マラソンデビューとなる福岡国際に備える神野大地

神野プロジェクト Road to 2020(8)

(前回の記事はこちら>)

 全日本大学駅伝当日の朝、神野大地はスタート地点である熱田神宮にいた。ゲスト解説としてスタート前に青山学院大の原晋監督にインタビューし、スタート直前の熱気を伝えていたのだ。

 実はその2日前、神野はコニカミノルタのメンバーの一員として東日本実業団対抗駅伝を走っていたはずだった。

 しかし、神野はそのメンバーから外れた。

 最初は、10月中旬の風邪による下痢で3日間寝込み、体調を崩した影響が大きいのだろうと思っていた。実際、その影響があり、練習には復帰したものの、なかなかコンディションが戻らなかったのだ。そして大会6日前、他の選手は調整期間に入るなか、調整が遅れていた神野には1000m×10本というメニューが渡された。だが、設定タイム通りに10本をこなすことができなかった。

「3日間、下痢で休んだり、ずっとマラソン練習をしてきたので疲れがありました。でも、僕のイメージではその練習(1000m×10本)でタレたんで、翌週はコンディションが上がっていくというイメージだったんです。実際よくなって、駅伝に出ていれば走れたと思います。でも、監督はタレたんで使わないという判断でした。個人的には駅伝で試合勘を取り戻したり、腹痛の薬を試すことができなかったので、福岡国際に向けてはマイナスになりましたけど、すぐに切り替えて、次に自分のすべきことに集中するようにしました」

 神野はチームを応援した後、全日本大学駅伝の解説のために名古屋に入った。母校である青山学院大の2連覇を解説できればよかったのだが、神野が目にしたのは、一度もトップに立てずに敗れた母校の悲しい姿だった。

「残念でしたね。1区であれだけ遅れてしまう(トップの東洋大に1分22秒差)と、2区の選手も焦ってしまう。それに初めて駅伝を走る竹石(尚人)をはじめ、みんな最初、突っ込んで差を縮めたけど、後半は疲れて逆に離されてしまった。そんな感じで常に後手を踏んでいましたね。

あと、駅伝はやっぱり4年生が走って、なんぼなんですよ。今の青学は下田(裕太)、田村(和希)とか、今回は中村(祐紀)がチャンスをもらったけど、その3人がしっかりと走ってこそ優勝が見えてくると思うんです。走るべき人間が走らないと勝てないというのがハッキリ表れた駅伝でした」

 大学駅伝は残すところ箱根駅伝しかなくなった。青山学院大は出雲、全日本のタイトルを失い、3連覇した昨年までの勢いが感じられない。選手層は決して薄くはないし、選手個々のタイムも悪くはない。しかし、2年前の神野の代や一色恭志がいた昨年までのチームとは異なり、今ひとつ強さが感じられない。神野はキャプテン時代、全日本で敗れ、箱根で巻き返したが、現在の青学大が箱根で勝つためには何が必要なのか。

「僕はチームに勝てる力はあると思うんです。あとは、4年生がどこまで本気になれるかじゃないですか。11月下旬には箱根を走れる選手、外れる選手が明確になる。そこでメンバーから外れた4年生がどれだけチームに貢献できるか。そして、全員で勝つんだという一体感をどこまで高めていけるか。

 僕はキャプテンの吉永(竜聖)に頑張ってほしいと思っています。調子さえ戻ればアンカー確定じゃないですか。今の状態はそれを自分から投げ出しているように見える。吉永が覚悟を見せられれば、箱根は勝てると思います」

 神野は後輩たちの現状に厳しい表情を見せた。力があるのにそれを出せないのは、「何か足りないものを探さないからだ」とも言った。偉業を成し遂げてきた先輩の言葉だからこそ響くものがある。果たして、後輩たちは神野の言葉をどう捉えるか……。

 *      *     *

 全日本の翌日、神野は西湖で40km走に挑んだ。しかし、30km付近でペースが落ち、途中で走るのをやめたという。

「体の調子はよかったんです。5kmのペースが16分30秒切る感じで、30kmは1時間37分20秒、そのまま40kmを走れば2時間9分ぐらいのタイムでいけていた。でも、28kmぐらいから腹横筋が痛くなってきて力が入らなくなったんです。30kmでペースが落ちたんで、このまま10kmは持たないと思い、やめました。その瞬間はけっこうヤバいなって深刻になりました。福岡国際の1カ月前だったんで……」

 なぜ痛くなったのか。腹痛とも違う状況に不安を感じ、その日のうちに中野ジェームズ修一に報告した。

 すると中野からこんな問いが返ってきた。「西湖、横風強かった?」

「はい」。神野は即答した。

 西湖は湖に沿った長方形のコースだが、その縦長のコースで神野は横風をまともに受けて走っていたのだ。

「そうか。長時間の強い横風に耐えられる体幹のトレーニングをしていないから仕方ない。まぁ、今日は条件が悪かったな」

 中野は腹横筋が痛くなった理由を説明した。

 しかし、なぜ長時間の横風に耐えられる体幹を鍛える必要がないのか。中野はその真意を説明してくれた。

「福岡国際のコースも東京五輪のコースも強い横風に悩まされることはないんです。だから特別な横風対策はしていません。マラソンで勝つために今、何を取るかだと思うんです。トレーニングする時間は限られているので、優先順位をつけてやっていかないといけないですから」

 神野は中野の言葉を聞いてホッとしたという。体の調子が悪いのではなく、腹横筋に痛みが出た原因がハッキリしたからだ。


 30kmでやめた時はその週のトレーニングメニューを変更することを考えたが、理由が明確になったので予定通りに進めた。水曜日にはロングジョグ、木曜日はレイヤートレーニングをして、金曜日には400mを20本走り、充実したトレーニングができた。

 翌週の月曜日には西湖で走れなかった40kmを走った。当初、その日は30km走が入っており、うまくチェンジしてトレーニングスケジュールを順調に消化することができたのである。

「最初、42.195km走ろうかなと思ったんですが、強化の時はいいとしても本番3週間前なので無理せずということで40kmにしました。集中して気合で走ったんですけど、かなり余裕をもっての2時間10分2秒でしたし、速いペースで走っても足が疲れなかった。これまでのトレーニングがつながってきて、福岡がかなり見えてきたなって思いましたね」

 神野は充実した表情でそう言った。

 10月中旬に体調を崩してからここまで戻すことができたのは、ひとつは神野の”言える勇気”があったからだと言える。チームから練習メニューが提示されるが、そのメニューをこなせる自信がなかった神野は監督と相談し、決して無理をしなかった。自分の意見を伝えてメューを軽減してもらったのだ。監督にはなかなか言いにくいが、きちんと自分の状態を判断し、自分の考えを伝えることはアスリートにとって大事なことだ。

 11月17日は、朝は10.5kmのジョグ、午前11時から南大沢の競技場で追い込み練習、午後3時からはレイヤートレーニングが入っていた。

「今日、僕は世界で一番練習しますね」

 神野は苦笑しながらそう言っていたが、まさにトレーニング漬けの1日だった。

「3000m、8000m、200mの追い込み練習は青学の原監督が好きで、よく大会の10日前とかにやっていたんです。自分はヨーイドンで動かすよりも徐々に動かしていく追い込み練習の方が合っているんですよ。タイムは特に設定していなくて、3000mは8分40秒ぐらい。実際は8分38秒で予定通り。8000mはラスト、2分55秒まで上げたいなって思っていたんですが、最後の3000mを1km3分5秒、3分、2分54秒でいけた。最後の200mはもうちょい追い込めたかなと思うけど、月曜日に40km走って、水曜日にロングジョグをやったなかで今日しっかり走れたんで、いい流れできていますね」

 練習を終えた神野は、そのまま寮のある日野まで7.5kmを走って戻り、ストレッチしてシャワーを浴び、駅前で牛丼をかきこんでスポーツモチベーションにやってきた。ラストメニューはレイヤートレーニングで、2山だ。

 この日はすぐにレイヤーに入るのではなく、グラビティトレーニングから入った。その意図を中野が説明してくれた。

「西湖で走った時、途中でタレたじゃないですか。その時、コアが抜けたらしいのでコアの刺激が弱くなってきたのかなと思って、その後に腹横筋のコアを入れたんです。そうして40kmを走ったら、けっこうよかったんで定期的に入れていくことにしました」

 通常は4、5セットするらしいが、神野の場合はレイヤーもあるので2種目を1セットのみ。だが、それでも腹横筋に十分な刺激が入るという。

 その後、いつもの通りレイヤートレーニングをスタートした。眺めていると、初めて見るトレーニング内容があった。しかも動きのあるトレーニングと静止動作をかみ合わせた内容になっている。そのメニューの意図を中野は、「レース本番を見据えて」と言った。

「緩急をつけたかったんです。レースになるとずっと同じペースで走るわけじゃない。緩急に耐えられる体にするために負荷を変え、レースの展開をイメージしているんです」

 縦長の台に片足を置き、もう片方の足をバランスディスクの上に置き、その足を自分の体に引き寄せる。支える片足にはかなりの負荷がかかる。また、片足を折り、もう片方は後ろに伸ばして50カウント静止する。筋肉が悲鳴を上げるように神野の口からも苦しい喘ぎがこぼれる。

 中野はきちんとできない場合はカウントしない。止まると声のトーンを上げ、うながす。そうして約2時間弱のレイヤートレーニングが終わった。

 不思議だったのは、レイヤーは筋肉にかなりの刺激を入れることになるが、レース本番の10日前にも行なうという。本来であれば筋肉の疲労を抜き、調整していく期間に入っていくのだが、あえて厳しいレイヤーをこの時期に行なうのは、なぜなのだろうか。


「神野のここ最近の走りを見ているとレイヤーで少し筋肉が張っている状態の時の方がいい走りをしているんです。だから本番までその張りを残しつつ、疲労を取っていく。完全に張りが抜けてしまうと走りがよくないので、本番前には10%程度の張りを残す感じで調整していければいいかなって思っています」

 中野は今回の練習後の筋肉の張り具合を見て、本番前の最後のレイヤーの強度設定を考えるという。

 神野も中野と同じ意見だ。

「レイヤーをした翌日の距離走とか、調子がいいんですよ。さすがに福岡国際の本番前日にレイヤーは入れないですが(笑)、張りを少し残した状態でレースを迎えられるといいかなと思っています」

 体の仕上がりについては見えてきた。本番当日に履くシューズについては、まだ迷っている。

 ソールが厚いタイプだとスタートからスピードに乗って走れるのか少し不安が残る。しかし、ソールが薄いシューズは30kmを過ぎると足の裏に摩擦を感じるようになり、下手をすると痛みが出てペースが落ちる可能性がある。摩擦を避けるために滑り止めのソックスを普通タイプに代えるのか否か……。

「迷っていますが、来週に20km走があるんで、その時に決めようと思っています」

 神野はふたつのシューズを見つめて、そう言った。シューズは選手にとって唯一の武器だ。それがフィットして機能してこそ、初めて自分のパフォーマンスを最大限に発揮することができる。難しい選択だが、シューズが決まれば、準備万端だ。

“山の神”がマラソンを目指して21カ月。

 この春に肉体改造を始め、まだ100%ではないが、現時点で予想をはるかに超えたレベルに至った。誰よりも練習をこなし、走ってきたという自負もある。

 スタートを待つ神野の胸中はいかに……。

(つづく)

◆「福岡国際を日本記録で走れば…」神野大地が強気に語るわけ>>

◆ドラマ『陸王』を地で行く「足袋職人のシューズ」が実在した>>