映画『最低。』オフィシャルサイトより

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 本日、映画『最低。』が公開された。これは、純文学として各所で高い評価を得た紗倉まな原作小説『最低。』(KADOKAWA/メディアファクトリー)を、ピンク映画出身でその鋭い作風に熱狂的なファンをもっていたが、最近では『64-ロクヨン-』などのメジャー作品も手がける瀬々敬久監督が映画化したもの。第30回東京国際映画祭のコンペティション部門に選出されたことでも話題となった。

 この『最低。』という作品は、AV女優(もしくはその家族)を主人公とした連作短編小説。映画では、親に反対されながらもAV女優としての道を突き進む「彩乃」編を佐々木心音が、冷めきった夫婦関係に嫌気が差してAV女優になる「美穂」編を森口彩乃が、母親が元AV女優であるとの過去が学校中で広まるなどして母との関係に思い悩む「あやこ」編を山田愛奈が演じている。

 瀬々監督は『最低。』のメガホンをとるのにあたり、「AV女優さんの闇はよく分かりません。ただ紗倉まなさんの原作が、そこに光を当てたものではなく、家族や夫、友人、そういう普通の関係の中で必死に生きようとするAV女優たちが描かれていたのに惹かれました」とコメントしているが、その通り、この作品は、家族や社会との軋轢に苦しみながらも、それでもひとりの人間として生きる女性たちの物語である。

 それを裏付けるように、映画『最低。』の記者会見で、「この作品の一つの意図として、AV業界で働く人々へのスティグマ(偏見・負の烙印)をなくしたいという意図はありましたか?」と質問された紗倉は、「もともとそういう気持ちはずっと思い続けて、いまもそういう自分は仕事をしているということもあるので、ずっと偏見はなくなればいいなと思っていたんですけれども、ある種AV女優も普通の一人の女の子なので、年間1000人以上の方がAVデビューしていると言われてるんですけれども、それだけいるということは、やはりそれだけの女の子の普通の日常もあるということで、そこを描けたらいいなという思いで本は書かせていただきました」と答えている。

 記者会見で彼女自身話している通り、『最低。』には彼女自身の経験や思いが強く投影されており、文庫版『最低。』(KADOKAWA)のあとがきで紗倉はこのように記している。

〈さみしさが、孤独が、周りからの冷ややかな視線が、心の奥底に潜んでいた後ろめたさが、自分を後押ししていき、なにかの作品を、目に見える形で作り上げていく〉

 彼女が作品を書き上げる原動力となった、その「さみしさ」や「孤独」とはいったい何か? 彼女は具体的にこのように綴っている。

〈人前でセックスをし、それを商品にするというある種の常軌を逸した行為は、世界からとことん置いてけぼりにされることもあって、こんなことを言うのはあれだけど、とてもさみしい。AV女優って、基本的にきっと、さみしい。世間から重いカーテンをひかれて、なかなか日差しを入れてもらえないような孤独を感じることは少なくはない〉(前掲『最低。』文庫版あとがき)

 紗倉まなといえば、高専在学中に自らAVプロダクションに応募の連絡を入れてAVデビューし、さらに「親公認」であると明かしていることはよく知られている。そういったエピソードの数々は、2015年に出版した自伝エッセイ『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)に記されていて、18歳の誕生日を迎えた翌日に自らAVのプロダクションに応募メールを送ったことや、ソフトオンデマンド専属の単体女優になることが決まった後母親にAV女優になることを打ち明けると、驚きのあまり「よくわからない子ね」と言われながらも猛反対されることはなかった、といったことを屈託ない筆致で綴っていた。

 そういったことから、彼女はAV女優が抱える「親バレ」問題とは無縁なように思われてきたが、事はそう単純ではなかった。

『MANA』(サイゾー)のなかで彼女は、確かに親にAVの仕事を認めてもらってはいるとはいえ、それは親なりの葛藤を経た末の結論であり、「よし、AVで立派に稼いで来い!」といった流れではないと告白。そのうえでこのように綴っている。

〈最終的に「元気に楽しく生きていてくれるならいい。職業に貴賤なし」と、深い愛情でしぶしぶ了解してくれました。眠れない辛い夜もきっとあったでしょうが、"親なりの苦しい応援の形=認める"、ということになったのです〉

 また、高専在学中にデビューした彼女の場合「親バレ」以外にも「学校バレ」という問題も起きており、前掲『最低。』文庫版のあとがきでは、学校の会議室に呼ばれてほくろの位置や歯並びなどを指摘されながら先生たちに問い詰められたり、生徒の間で噂が広がったことで〈好奇な視線〉の的になっていたということも綴っている。

 こういった経験のもと、彼女はAV女優という職業に対する差別や偏見に対して釈然としないものを抱え、その結果、職業に起因するスティグマに対してカウンターとなるような活動にも足を踏み出すことになる。

 ただし、それは、自分を社会との対立者や被害者に見立てたようなわかりやすいカウンターではない。ある意味、文学的ともいえるような作業だ。紗倉は、この問題への向き合い方について前掲『MANA』でこう綴っている。

〈「AV出演=人生崩壊」というイメージを払拭できたら。偏見という厚い鉄製の壁を壊す作業を、今はアイスピックくらいの小さい工具でほじくっているような気持ちです。ちょこちょこといじるのが私の楽しみであり、仕事のやりがいでもあります。「もしかしたら、何かの拍子にツンとつついたら壊れるかもしれない」と希望を抱けるのも、ある意味で"グレーな領域の仕事"だからこその醍醐味なのかもしれません〉

 映画『最低。』も、こうした紗倉の闘いを後押しする作品になっているはずだ。
(新田 樹)