永井秀樹「ヴェルディ再建」への道(5)
〜激闘のプリンスリーグ関東(前編)

「ヴェルディらしいサッカー」は
“ラモス瑠偉”という存在ありき

 試合後のミーティングを終えて、誰もいなくなった川崎フロンターレ麻生グラウンドに戻ってきた永井秀樹の表情は、思いのほか晴れやかだった――。


プレミアリーグ昇格を目指して、プリンスリーグ関東で戦うヴェルディユース

 2017年9月23日、高円宮杯U-18サッカーリーグ2017・プリンスリーグ関東の第14節。4位の東京ヴェルディユースは、首位を走る川崎フロンターレU-18と敵地で対戦し、0-2で敗れた。

 フロンターレU-18はこの日、2年生ながらチームの攻撃をけん引するU-17日本代表FWの宮代大聖をはじめ、来季ファジアーノ岡山入りが内定しているMFデューク・カルロスなど、年代別代表や代表候補がズラリと顔をそろえるベストメンバーだった。

 片や、監督・永井率いるヴェルディユースは、背番号「10」のMF藤本寛也とキャプテンのDF谷口栄斗がU-18日本代表のカタール遠征メンバーに選出されて不在。さらに、1年生ながらU-17W杯に挑む代表メンバーに選ばれたDF馬場晴也が出場停止で、他にも負傷などで主力メンバーを複数欠く”手負い”の状態だった。

 こうした状況にあっては、さすがに好結果を求めるのは酷だろう。だが、そんな”ハンデ”も意に介さず、永井はこう語った。

「『これだけ選手がそろわなければ仕方がない』と思ってしまう監督もいるかもしれないね。でも(自分は)そんな言い訳をする気はまったくない。むしろ、逆。選手にも昨日の練習後、『俺は明日の試合が楽しみで仕方がない』と伝えていた。『レギュラーが5人いないということは、新しいヒーローが5人生まれる可能性がある、ということだ』と。

 今日の負けは、すべて監督である自分の責任。選手には1%の責任もない。これだけ厳しい状況の中でよくがんばってくれたと、選手たちには感謝している」

 言い訳を嫌う永井らしい台詞である。とはいえ、負けて悔しいと思わない監督などいない。

「悔しいかどうか聞かれたら、もちろん悔しいよ。たぶん、今夜も確実に眠れない(笑)。でも、その悔しさを上回るだけの発見や学びがあった。それは、ものすごく大きな収穫だった」

 永井は笑顔でそう答えた。

 敗北の中で、永井が得た”発見”や”学び”。それは、一指導者としての成長に限らず、今取り組む『ヴェルディ再建』にもつながるものだ。

 では、いったいどんな発見や学びだったのか。それを説明するには、今から四半世紀前のJリーグ創成期、人気・実力ともに国内最強を誇っていた「黄金時代」のヴェルディについて触れる必要がある。

「当時言われていた、いわゆる『ヴェルディらしいサッカー』って、わかりやすく説明すると、圧倒的にボールを支配して、ゴール前でたくさんシュートチャンスを作れる、見ている側もプレーヤーも楽しいというサッカー。実際に一緒にプレーしていたからよくわかるけど、そのサッカーができるかどうかは、”ラモス瑠偉の存在”があるかどうかで決まる。

 ラモスさんは、たとえ試合に勝ったとしても、理想とするサッカーができていなければ、決して満足することはなかった。当時、自分たち若手は試合に勝てば、何でもかんでも喜んでいた。ときには、ドンチャン騒ぎのようにロッカールームで騒いでいた。でも、そんな中でラモスさんだけは違った。内容が伴わなければ不機嫌になり、はしゃぐ若手を見て『ふざけんな、おまえら!』『何がうれしいんだ!』『なんだ、今日の試合、クソ試合じゃねぇか! 何がヴェルディだ!!』と激昂し、説教をし始めた。

 当時、自分もまだ幼稚なサッカー脳しかなかったから、内心では『試合に勝ったんだから、喜んだっていいじゃないですか』と思いながら、ラモスさんの説教を聞いていた。でも、今となれば(ラモスが言っていた)理想を追求することの大切さがものすごくよくわかる」

 日も暮れ始めたので、麻生グラウンド近くのパスタ屋に移動。そこで、話の続きを聞いた。「フロンターレ選手御用達」という店は、家族連れや女性客などで賑わっていた。

真のチャンピオンチームになるには
理想のサッカーとなる「型」が必要

 1993年5月15日、当時「2強」と言われていたヴェルディ川崎vs横浜マリノスの試合によって、Jリーグは産声を上げた。以来、さまざまな歴史を刻み、今につながっている。

 開幕戦の会場となった国立競技場には、5万9626人の大観衆が集結。テレビでは民放の地上波で全国中継されて、視聴率は32.4%(関東地区)という驚異的な数字を記録し、Jリーグはその後、社会現象になるほどの人気を極めた。

 前年のJリーグカップでも優勝していたヴェルディは、初代年間王者に輝くと、翌年も連覇を達成。チームには、カズ(三浦知良)、北澤豪、武田修宏、柱谷哲二ら日本代表でも活躍する面々が在籍し、まさにスター性にあふれたタレント集団で、Jリーグ人気を象徴するクラブだった。そのヴェルディの確固たる軸として、ゲームをコントロールしていたのが、ラモス瑠偉だった。

「当時はラモスさんを中心にして、意識しなくても数的優位の状態を作れたし、(選手個々が)理想の距離感になっていた。だから、懸命にボールを保持しようとしなくても、結果的には自然と(ボールを)保持できて、相手が下がらざるを得ない状況となり、シュートチャンスがたくさん生まれた。

 要するに”ラモス瑠偉”という、ピッチ上で相手の戦略や戦術を観察しながら試合の流れを察知し、攻守にわたってチーム全体をコントロールできる絶対的な司令塔がいたからこそ、周りの選手も輝くことができたんだね」

 ゆえに、その存在は「失うことになれば、チームとして機能しなくなる」という諸刃の剣でもあった。

 事実、ラモスが監督との確執により、シーズン途中で京都パープルサンガに移籍した1996年シーズンは、前年までリーグ1位、1位、2位だったチームが一気に7位まで転落。翌1997年シーズン、途中からラモスがヴェルディ復帰を果たすも、一度壊れてしまったサッカーを修復するのは難しく、ファーストステージ16位、セカンドステージ12位と惨たんたる結果に終わった。

 そして、1998年シーズンを最後にラモスが現役を引退。経費削減を理由にして、カズや柱谷など高額年俸の選手がチームを去らなければいけなくなると、サッカーも、クラブも、完全に”ヴェルディらしさ”を失っていった。

「今思えば、ラモスさんは目先の勝利うんぬん以前に、『この程度のサッカーで満足していては、ヴェルディに未来はない』という危機感を常に抱いていたように思う。『理想のサッカーを追求し続けない限り、真のチャンピオンチームにはなれない。メンバーが代わっても、勝ち続けることができるようなチームになってほしい』と誰よりも願っていたからね。当時、ラモスさんの意見を真摯に受け止める人がいれば、ヴェルディは今、まったく違う歴史を刻んでいたかもしれない」

 ヴェルディが輝いていた時代から20年以上の時が経った今、永井はある意味で、かつてラモスが思い描いていた理想の実現を目指していると言えるかもしれない。

「今、ヴェルディに求められるのは、”ラモス瑠偉”のような絶対的な存在がいなくても、理想のサッカーを表現できる仕組み作りであり、サッカーの”型”を作ること。元日本代表監督の岡田武史さんが、FC今治で『日本のサッカーの型を作ろう』と挑戦しているけど、その考えはまさに今のヴェルディに求められていることと同じ。将来、ヴェルディが真のチャンピオンチームになるためには、育成年代からトップチームまで、同じメソッドを落とし込んで実践する必要があると、自分は考えている」

 ところで、ヴェルディはJリーグ開幕当初から長い間、「国内随一の育成型クラブ」としても名を馳せ、数多くのプロ選手を輩出してきた。それは、2006年シーズンに初めてJ2に降格し、2008年シーズンにJ1復帰後、再び2009年からJ2の舞台で戦うようになっても変わらなかった。

 ところがここ数年、そうしたブランド価値にも陰りが見え始めている。

 現在、永井が指揮を執るユースチームは、2014年にユース年代のトップリーグである高円宮杯U-18サッカーリーグ・プレミアリーグから降格(EASTで9位となり自動降格)。読売クラブ時代から含めれば、日本クラブユース選手権(U-15)を過去に6回制しているジュニアユースも、全日本少年サッカー大会で3度の優勝を誇るジュニアも、最近は全国大会に駒を進めることができていない。

 下部組織の場合、大会の成績がそのまま、育成に長けているかどうかの判断にはならないかもしれないが、2017年シーズン、ヴェルディの下部組織からトップチームに昇格したのは、MF渡辺皓太ただひとり。この現状を見ただけでも、「育成のヴェルディ」とは呼べなくなっているように感じる。

 ちなみに、同じ東京をホームタウンとするFC東京は、2017年シーズン、下部組織から4人も昇格している。

 こうした状況を踏まえて、永井はこう語る。

「2020年の東京オリンピックまでに、トップチームがJ1で優勝争いに加わるくらいにならないと厳しい。『ヴェルディ』というブランドの価値は、今の子どもたちの親となる世代までは理解してくれるかもしれないけど、20代から下の世代となるとそうはいかない。現状、もし関東の子がJクラブの下部組織に入りたいと思ったら、『やっぱ浦和レッズでしょ』とか『FC東京か、フロンターレ、マリノスかなぁ』と言った会話になる。『ヴェルディは?』と聞けば、『ああ、あのJ2の?』くらいの認識じゃないかな。

 だから、ある程度のスピード感を持って改革を進めていかないと、厳しいと感じている。(2009年に)J2に再び降格して、まもなく10年の時が経つよね。この状態のまま、もうひと世代、変わってしまえば、ヴェルディは完全に忘れ去られてしまうよ」

 ヴェルディのために今の立場でできること――それは、現在ユースでプレーする選手の中から将来のヴェルディを背負う人材を、ひとりでも多く育てることだと永井は考えている。そのためにも、クラブ自体に理想とするサッカーがあり、サッカースクールの延長のような生ぬるい環境ではなく、人間教育のしつけを含め、厳しさのあるプロ予備軍を備えること、それらのことを成熟させられる環境が早急に必要だと思っている。

「(理想とするサッカーは)『ラモス瑠偉』のような絶対的な司令塔がいなくても、常にグループでボールを保持して数的優位な状況を作り、ゴール前でたくさんのシュートチャンスを生み出せるスタイル。(選手は皆)基本となる個人スキルを保持して、ピッチ上の11人全員が同じ価値観を持ち、常に同じイメージを共有してプレーできること。さらに、試合に出場していないメンバーも、同じ価値観、同じイメージが持てることが大事だよね。

 そういう意味でも、今日のようなレギュラーメンバーが5人いない状況というのは、逆に新しい発見や学びができるチャンスだと改めて思った。自分が目指しているのは、控えやベンチに入れない選手も含めて、誰が出ても同じサッカーが実践できる仕組み作りだから」

 はたして永井は、首位フロンターレU-18との試合で、どんな”発見”や”学び”を得られたのだろうか。

(後編につづく)

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