『嘘の木』フランシス・ハーディング 東京創元社

写真拡大

 あらゆるものに裏切られ、打ちのめされた女性が世界との知恵比べに挑む小説だ。

 英国圏の文学賞であるコスタ賞(旧ウィットブレッド賞)大賞と児童文学部門賞を同時に獲得したフランシス・ハーディングの力作『嘘の木』のことである。

 19世紀後半のイギリスに時代は設定されている。1859年にチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を上梓したことによりキリスト教信仰の土台が揺るがされ、知識階級の間では激しい論争が巻き起こっていた。弱冠14歳のフェイス・サンダリーの人生もそれによって大きく揺らぐのである。彼女の父・エラスムスは牧師であると同時に博物学者としてもその名を知られていた。だが彼が、創造説の動かぬ証拠となる未知の化石を発掘したと学会誌に発表したことは恐ろしい結果を招いてしまう。発掘されたのは捏造品であるとの指摘があり、エラスムス・サンダリーの名は一夜にして泥に塗れることになったのだ。詐欺師の誹りを受け、それまでの暮らしを維持することが難しくなった一家は、醜聞がまだ届いていない僻地への移住を余儀なくされる。ヴェイン島から発掘調査に協力してもらいたいとの要請があり、応えることになったのだ。

 島へ向かう船上から物語は始まる。フェイスの胸中は新生活への期待どころか、世界に自分たち一家の居場所はないのではないかという不安に満ちている。彼女は高潔な父が不正を働くはずがないと信じているが、一方で醜聞が島民の耳に届けば同じ恥辱が繰り返されるであろうことも理解していて、それを防ぐ力が自分にないことに無力感を覚えているのだ。幼い弟・ハワードのように子供でいられれば、あるいは女であることに徹して男たちの世界から距離を置く母・マートルを見習えれば、そんな苦しみからも目を背けていられる。子供でもなく大人でもない、14歳という中間の年齢であること自体がフェイスの問題なのである。

 彼女を押しつぶそうとするものはそれだけではない。19世紀のイギリスは、女性に対等な権利を認めるような社会ではなかった。高等教育を受けることなどもっての他である。たとえば夜会で男たちが議論を始めれば、女たちは部屋に下がって世間話やゴシップに花を咲かせるのがマナーとされていた。それどころか、自身に知性があることを露わにしたり、男のものである学術的な領域に関心を示したりすることさえ、淑女として慎みのない行いとして非難されたのだ。父・エラスムスの修めた博物学によって知的世界への興味を惹かれ、自らも学問の最先端に立って教養を深めたいと感じるフェイスにとって、社会の慣例は自らを縛る残酷な縄でしかない。

 しかも、彼女の家族もまたフェイスの苦悩には無理解であった。母・マートルは娘に、堅信礼を経て自分たちと同じような慎み深い淑女になることのみを望んでいる。しかしフェイスの眼に母は、自ら愚かになろうとして愚かになり、男への媚びを売ることのみを行動の指針とする、耐え難い存在としか映らないのだった。尊敬の対象は父だが、そのエラスムスも娘の渇きには無関心であり、女としての枠に収まらせることしか考えていない。彼にとってフェイスは、将来はマートルのように自分にかしづく下僕となり、跡継ぎであるハワードの世話役を務める存在に過ぎないのだ。フェイスは家族に愛されたいと切望しているが、彼女の望むものは決して与えられない。愛を得るためには知性と誇りを捨て、自らがまったく望まないものになる必要があるのだ。

 そうした地獄のような状況に甘んじる中、父が突然死を遂げるという事件が起きる。しかも自殺を思わせる状況下の死であり、一家は致命的な打撃を受けることになった。キリスト教徒にとって自殺は最大の罪の一つであり、亡骸が墓地への埋葬を禁じられるなど、ありとあらゆる社会的制裁の対象となるからだ。父が自殺するはずはないと信じる根拠を持つフェイスは、唯一の手段に賭けることを決意する。自らの手で殺人犯を探し出すのだ。

 ここまで探偵役が追い込まれ、かつ犯人捜しに強い動機を持つミステリーは珍しいのではないだろうか。フェイスが事件の捜査を行う動機は、第一に生存のための、第二に父の名誉を回復するための、そして第三に自らの知性を闇に葬らせないための、聖なる闘いである。上記に書いた以外にも、たとえば喪の期間にある女性がその姿を他人に晒すことが禁忌となるなどの、時代ゆえの慣習が彼女を阻む要因となる。気が狂いそうになるほどの制約をはねのけながら、彼女は目的へと向かっていくのである。

 表題の『嘘の木』は中盤以降に登場する植物からとられている。架空の植物に備わった不思議な力がフェイスの切り札となるのである。本書に幻想小説としての性格が備わっているのはこの設定があるためで、ダーウィンの激震という時代性と絶妙に合致している。しかし物語の根幹は謎解き小説、それも犯人捜し趣向が強いそれであり、ミステリー・ファンは絶対に本書を読み逃すべきではない。

 フェイス・サンダリーという主人公が映えるのは、19世紀イギリスに現代人の心を持つ人物を配置した、アナクロニズムの技巧ゆえでもある。恐ろしいことに、本書で彼女を脅かす無理解や無自覚の女性蔑視は、前時代のものとして一笑に付すわけにはいかない類いのものなのである。いや、むしろ現代の日本にこそ「女は愚かでよい、母に徹していればよい」とする声は高まりつつあるのではないか。幅広い層に読まれるべき良書だが、ぜひ、これから社会に出ていく若い世代に手に取ってもらいたい。フェイスはあなたであり、私であり、あなたの愛する他の誰かなのだ。

(杉江松恋)