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「法の支配とコミュニティ」を考える

【PJ 2005年09月15日】− ある法律関係者の著書の中に、法の支配についての意見が示されていた。その意見によると、法令や裁判は、社会のルールや信頼関係を破るためにしか役立たない。法や裁判は、社会の自律性は目にも入らず、意義も認めない。伝統的な規範意識も知らない。だから、悪いとは言わないが、限界も逆機能もあるこということは、よく認識しておかなくてはならない。たとえ憲法であっても、たとえ法の支配であっても、たとえどんなに権威づけられ、言葉で飾られていても、信じすぎてはならないのだとされていた。法の支配とは、そもそも、どのような概念を法の支配といい、なぜ、信じすぎてはならないのか考えてみよう。


法令や裁判は、社会のルールや信頼関係を破るためにしか役立たない
 この著書によると、法令や裁判は、ある意味では社会のルールや信頼関係を破るためにしか役立たないと意見され、その一例が示されていた。

 ―隣人としての信頼関係に基づいて子供を預けたり預かったりする。預かり主の不注意で事故が起こったので、預けた方が損害賠償訴訟請求の訴訟を提起した。現実には、訴訟は取り下げになったが、こういう場合、裁判所は法の規定に従って、賠償を命じるはずである。それ以外の措置は考えられない。だが、こういう法的正義は、何をもたらすだろうか。失われたものは還らず、預かった者は、賠償金の支払いを命じられる。隣人関係は永久に損なわれ、誰もがそういう人間関係やコミュニティの絆に信頼することを警戒することになるだろう。国家的見地からは、そうしたものは何の評価も与えられない。

「法の支配」の概念
 法の支配とは、専断的な国家権力の支配を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理だとされている。特に重要視されていることは、憲法が最高の法規であること、個人の人権が権力によって侵されないこと、権力の恣意的行使を抑制する裁判所の役割に対する尊重、法の内容・手続の公正を要求する適正手続である。

裁判で、人と人の心の溝は埋まらない
 今、社会では、法の支配の概念である憲法の法規を最高とし、裁判所の意見を尊重する裁判が、各地の裁判所で日々、執り行われている。裁判を起こす側、又は、起こされた側の当時者は、勿論、人と人の信頼関係が損なわれることも覚悟の上で、当時者の主張を裁判所に認めてほしいと願う人たちであるに違いない。

 裁判を起こす当時者は、なぜ、人と人の絆を損なうことを覚悟してまで、裁判で判定を下してほしいと思う心境に駆られるのだろうか。そこには、それ以前に、人と人の絆を損なうコミュニティが、存在したからではないのだろうか。例えば、「ごめんなさい」という一言が、相手から得られなかったという理由から、裁判により審判を下してほしいという思いに駆られる人も存在するだろう。当時者は、損害を被った上に、人としての礼儀に反した行動を、社会正義の観点から、裁判所が正義の意味を示してほしいと思う心境がそのような行動を起こすきっかけになることもある。

 一方、裁判所の判定は、人と人が、信頼関係を損なった心を、修復する判定を期待することはできない。人と人は、コミュニティとの絆があってこそ、生きていけるのだ。人と人のコミュニティを重視するならば、極力、裁判は行うべきではないと記者は考える。なぜならば、人と人の心の溝は、裁判で埋めることができないからである。裁判を信じすぎてはならないという意味は、人と人の心の溝を修復できることを期待してはならないという忠告の意味なのであろう。【了】

※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 新納 直子【 兵庫県 】
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