紙製容器に入った「峠の釜めし」(筆者撮影)

2017年10月1日から11月30日まで、JR東日本は駅弁の販売促進キャンペーン「駅弁味の陣2017」を展開している。だが、公式フェイスブックの信越本線横川駅の名物駅弁「峠の釜めし」の紹介文の記述(すでに修正済み)を読んだ駅弁好き、鉄道旅行好きの間に、「従来の益子焼容器がなくなるのか」との誤解が広がり、インターネット上で物議を醸した。

「紙製容器に変更」は誤解

「峠の釜めし」は株式会社荻野屋(本社:群馬県安中市)が製造販売している駅弁で、益子焼の土釜の中に、炊き込みご飯と鶏肉、野菜を使ったおかずが詰められており、旅情を感じる美味しい弁当として広く支持されている。

しかし、「駅弁味の陣2017」の修正前の記述では、この益子焼の容器が"リニューアル"され、紙製容器に切り替わったかのように読み取れた。ところが実際は、キャンペーンの人気投票の対象商品が、「峠の釜めし」の一種である、紙製容器のものであったというだけのこと。結局は同キャンペーンの事務局がPR文を作成する際の説明不足だったのだが、深読みされすぎたため、反発も起こったのである。

裏返せば、それだけ「峠の釜めし」が愛されているという証拠でもあったのだが。

実際に荻野屋を取材したところ、益子焼容器を廃止するような計画はいっさいなく、あくまで紙製容器は補助的な存在であるとのことだ。ただ、益子焼の容器には、重いという欠点があるのは確か。そもそも紙製容器は、駅で買う客から「持ち運びが大変」という声があったことをきっかけとして開発されたものだ。これを改良して、2013年には環境に配慮した、サトウキビの搾りかすを原材料とした紙製容器を採用している。


従来から販売されている益子焼の容器に入った「峠の釜めし」(撮影:吉永陽一)

紙製容器は、時を同じくして空港で売られる「空弁」をプロデュース(監修)した際の容器としても用いられるようになった。いずれも食後の処理を考慮してのことで、あくまで顧客の要望に基づいて、陶器の不便な点を補うための容器としての使用に留まっている。益子焼容器を置き換え、使用を縮小させるためのものではない。

荻野屋によると、現在、紙製容器が占める割合は、全体の製造量の1割にも満たないという。なお、容器のいかんにかかわらず、弁当としての中身は同じだ。

「食べた後」は便利な紙製容器

今、紙製容器の「峠の釜めし」の取り扱いは、同社の直営店では東京の「GINZA SIX店」のみ。それ以外では、横川の本店をはじめ、すべて益子焼容器での販売となっている。


横川駅ホームの「おぎのや」売店(筆者撮影)

その他、各地の駅弁を集めて販売している、東京駅の駅弁屋「祭」、駅弁屋「踊」、新宿駅の駅弁屋「頂」。あるいはコンビニエンスストア「NewDaysミニ軽井沢」「NewDays KIOSK佐久平駅店」など、日本レストランエンタプライズ(NRE)やJR東日本リテールネットが経営する店舗の一部にて、紙製容器の「峠の釜めし」が販売されている。東京都内の目立つ店に並べられていることから、紙製容器の使用が拡大しているとの認識が広まったのかもしれない。

軽い、処理が簡単といった理由から、紙製容器を好む層がいるのも確かだ。私も今回、試しに東京駅にて紙製容器の「峠の釜めし」を購入し自宅で食べてみたが、容器は一般ゴミとして回収に出すことができて便利であった。陶器だと、私が住む川崎市では割れ物扱いで、一般ゴミとは分別して出さなければならない。私にとっては何度も食べている駅弁だけに、残る「釜」が増えても仕方がないところでもある。


横川駅に隣接したおぎのや本店(撮影:吉永陽一)

陶器であるがゆえに環境への影響は少ないと思われるが、毎日大量の「峠の釜めし」の容器が不要となっているのも、また事実だ。荻野屋によると、同社の本店など店内で食べられ、発生した釜については、殺菌消毒のうえ、再利用されているという。飲食店の食器と同じ扱いだ。駅など、店以外の場所で食べられたものについては、できるだけ回収したうえ、窯元に戻して粉砕されたり、道路舗装の材料として再利用されているとのこと。

客が持ち帰った釜は、蓋も陶器であるがゆえ、ご飯を炊くときに使える。上手にやれば、少量でもふっくらと美味しく炊きあがるので、私もチャレンジしたことがある。ほかには、植木鉢として使われたり、小物入れにしているという向きもあるようだ。よい旅の記念になったことだろう。

「駅弁」全盛期は昭和50年代まで?


1997年の横川―軽井沢間廃止まで、横川駅では補助機関車の連結・切り離し作業が行われていた(写真:長井利尚 / PIXTA)

「峠の釜めし」が誕生したのは1958年のこと。高度経済成長期を迎えて鉄道旅行者がビジネス、観光を問わずに劇的に増加しはじめ、駅弁の需要も大きく増えた時期に当たる。荻野屋の本店が駅前にある信越本線の横川駅は、碓氷峠の急勾配を越える際、列車に補助機関車を連結、切り離しをするため、特急から普通まですべての列車が数分間停車していた。それが1997年の横川―軽井沢間の廃止まで続いている。駅弁の販売地としては好条件があり、「峠の釜めし」を名物に押し上げた一因ともなったのだ。

しかし、駅で販売される駅弁そのもので見れば、昭和50年代ぐらいまでが"全盛期"であっただろう。よく語られる販売が衰退した原因としては、「窓が開かない列車」の増加や、停車時間そのものの短縮、列車の高速化で所要時間が短くなり車中で食事する必要がなくなったことなどがある。平成に入る頃には、駅弁調製業者の駅弁からの撤退や廃業が相次ぐようになってしまった。

これは列車の食堂車と同じような傾向であったのだが、ほかにはやはりコンビニエンスストアなど、手軽に安価な食事が入手できる店舗の増加や、各種ファストフード店など外食産業の飛躍的な発展も駅弁衰退の背景としてあるだろう。確かに、国鉄時代の鉄道旅行における食事は、駅弁と食堂車のほかには、大都市圏でもないかぎり、駅の立ち食い蕎麦店や構内の食堂、駅前の個人経営の食堂程度しか手段がなかった。

今、販売が続けられている駅弁の多くは、1000円もしくはそれ以上の値段のものが多い。「峠の釜めし」も1000円である。コンビニエンスストアやデパートなどで500〜700円程度の弁当が多数販売されていることと比べると、割高に思えるが、それでも駅弁販売店の客足が途絶えることはない。

現在も親しまれている代表的な駅弁は、各社とも質的な向上に努めた結果、「名物」として広く認められたもの。価格に応じた価値が感じられるという、納得感があるのだ。その要因は味であったり、駅弁から感じられる旅情であったりする。私が鉄道旅行に親しみ始めた昭和50年代には、中身もありきたりで、箸をつけてみたら"ハズレ"としか思えないような味の駅弁も確かに存在した。けれどもいまや、そのようなこともない。

ただし、駅での販売だけでは販路が極めて限られていたのも、今に至るまでの経緯を見れば確か。衛生基準を順守した製造工場を作ると、設備投資が回収できないという事態になりかねなかった。もちろん投資額が同じなら、弁当を少しでも多く作って販売するほうが、コストが下がり、会社としての利益も大きくなる。1個でも1000個でも、一般に販売する以上、食中毒を起こさないための対策は怠るわけにはいかない。

駅以外が生命線となった駅弁業者

現在、現地の駅でしか購入できないという駅弁は、ごく限られた存在だ。反対に、デパートなどで行われる「駅弁祭り」や、それこそ各地の駅弁を1カ所に集めた東京駅・駅弁屋「祭」などでの委託販売が盛んに行われている。

さらに地元では、運動会などのイベントや地元企業への配達、観光団体向けの貸切バスへの積み込み、ドライブインや高速道路のサービスエリアでの販売など、駅に限らない販路拡大に力が入れられており、これらが会社の生命線となっているケースも目立つ。

荻野屋も、横川駅近くで大規模なドライブインを経営している。そこでは駅弁の販売だけではなく、土産ものの販売やレストランの営業なども、併せて行われている。かつての駅弁調製業者は、規模の大小はあるものの、駅で弁当を販売するだけの企業ではなく、おしなべて地域を代表するような総合供食企業へと発展しているのだ。

しかしながら、やはり駅弁は列車の中で食べると、より美味しく感じる。チャンスがあれば、今後も積極的に駅弁を購入し、親しんでいきたい。