前回は、韓国社会では泣く子も黙る修能−大学修学能力試験が延期されたというコラムを書いた。11月23日、地震の影響で1週間延期となった修能が無事終わった。私自身、修能問題作成委員を務めた14年前が思い出される。写真はソウル・景福宮の興礼門。

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前回は、韓国社会では泣く子も黙る修能(スヌン)−大学修学能力試験が延期されたというコラムを書いた。11月23日、地震の影響で1週間延期となった修能が無事終わった。私自身、修能問題作成委員を務めた14年前が思い出される。

1カ月ほど大型ホテルに缶詰め状態で「監禁」されながら問題を作る。修能試験の最後の試験時間が終わると同時に、作成委員たちは「缶詰め」ホテルからバスに乗って家路に就くことができる。午後6時だったと記憶する。

作成委員たちの唯一の希望が、早く缶詰めホテルから出ることだった。待ちに待った出立の日。その前日に地震。作成委員たちの夢が無残にも消え去った格好だ。「あした帰れると思ったのに…」。1週間も延期されたのだ。修能当事者には悪いが、作成委員たちの失望たるやいかばかりだったか。あの苦しみを味わった者としては、同情を禁じ得ない。

超学歴社会と言われる韓国。その象徴的なものとして「ヤジャ(夜自)」について前回ちょっと触れた。今回は韓国の大学入試がなぜこれほどまでに熾烈(しれつ)を極めるのかについて考えてみたい。

ここ韓国は両班(ヤンバン)の国、ソンビの国だ。両班というのは、科挙試験に合格した文官・武官のことである。ソンビというのは、学者のことである。古くは新羅時代の花郎(ファラン)もあった。花郎というのは新羅の青年貴族たちことで、文と武に励み、学者でありながら武も立つという理想的な若者たちのことである。日本にも文武両道という言葉がある。武の鍛練を積みながら、文をも修めるというのが武士としてのたしなみであった。

しかしどちらかというと武の方にウエートのあったことは明らかだ。武が70〜80%で、文が20〜30%といった比率であろうか。これが韓国ではまったく逆である。新羅の花郎は文武両道であったが、文が60で武が40ぐらいであったろう(私の推測)。朝鮮時代の両班は、文官と武官に分かれていて、文官は文の人、武官は武を中心として文もかなりやる。

ここで重要なのは、朝廷では文官の地位が武官のそれよりも高かったことである。学問を修め、頭の切れる人は大きく出世したのである。いくらけんかの強い武官でも、文官の前ではシュンとならざるを得なかったのである。それだけこの国では文が上である。

こうした背景があるからだろうか、現代でも子どもを「文」つまり学者にさせようという空気が色濃く残っている。学者まではいかないまでも、勉強に対する思い入れは並々ならぬものがある。勉強して成績を上げ、いい大学に入ることが当面の唯一の目標となる。高卒では社会に出て食べていくことは無理という雰囲気だ。大学に行かずに一生他人の下っ端として暮らすか、苦労してもいい大学に入りいい会社に就職するのか。

このことは韓国に限らないものと思われるが、日本と違うのは、日本の場合60%ぐらい(と想像するが)の人がそう思っているのに対し、韓国の場合は100%そう考えている点である。高卒でも才能があれば、その方面で立派にやっていけるし、短大卒でもいろんな可能性がある。専門学校卒でも、社会人として立派に仕事をこなしている人がいるじゃないか。大学に行く者もいれば高校から働きに出る者があってもいいじゃないか。日本の場合はこのように考え方が分散しているため、社会全体が勉強一色という雰囲気はない。ある層では激しい勉強地獄がみられても、ある層ではゲームをやっていたり、ケーキ作りをやっていたりと、多様性がみられる。

ちなみに日本の大学進学率はだいたい55%くらいなのに対して韓国は80%ほど。ただし、韓国に住んでいる者の体感としては95%以上といっても言い過ぎにはならない。韓国の空気は勉強一色と言っていい。全員が江南(カンナム。ソウルの高級住宅地)に住むことを望み、全員が八学群(江南の学群で韓国一の学群といわれる)に通うことを願う。