ジャズバイオリニストの寺井尚子が22日に、プロデビュー30周年を記念したフルアルバム『STANDARD』をリリース。ジャズがレコーディングされ100周年という節目に、自身もプロデビュー30周年イヤーに突入し、CDデビューまでの修行時代によく弾いていたという「これからの人生」を収録するなど、自身の原点を見つめ直す作品になった。ジャズバイオリニストとして世界で活躍している彼女。この30年を振り返るとともに、成功への秘訣や、寺井尚子の探究心や積極性の秘密に迫るとともに、ジャズの魅力について話を聞いた。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

私を包み込む自由さを感じたジャズ

インタビューに応じる寺井尚子

――ジャズがレコーディングされて100周年ということですが、未だに世間一般的にジャズは高尚なイメージがあると思います。

 そうですね。難しいんじゃないか、わからないと何か言われてしまうのでは、ということはありますね。全然そんなことはないんですけどね。ジャズの深いところを勉強したい人はどんどん勉強すればいいと思いますし、何かのきっかけでジャズを聴くようになった人は、もうそれだけで入り口は十分なんです。例えば、私のファッションから、興味を持ってもらっても良いわけです。音楽は居心地が良いかどうかというだけでいいんです。

――様々な音楽ジャンルがある中で、寺井さんから見たジャズの魅力はどこでしょうか。

 自由なところです。ですから、聴き方も自由なんです。私自身、何の知識もなくジャズを聴き始めたので、なぜ自由なのかはわからなかった。ずっとクラシックをやってきて、腱鞘炎になってしまって。レッスンを休んでいた16歳の時、初めてビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」を聴いて、もう何かが逆流するような感覚でした。私を包み込む自由さというのを感じて、自分が自由自在に弾いている映像も出てきました。このイメージを形にしたいと思い、ジャズの世界に飛び込んでしまったわけです。

 後からその自由さとは何だったのだろうと分析したら、ジャズにはアドリブというものがあることがわかって。即興演奏で会話をしているということに惹かれました。アドリブはフラメンコにもあるそうですが、インストゥルメンタルで即興演奏というのは、ジャズだけです。

――その中でもジャズバイオリンというジャンルを切り開いていったのは寺井さんだと思うのですが、なぜ世界を見渡してもやられている方が少ないのでしょうか?

 なぜでしょうね。私も不思議なんですけど(笑)。以前、あるピアニストの方とそのお話をしたことがあって、もちろん確証はないですが、バイオリンは幼い頃から始めて、音大まで続けていく。長い時間、楽譜を読むことに慣れてしまい、そこから離れることができないのではないかという意見はありました。でも、ピアノや他の楽器も同じだと思いますし、なぜジャズバイオリン人口が少ないのかはわからないですね。

 私の場合はジャズバイオリンに触発されたのではなく、ジャズという音楽の世界観に魅了されたので、少ないことは問題ではなく、ジャズがやりたい、自分はバイオリンが弾けるというシンプルな動機で飛び込みました。

――では違う楽器を弾いていたら、バイオリンではなかった可能性もあるわけですね。クラシックとジャズでは奏法としての違いはあるのでしょうか。

 基本的にクラシックの奏法は必要です。大きな違いはノリやリズムですが、これらを表現するために、エッジを効かせるなど自分の中から新たな奏法が生まれてきた感じです。

――現在でも新しい奏法は模索されているのでしょうか?

 今はもうそんなに考えてはいないかな。私の中では修行時代と呼んでいる、1988年からCDデビューする1998年の10年間ぐらいですが、その時代は自分のライブを録音して、自分のイメージした表現に近づけるように試行錯誤して、その繰り返しで自分の奏法が生まれてきました。今はもうあまり意識していないです。こう弾きたいとイメージしたらその音が出てくる感じです。

――音といえば、バイオリンの難しさの一つに音がしっかり出ないというものがあります。寺井さんがまず一つアドバイスするとしたら?

 まずは正しい持ち方、正しい力加減が基本ですね。姿勢は本当に大事です。鏡の前で練習した方がいいです。

ダメなところが知りたいと思う欲求

寺井尚子

――来年はプロデビュー30周年を迎えるわけですが、修行時代と呼ばれていた時代が10年間もあったのには驚きです。でも、その時代にジャズピアニストの最高峰とも称されるケニー・バロンさんとのレコーディングもありました。改めて振り返るといかがですか。

 そうですね。94年にケニーさんと出会って、95年にレコーディングですから修行時代ですね。あの頃は「これで大丈夫なのかな?」とたびたび思っていた時期でした。私のキャリアの中でもターニングポイントですね。真っ暗なトンネル走っていた感じで。それでも、「やるしかないんだ」と腹は決めていましたけど(笑)。

――幼少期の頃から肝が座った感じだったのでしょうか。

 そうですね。大丈夫かなとは思ってはいるんだけど、信じてやっていくしかないと最終的には思い直します。修行時代はそれの繰り返しでした。ケニーさんとのレコーディング後はもうその迷いもなくなりました。レコーディングが終わって、ブルックリンからニューヨークのホテルに帰る車の中で思わずガッツポーズをしていましたか。それぐらい手応えを感じて、自分の信じた道は間違っていなかったという確信を得ました。出会いに感謝ですね。出会いの積み重ねに支えられた30年だと思っています。

――寺井さんのすごいところは、そのチャンスを掴む積極性だと思います。94年に寺井さんが演奏していたジャズクラブに訪れたケニーさんに「一緒に演奏してください」と声をかけたのが始まりだったみたいですし。失敗や挫折は怖くはないのでしょうか。

 その時は自分のダメなところが知りたいと思う欲求の方が私は大きかったです。周りでは、ケニーさんを演奏に誘うことを、「やめた方がいいんじゃない」という人もいました。でも、ダメならダメで、どこがダメなのかを知りたかったんです。本物を知って、そこをわかりたいと思いました。その方が近道でしょ?

――確かにそうなんですけど、普通の人はダメなところを知った時に立ち直れなくなると思います(笑)。寺井さんはメンタルがお強いのだと。

 いえ、強いかどうかはわからないです。怖さに気づいていないだけかもしれません。気は強いと思いますけど(笑)。こうしたいという目標が見えているので、そこに向かっていけるんです。失敗するかもと思っても、その時は考えないです。失敗した時に考えますね。道はそうしないと開けないですから。失敗した時のイメージは一切考えてはダメなんです。イメージすると、必ずそうなってしまうんです。バイオリンの演奏でも、「間違えるかな」と考えると間違えてしまいますし。

――そう考えると消極的というのはもったいないですね。でも、その自信を裏付けさせる練習も重要ですよね。

 そうです。そこはアスリートと一緒です。私も最初からそうだったわけではなくて、いろいろな経験を積み、出会いを重ねて今の私が作られたと思っています。

――成功への道の一歩は、その考え方にあるかもしれませんね。

 成功よりも、後になって後悔しないことです。後悔はしたくないという思いは常にあります。後悔するぐらいだったら、そこに飛び込んでいきます。どうしたら明日も明後日も楽しんでいられるかということを考えてます。

未来の100年に届くように

寺井尚子

――30年というキャリアの中で、ジャズスタンダードのみのアルバムを出されるのは、意外にも初めてなんですよね。

 そうなんです。ちょうど今年がジャズがレコーディングされて100周年ということもあり、そこでスタンダードと改めて向き合いました。この100年という歴史の中で生まれた曲を、偉大なジャズメンたちが受け継いで、今の時代にスタンダードとして生かしているわけです。私はそのジャズメンに敬意を評して、未来の100年に届くようにという思いで制作しました。

――先ほども仰られていましたが、多くの名曲があるので選曲はまた難しいですよね。けっこう悩まれたのではないかと思うのですが。

 そうですね。もっと有名な曲もあるでしょと言われるかもしれませんが、今の時代の香りを投入して演奏するというのが、常に私のアルバムのコンセプトで、今のバンドの状態や今表現したいことを、長い時間のリハーサルの中でこれらの曲を選びました。

――今作には13曲が収録されていますが、特に思い入れのある楽曲はどれでしょうか。

 4曲目の「これからの人生」でしょうか。まさに修行時代に大切に弾いていた曲で、大好きな曲なんです。今回初めてレコーディングして収録しました。

――川嶋哲郎(tenor sax)さんが3曲で参加されていますが、どのような経緯だったのでしょうか。

 川嶋さんとは修行時代からたびたび一緒に演奏する機会があって、2018年はデビュー30年ということで、原点に帰ると言いますか。自然とそうなっていきました。いつかは川嶋さんと一緒にレコーディング出来たらいいなと思っていましたので。

――レコーディングを一緒にされてみていかがでした?

 良かったです。音楽性の高いミュージシャンで、テクニックにプラスして情感や歌い回しが素晴らしいし、やっぱり自分の音を持っているというところが特に素晴らしいです。私も常にそこを求めています。

――寺井さんも独自の音色を持たれていますが、割と始めた早い段階から自分の音色というのは確立出来たのでしょうか。

 う〜ん、どうだったのかは覚えていないです(笑)。母のお腹にいる時からバイオリンは聴いていたみたいで、幼少期は定規を弓の代わりにして弾く真似をするぐらい、バイオリンが好きな子供でした。それを見ていた母が「やってみる?」と声をかけてくれたのが最初で。母としてはバイオリンを弾かせたかったみたいなので、作戦成功といった感じだったみたいです(笑)。そこからスパルタの練習が始まるわけです。

――バイオリンと言えば正確なピッチで演奏するのが難しい楽器ですが、寺井さんは音感は昔から良かったのでしょうか?

 聴音は6歳頃から始めてレッスンがとても楽しみでした。ジャズに向いていたのかもしれません。譜面から離れても音を聞けば自然に反応していますから。ピッチに関しては、性格な音程を常にイメージすることが大切だと思います。

――今作には「枯葉」も収録されていますが、今回は2010年にリリースされたアルバム『マイ・ソング』の時とはまた違ったアレンジですね。アレンジに関しては北島直樹(piano)さんにリクエストする形でしょうか。

 これは「ちょっと早いテンポで」とリクエストしたくらいです。「枯葉」の原曲はシャンソンで、『マイ・ソング』に収録したものが原曲に近いイメージです。でも今回はスタンダード集なので、その原曲をジャズメンたちが演奏したスタイルを踏襲して「バリッといきたいね」と北島さんに伝えました。

――調べてみると、意外とスタンダードと呼ばれている曲は原曲がジャズではないものも多いんですよね。ミュージカルだったり映画音楽だったりと。ジャズはどんなジャンルもジャズに変えてしまう懐の深さがありますね。

 そうですね。ですから“原曲のジャンルにとらわれない”という感覚が私の中にも自然に受け継がれてきたのだと思います。即興演奏は演奏する度に毎回違うので、今日の「枯葉」と明日の「枯葉」は違います。そこがジャズの魅力なので、ジャンルは問わず、どう“ジャズる”かが最も大切なポイントになって来ます。

――寺井さんはタンゴなど様々なジャンルの楽曲をジャズで表現されていますが、原曲の印象を変えていないところが、すごいところの一つだと感じました。

 アレンジによっては途中で、何の曲かわからない曲もありますが、私は基本的に原曲のイメージをすごく大事にします。それを踏まえた上でアレンジを仕上げていきます。

レコーディングでは良いイメージしか与えない

寺井尚子

――ちょっとした疑問なのですが、スタンダードと呼ばれる楽曲に基準というものはあるのでしょうか? 何年間は経過していないといけないなど。

 基準はわかりませんが、引き継がれていく曲がスタンダードと呼ばれるものになるのかなと私は思います。例えば、今作に収録したマイルス・デイビスの「ナーディス」は、彼が作曲した曲ですけど、プレイヤーが弾いていくことによってスタンダードになったのだと思います。また、そうした曲には、共通して楽曲の持つ強さが備わっていると言えます。

――曲順はどのようにして決めていくのでしょうか。どの曲も有名曲だけに悩みどころな感じがします。

 私の場合は大体曲順を決めてレコーディングしていきます。録ってみた感じでちょっと変えたところもありましたが、概ね最初にストーリーを決めます。

――レコーディングも曲順通りに録り始めていくのでしょうか。今作では「ナイト・アンド・デイ」ですが。

 「ナイト・アンド・デイ」はアルバムの1曲目としては良いのだけど、レコーディングの1曲目としてはソフト過ぎるんです。もっと気合が必要な曲でないと1曲目はダメで。メンバーのコンディションなどを見て、今回は「枯葉」から始めました。

――そういったことも考慮するんですね。どのようなレコーディングなのですか。

 今回は「『枯葉』サウンドチェックします」とみんなに声を掛けて演奏を始めました。その時、私の頭の中には「エンジニアさん、録っていてくれたら嬉しいな」という感じで(笑)。そうしたら、しっかり録っていてくれていて「さすが」だなと。その演奏が良かったのでサウンドチェックで「枯葉」は録り終えたりして。あれはリラックスした良い演奏でした。

――大体テイク1でOKという感じなのでしょうか。

 概ねテイク1が多いですね。中には4回ぐらい録る時もありますけどね。

――でも、結果的にテイク1が選ばれたり。

 4回録ったら、テイク1が選ばれることはないかな。やっぱり良くないから録り直しているわけですから。その「枯葉」が良かったから、次の「ナイト・アンド・デイ」も上手く行くという流れができます。自分が出来たという、良いイメージが生まれるので、その後もスムーズに出来るようになります。

――良い連鎖が生まれるわけですね。

 できるだけ良いイメージしか与えないようにします。そのあと川嶋さんが合流して、「イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー」と「ソウル・アイズ」が彼の参加曲だったのだけど、それがあまりにも良かったので、もう1曲やってもらいたいなと。で、急遽「枯葉」を演奏してもらって。そのテイクが素晴らしかったので、今回は川嶋さんが参加したバージョンが収録されることになって。つまり、最初に収録したテイクは幻のテイクになりました。

――そういう流れもあったんですね。

 その“流れ”というのもすごく大事で、「枯葉」はすでに録り終えていた曲でしたが、私がもう1曲、川嶋さんと一緒にやりたいと思った勢い、その炎を大切にしています。

――その流れを読む力が必要になりますね。

 流れを止めない力ですね。自ら流れを作ってしまうという方法もありますけど、作ったところで風も吹いたりしますし、思い通りにはいかないこともあります。まずはそういう時にどうするかということも考えていかなければいけないですね。

――最後に、音楽ファンの方へメッセージをお願いします。

 生の演奏に浸ってみるとすごくわかりやすいと思うんです。私のバンドは特に躍動感を感じてもらえると思います。どんなことでも良いので、興味を持たれたらお家ではアルバムで楽しんでいただいて、気軽にコンサートに来て自由に楽しんでいただけたら嬉しいです。

 そいう方達が増えていくことをイメージして歩き続けます。アルバムはその都度の集大成、証として重要なものだし、コンサートは、私の場合は動きもあるので、視覚的にも楽しんでもらえたらなと思います。

寺井尚子
インタビューに応じる寺井尚子
寺井尚子
寺井尚子
寺井尚子
寺井尚子
寺井尚子
寺井尚子
寺井尚子

作品情報

01.ナイト・アンド・デイ
02.フライ・ミー・トウ・ザ・ムーン
03.デヴィル・メイ・ケア
04.これからの人生
05.イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー
06.ソウル・アイズ
07.ワン・ノート・サンバ
08.イエスタデイズ
09.ブルーゼット
10.ゴールデン・イヤリングス
11.枯葉
12.ナーディス
13.ブルー・ヴェルヴェット(2017年8月21-23日録音)

寺井尚子 violin
北島直樹 piano
金子 健 bass
荒山 諒 drums
松岡 “matzz” 高廣 percussion 川嶋哲郎 tenor sax (Tracks 5, 6, 11)