【クラッキーの実況席の裏側】“他とは違うオリジナリティ”人気アナウンサー・倉敷さんの人物像に迫る:後編

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▽インターネットでのスポーツ中継が広まり、サッカー観戦がより身近なものになってきた。そんなサッカー中継で欠かせないものの1つが実況ではないだろうか。

▽今回超WSでは、20年以上もアナウンサーとして活躍し、ワールドカップ決勝でも実況として活躍されているクラッキーこと倉敷保雄さんにインタビューを実施した。前編ではアナウンサーを志した学生時代、スポーツ中継がなく趣味の音楽にのめり込んだ福島での活動。さらに文化放送の記者として国会、警視庁、裁判所での取材など、サッカーとは大きくかけ離れた世界の話を伺った。

▽後編では倉敷さんの人生の転機となった1992年について語ってもらい、いよいよサッカー中継と関わっていく。さらに2002年の日韓ワールドカップ決勝から得た充実感やアナウンサーとしての失敗談。さらに休日の過ごし方など多岐にわたって語ってもらった。

◆人生の転機となった92年

――文化放送での貴重な体験を受けて、次はどのような仕事に就かれたのですか

「スポーツの勉強をし直そうとまた野球場に通っていました。それが92年。Jリーグが誕生すると聞いて、もしかしたらという漠然たる気持ちもありましたが、ただ、サッカーの勉強はそれほどしていませんでした。局アナ時代にサッカー中継には参加できないと早くから諦めていたからです」

「その理由は当時のサッカー中継は日本テレビ系列の高校サッカーと、NHKの天皇杯くらいしかなかったからです。日テレ系列に入るか、NHKに入るか、どちらも出来なかった時点でサッカー中継は諦めていたんです。ただ92年にはJリーグ開幕に先駆けて衛星放送の黎明期が始まっていました。先駆けがスポーツ・アイです。僕はちょっとしたきっかけでそこと仕事ができるようになるんです」

「大学の同級生で、アナウンス研究会の同期だった女性がいて、彼女は一般商社に勤めていました。その職場に英語の先生が来ていました。その先生の本職はスポーツの番組を作る事で彼女がアナウンス研究会にいたと話すと実況のできる人はいないか?と尋ねてきたそうです。『倉敷くん、やれる?』と聞かれて『紹介して』、と。スポーツ・アイは海外スポーツを中心とした放送を始めようと準備している段階でした。その英語を教えていた先生は芸能界で活動されていたキャロライン洋子さんのお兄さんの倉地 ウィリアム 浩さんという方で、彼もNHKの『レッツゴーヤング』などに出ていた元芸能人でした。倉地さんとお会いして『海外サッカーを中心に番組を作ります。放送を手伝っていただきたいのですが、サンプルはお持ちですか?』と言われ、困ったなと思いました。サッカーの中継をしたサンプルは1つもなかったからです」

「それが93年でした。Jリーグが開幕した年ですが、僕はアルバイトなど他の仕事をしながら憧れとしてJリーグ中継を観ていた頃でした。時を合わせるかのように、『ライオンズナイター』を手伝っていた制作会社の方から電話がかかってきました。Jリーグ中継を制作することになったけど人手が足りない。君、サッカー中継もできるよね?という願ってもいない誘いでした。『できます。もちろんです』と即答しました。嘘だったんですけど(笑)。チャンスを逃したくないのでにわかにサッカーの勉強を始めます。依頼された試合はいきなり生放送でした(笑)。しかも当時のJリーグは放送したものをセルビデオにして売っていました。自分が初めて実況したものが売られている。いいのかな?大丈夫かな?なんて思いながらも、振り返ることはせず、ダビングを分けてもらい、それを倉地さんに持っていったのですが、見もしないで『ではお願いします』と言われて拍子抜けしました(笑)」

◆初めての海外取材、オランダで掴んたオリジナリティの創出

――いよいよサッカーのアナウンサーとしての倉敷さんが登場するわけですね

「そこからが僕のサッカー実況のキャリアです。当時はJリーグ中継を担当することは殆どなく、メインは海外サッカーでした。最初に担当したのがブラジルリーグとオランダリーグでこの2つが僕の基本です。南米と欧州ですね。ブラジルサッカーは向笠直さんというブラジルサッカーが大好きな大家がいて、その方にポルトガル語のサッカー用語も教えてもらい、こういう表現をしない?と唆すようにリクエストも頂きました。もう一人の師匠筋にあたるのが日産などで活躍された元サッカー選手のマリーニョさん。お二人に何を教わったかというと、まず『これくらいのレベルのシュートやゴールで絶叫するな』でした。そしたら僕は非絶叫系になっていってしまったのですが(笑)。つまり感心すべきレベルで初めて心からの声を出せ、大したことのないプレーでガタガタ騒ぐな。本物はこんなものじゃないよと教わりました」

「ラテンのサッカーは技術も文化もツッコミどころ満載で、どんどん南米サッカーに惹かれていきました。もう1つのオランダサッカーは、当時の欧州を代表するベーシックな文化でした。海外に初めて取材に行ったのもオランダでした。自分が担当するオランダサッカーを観てみたい、取材したい。現地を見ないと説得力もないと思い、取材申請をしてオランダ代表戦をアムステルダムで観ました。印象的だったのは試合より記者会見です。記者は大した質問をしません。つまらない質問だけです。どこで他社との差別化をするのかな、と思っていたらぶら下がり取材でした。自分だけのネタが欲しいから個別に捕まえて話を聞く。今では当たり前のことだと思っていますが、日本のスポーツ新聞は未だに同じ様な一面になりますね。僕は日本の取材現場も知っていますが個別の取材をせずに口裏を合わせて誰かが聞いてきたことだけを書く記者もいる。無難も良いけど、取材する権利を与えられているメディアは競争すべきだと思っています」

「そう考えるから、僕は外れていくんですかね(笑)。コンプレックスと経験、人との出会いからいろいろなものをつまみ食いしてきたことが僕のこれまでです」

◆「日韓国W杯の決勝戦で喋れたことが自分の中でのステータス」