私は整形外科医で、特に膝関節のスポーツ傷害、加齢変性疾患の治療を専門としています。そして臨床医として現在の治療の限界を超えようと、大阪大学で関節の再生医療の研究を行ってきました。

 「石の上にも3年」という諺がありますが、3年どころか10年以上の研究期間の後にようやく、私たちの軟骨再生研究が臨床応用されるための最後の関門である企業治験の開始に至りました。

 関節軟骨は関節の中で衝撃の吸収や滑らかな運動を可能となるように機能する組織(図1)ですが、血管や神経が入り込んでいません。そのために傷を受けても最初は患者さんに気づかれず、また自身の力で治すことができません。

 痛みなどの症状が出てきた時点では傷は大きく深くなり、これまで有効な治療法がありませんでした。そのために世界中で再生医療の研究開発がしのぎを削っています。

 私たちは関節内にある滑膜という膜の中からいろいろな組織に分化する能力のある幹細胞を取り出し、それを増幅させます。その細胞を用いて3次元の接着性の高い組織を作り出してそれを傷んだ軟骨表面に張り付けて治療します(図2)。



 組織は移植後数分で移植部に安定しますので手術時間が大変短くて済むメリットがあります。

 基礎研究を臨床研究へ発展させる過程には、Death Valley(死の谷)が存在すると言われますが、そのとおりこれまでの道のりは苦労の連続でした。いろいろな方とのご縁、また偶然との出会いなくしては決してここにはたどり着けなかったと思います。

 今回はこれらの中で得た、研究成果の臨床応用へのポイントを私なりにお伝えしようと思います。あくまでも個人的な想いがベースにあるのでその点はご勘弁ください。特にこれから研究を始めようとする若い方々に参考にしていただけましたら幸いです。

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「Synchronicity」この世に偶然はない。

 いきなり偉そうなことを持ち出しますが、研究の糸はどこで繋がるか分からないものです。

 私たちが幹細胞を用いた軟骨再生の研究をスタートさせた2003年頃には、世界では「Tissue Engineering」、特に細胞の足場として用いるバイオマテリアルの研究が熾烈な競争を行っていました。

 この領域では後参者である私たちは同じことをしても勝ち目はないと悟り、あえてバイオマテリアルを使わない治療法を求めるようになりました。そこでぶち当たる命題が、どうやって厚みのある組織を細胞培養だけから作り上げるのかでした。

 がん細胞など特別な細胞を除き、通常の培養皿の上での細胞培養は単層培養と言って2次元の組織しか作ることはできません。

 過去にある物質を培養液に加えると培養細胞が重なり重層化するという論文があったので再現しようと試みましたが、失敗に終わりました。そんな停滞が数か月続いた頃、転機が訪れました。それは偶然研究室の中で起きました。

 共に研究していた大学院生が、ある条件で培養していると「細胞が培養皿から剥がれてしまい培養が継続できない」と報告にやって来ました。

 彼は通常は剥がれて間もない時点で「ああ失敗した」とその培養皿をゴミとして廃棄していたのですが、たまたま1週間ほど放置された培養皿が1つ培養装置内に残っていました。

 そこには細胞のかけらもなく隅に小さく縮み切った丸いチューインガムの固まりのようなものが1つ残っていただけでした。私はそれを見て大変興奮しました。「もしかしたら」と思ったのです。

 私はさらに10年遡る大学院時代に現在岩手医科大学学長の祖父江憲治教授の研究室で細胞骨格の研究をしていました。

 そのとき、「コラーゲンゲル内の線維芽細胞が浮遊培養を始めるとアクチンという細胞骨格内に生じる収縮力を使ってゲルを収縮させる」という現象を知りました。

 ただ、当時私はこの現象は3次元環境内にいる細胞が特異的に起こすものと理解していました。しかし、この培養皿内残った小さな塊を見て、ひょっとしたら通常の2次元培養している細胞も浮遊培養に持ち込めば3次元の組織を作れるのではないかと推測しました。

 早速そのチューイングガム様の球形物の内部の組織像を確認し、細胞が生存していることを確認しました。コラーゲンゲル収縮現象と同じことが起きていたのです!

 その後直ちに追試を行い、通常の培養幹細胞を途中で浮遊培養に切り替えることにより厚みをもつ3次元組織化させる技術を確立させました。これが今回の治験で使用される移植体作成の基盤技術となりました。

 この組織は強い組織接着性と強力な軟骨分化能力を持ち合わせ、しかも短時間で移植できるという特性を兼ね備えており、移植動物実験では優れた軟骨を再生能力を持つことが明らかとなりました(図3)。



 動物由来材料や合成化合物などのバイオマテリアルを一切使用せずにこのような幹細胞由来の移植組織を生み出した報告はこれまでにない独創的なものです。

 幸いこの人工組織は国内外で高い評価を受け数々の学術賞を受賞しました。またNEDOのナショナルプロジェクト、内閣府のスーパー特区プロジェクト、さらに厚生労働省再生医療実用化研究プロジェクトなどの研究支援を受け、臨床応用へと道がつながりました。

 さらに日本、米国、欧州での物質特許を取得し、治療法としての実用化への整備が可能となりました。

 今振り返ると、10年前に行っていた研究が今につながったのだと思い、とても不思議な縁を感じます。そして何よりも、もしもあの時1週間放置された培養皿に遭遇しなければ今日の日を迎えられることはなかったでしょう!

 まさに「synchronicity」経験です。そして失敗の中にこそ次の研究へのヒントが隠されているのです。いつも好奇心のアンテナを張り巡らせて研究に臨ことが大切だと痛感しました。

知財確保は臨床応用への前提

 研究室で発見した治療技術などの実用化で大変重要なのは知財の確保です。当時は知る由もありませんでしたが、確保されていない研究内容に対して企業が事業化に乗り出すことはまずないと言っていいでしょう。

 当時私は阪大病院に新設された未来医療センターというトランスレーショナルリサーチ(基礎研究と臨床応用の架け橋を担う研究)の部門に配属されていました。

 当時の副センター長の澤芳樹教授(心臓血管外科、現・日本再生医療学会理事長)、整形外科の吉川秀樹教授(現、大阪大学副学長)から即座に知財確保に移るようにとのご指導を受け、バイオ特許関連で国際的に著名な山本特許法律事務所の創設者である山本秀策弁理士の門を叩きました。

 ここで難題に出会います。

 再生医療(細胞移植材)の特許、中でも重要性が高いとされる物質特許は2000年代に入るとかなりの領域においてすでに先駆者に押さえられており、新規性を示すことはなかなか困難であるということを示されました。

 先行特許が強いのです。私たち研究者が「これは新しい方法だ」と思っていても、特許法で言う新規性とは違うのです。

 何日にもわたるこのかみ合わない議論、例えば3次元構造体でそれを作っているマトリックス成分や細胞が異なっていても(科学的には全く別物でも)特許法上では同様に見なされる可能性があるなど、例を挙げればキリがありません。

 私にはカルチャーショック状態で大変なストレスを覚えた記憶があります。

 ただここで分かったのは、相談の際に弁理士に研究者の考える新規性、その背景などを十分に伝え、議論して理解していただくことの重要性です。

 科学的情報を多く伝えるほど法律家も多くの引き出しを駆使して強くて良いアイデアを出しやすくなります。時間はかかりますがこのステップを惜しまずにすることが大切なのです。

 ここを超えると「餅は餅屋」、バイオ分野に力量のある特許事務所に託しましょう。山本弁理士の尽力もあって幸いにも日本、欧州、米国の権利を取得することができました。

 それでも国際的な取得には10年を超える年月がかかりました。なかなか簡単にはいきません。

 大学もいろいろ知財支援の部門ができてきましたが、その内容は限られ、金銭面も含めなかなか長期にわたる支援は受けにくいのが現状です。

 後で述べますが、企業との「息の長い」連携の安定化がどうしても必要となるのです。結果をすぐに求める国際ファンドベースの支援ではこれを乗り越えることはまず難しいでしょう。

 またこの間、並行して国内外の企業との交渉、契約などの局面を迎えることになりますが、これが要注意です。必ず法律の専門家を従えて場に臨む必要があります。

 英文の契約書などは私たちがなかなか読み取ることが難しい文面が多く含まれています。しかし、簡単にサインしてはいけません。

 知財権利の大事な部分を相手に奪われるような文面の契約書は特に企業とアカデミア間でのやり取りでは交わされることも多いようです。

 大切な研究シーズの権利を法的に守るためにも、権利の帰属が契約金によりどのように変わるかを詳細にチェックすることはとても大切です。

企業との邂逅

 研究者、知財専門家に加え、臨床応用に向けて大切なのはタッグを組む企業です。当たり前のことですが、事業化なくしては研究成果が患者さんの手元に届くことはありません。

 この事業化のスキームには研究者自らがベンチャー企業に参画して進めて行くやり方と、提携企業を見つけ、そこに事業化を託するやり方があります。

 日々研究者と臨床家の二足の草鞋を履く私たちのような人種が企業家も兼ねるというのはよっぽどの懐の深さがないと難しいと思います。少なくとも私には無理です。迷わず後者を選択しました。しかし、これが苦難の道でした。

 試行錯誤の後に、ようやく大手国際医療機器企業の一部門の日本法人と共同開発の提携に至りました。しかし2年ほど経過した後に米国本社の経営方針が変更になったとしてバイオ部門が縮小し、その日本法人が閉鎖されてしまったのです。

 知財獲得の交渉もこの企業が担っておりましたので、知財、事業化計画がともに宙に浮いてしまいました。特許事務所の協力も得て、再度のお見合い相手を探すことになりました。

 しかし、探すと言っても日常の業務に時間を取られ、具体策もなく受け身で話を待つような姿勢で時間は進みます。結局数年間進展はなく糸の切れた凧状態、私も半ばもうお蔵入りだなとあきらめていました。

 ここで元提携企業の社長さんが偶然、友人のツーセルというバイオ企業の辻紘一郎社長にこの話をされ、興味があるとのことで紹介してくれました。辻社長とは偶然1994年に米国の「Gordon research conference (GRC) 」でお会いしました。

 この年のGRCの話題はアーノルド・カプラン(Arnold Caplan)教授が提唱された間葉系幹細胞であり、参加期間中に辻社長が将来の再生医療実現の夢を熱く語っておられたことを思い出しました。

 そのこともあり、共同研究の話も自然に進み、新たな提携先に決まりました。

 辻社長は情熱とバイオ業界での経験、力量を兼ね備えた方で、承認への規制、企業との交渉などを精力的にこなされ、メガファーマである中外製薬が参画の治験事業の開始へ漕ぎ着けました。

 再生医療の治験は一般にリスクが高く、また市場が限定される事業とされ、メガファーマが参入をためらう領域です。

 いくら優れた研究であっても治験など保険収載承認までのリスク、安全性担保に伴うリスクなど、様々な障壁があり、研究者が直接大企業を相手に製品化を持ちかけてもまず前に進むのは難しいと思います。

 その点、辻社長は再生医療の普及への情熱企業とのパイプ、そして粘り強く交渉を前に進める能力に長けたまさに餅屋であり、彼の存在なしにはこのプロジェクトは進まなかったと思います。

 手前味噌で恐縮ではありますが、メガファーマが参入した今回の治験開始は再生医療の明日への扉を開けるテストケースになるかもしれません。

 企業との縁組ですが、「餅は餅屋」。事業化業務に素人の私たち研究者はできるだけ早くパートナー企業を見つけることです。そして一刻も早く、専門外の領域は専門家に任せ、自分の本分の業務に専念しましょう。

 精神的にもその方が健康ですし、タイミングが遅れるほど提携へ道筋は複雑化し、障害物が増えていきます。

 私たちはこの要領がよく分からず、随分と回り道をしました(結局これも運命のなせる業なのですが・・・)。

 研究、知財、マネージメントこの3つの効率的連携をそれぞれの専門家間でできるだけ早く構築させること。これができれば初めて4つ目の要素、運に託すことができるのです。運を呼び寄せる方法など私には分かりません。でも人事を尽くすことはできるのです。

おわりに

 大学の研究から生まれた素晴らしい研究のシーズ(種)を臨床応用することはこれからの医学に託されていることだと思います。そのためには専門バカでは不十分でもっと広い視野を持つことが大切です。

 米国などではMBAなどの資格を持ったスペシャリストの研究者、医師も多く、多くシーズの事業化に関与してきています。

 一方、日本ではあいにく研究者、医療従事者の業務において雑用が多く、なかなかそのようなことに時間を割くことが難しいのが現状です。その意味でも組織力が重要なのです。

 今回の経験を通して効率の良い研究開発と臨床応用への体制を築き上げる必要性を痛感しました。

筆者:中村 憲正