だけでも生活していける

私も当初はパラアスリートを指導していく生活に不安がありましたが、そこは本人からしっかりレッスン料をいただくことに加え、私を支援してくださる方の後押しがあって、不安ななく続けていくことができています。

個人やメーカー、今だと足立区医師会の方々にも支援していただいています。

実は今、テニスコーチは減ってきているんです。体を使う、きつい仕事ですから。でも、指導者が育ってくれないと日本のトップ選手が逆輸入ばかりになってしまうかもしれません。私の姿から夢と希望を若い指導者には与えたいですし、パラスポーツを教えることだけで生活していけることを見せていきたいです。

私は現在、大阪体育大学の大学院にも行っています。そこでは大学に対し、もっと現場に学生を出すことを提言しています。学生のうちから実戦経験を積ませ、卒業後に即戦力となれる人材を育成することこそが体育大学の強みになると思います。

それは今までのコーチとしての経験や指導者育成の観点から、選手の適正を早く見極め、生かしてあげられる人材を増やしていきたいという想いがあるからです。

私は達成できない夢はないと思っています。夢へ向かうことに近道も遠回りもなくて、“やる”ということは全て近道です。そして達成するまでやり続けることが大切だと若い人たちには伝えたいですね。