日本サッカー界とアル・ヒラルの因縁とは…【写真:Getty Images】

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日本のチームが初めてアジアを制した31年前、古河電工がアル・ヒラルと対戦

「サウジアラビア(アル・ヒラル)は優勝を義務づけられている。だから一番弱そうな日本戦で最初に弾みをつけようと考えていたんでしょうね」――(前田秀樹=古河電工、元日本代表)

 サウジアラビアを代表するビッグクラブ「アル・ヒラル」は、過去にも少なからず日本のチームと因縁の試合を繰り返している。

 実は、日本のチームが初めてアジアを制したのは1986年だった。まだ日本は、単独チームの国際交流に目を向けておらず、大会に参加するのも2度目。しかも、AFC(アジアサッカー連盟)が急遽決勝リーグの年末開催を通告してきたので、前年のリーグ王者・古河電工(ジェフユナイテッド千葉の前身)がアジアのNO1決定戦に臨むためには、天皇杯を棄権しなければならなかった。

 大会開催地はサウジアラビアの首都リヤド。古河は現地に着いた当日の夜から、中1日で3試合(総当たりリーグ戦)を戦った。そして初戦の相手が、2017年のACL決勝で浦和レッズと顔を合わせたアル・ヒラルだった。まだ日本は、アジア大会などでも中東勢に対して分が悪く格下と見られていたため、ホームチームは大勝して弾みをつけようと目論んだに違いなかった。

91-92シーズン、アジア・カップウィナーズカップ決勝では日産が激突して勝利

 実際、大会を通して「日本のマラドーナ」と称賛された前田秀樹氏(現・東京国際大監督)も、控え目な目標しか立てられなかった。

「なんとか勝ち点1は取りたいな、と話していました。取れるとしたら、相手は中国かな、と」

 地の利を考えても「中東勢有利」は動かしがたく、2戦目のアル・タラバ(イラク)との試合でも相手サポーターが大挙駆けつけ、完全アウェーの試合を強いられた。だが古河は、ブンデスリーガから復帰したばかりの奥寺康彦氏のハットトリックなどで、アル・ヒラルに4-3で快勝。さらにアル・タラバ、遼寧(中国)にも連勝して完全制覇を成し遂げる。逆に大会最終戦に組み込まれた中東決戦は、優勝決定後の消化試合になってしまった。

 ちなみに、その5年後には日産自動車(現・横浜F・マリノス)がアジア・カップウィナーズカップ決勝で、やはりアル・ヒラルと対戦。日産はアウェーの初戦では「疑惑のゴール」で追いつかれ、1-1の引き分け。平塚で行われた2戦目には、サウジ国王も駆けつける熱の入れ用だったが、選手たちのテンションが上がり過ぎて退場者2人を出すなど自滅。日産は元ブラジル代表レナトのハットトリックなどで5-0と大勝し、翌年の連覇へとつなげた。