怪獣映画と人間ドラマを掛け合わせた秀逸な一作 松江哲明の『シンクロナイズドモンスター』評

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 ポスタービジュアルや怪獣が登場するという情報から、B級映画の匂いも放っていた本作ですが、観終わったときの印象はまるで違ったものでした。分かりやすいハッピーエンドを描くわけではなく、主人公が“大人”への一歩を踏み出す模様を巧みに描いています。僕にとっては『ゴジラ』を期待したら、マーク・ウェブ監督作『(500)日のサマー』やジェイソン・ライトマン監督作『ヤングアダルト』のような「異性によって自分自身の幼さに気づかされる」映画に似た感触がありました。

参考:僕は松本人志監督の大ファンなんだーー『シンクロナイズドモンスター』監督が語るアイデアの源泉

 2作品とも、ラブコメのジャンルに分類される作品だと思いますが、どちらも恋愛が成就してハッピーエンドとなるわけではなく、その先の、誰もが経験する“痛み”を描いています。そして、主人公が自分を見つめ、成長するきっかけのひとつとして恋愛を扱っていた。その点は本作にも通じるものがあるのですが、さらにそこに“怪獣”という異色のジャンルを掛け合せ、それが効果的に作用しています。人間ドラマに、怪獣映画のカタルシスも兼ね備えていて、その完成度とバランスに驚かされました。できるだけ事前情報なしの方が楽しめる作品になっているので、未見で映画を観るつもりの方は、読むのを中断して劇場に向かって下さい。

 アン・ハサウェイ演じる主人公・グロリアは、ライターの仕事をしながらニューヨークで働くものの、会社からリストラされて酒浸りの日々。恋人からも追い出されて、故郷の田舎町に帰り、小学校の同級生・オスカーと出会う……というのが本作の導入部分です。ベタベタなラブコメ映画であれば、この同級生といい関係になり、彼女が新しい人生を歩み出す、という形になると思いますし、中盤まではその展開を匂わせます。

 でも、本作は「こうなるんじゃないかな」と思う観客の予想をうまい具合に裏切っていきます。そこで登場するのが怪獣です。アメリカの田舎町で日々を送るグロリアが、韓国ソウルに現れた巨大怪獣とシンクロする、その設定は非常に馬鹿馬鹿しい。でも、登場するキャラクターには、誰もが自分を重ねてしまうような生々しさがあります。

 主人公のグロリアだけでなく、出て来るキャラクター全員が、自分の価値観を疑っていない人たちです。ジェイソン・サダイキス演じるオスカーは、故郷に帰ってきたグロリアに、家具をあげたり仕事を紹介したりと、一見善人に見える。でも、オスカーのグロリアに対する優しさは、自分の力を誇示したいだけのものだと次第にわかってきます。田舎町に縛られてそこで生きるしかなったオスカーの切なさと弱さ、ニューヨークで仕事を謳歌していたグロリアへの嫉妬が見え隠れするのです。とても狭い世界で生きるしかなく、果たしてこれでいいのかと思っても、自分の生活を変えることができない。

 グロリアの元カレであるティム(ダン・スティーヴンス)も、都会の成功者である自分に見合う彼女でいろと、グロリアが田舎のバーで働くことさえ許せない。グロリアが一晩の関係を持つジョエル(オースティン・ストウェル)も、先輩であるオスカーに頭が上がらず、彼女がピンチになっても助けることができないのです。そして、グロリアも自分の価値観を他者に伝えることができないから、お酒に逃げてしまう。でも、彼らを“駄目な人”として突き放すのではなく、“弱い人”として描いているところに、この映画の魅力があります。僕はそれぞれの登場人物に共感せずにいられませんでした。

※以下、物語の結末に触れます

 そんな弱さを持ったオスカーが、文字通り“怪物”になってしまいます。グロリアが怪獣とシンクロするのと同じように、オスカーはロボットとシンクロしてソウルに現れるのです。オスカーは、グロリアを自分の思い通りにできないことから、腹いせにソウルの街を踏み潰していく。と言っても小学生が通学してる側で酔っぱらいが公園で歩いてるだけなんですけど(笑)。でも、そんな笑ってもしまえる描写なのに、その裏側では何万人もの被害者がいるという事実のギャップが面白い。グロリアが倒れてる目の前で街(と想定される場所)を踏み潰すオスカーの足をスローモーションでとらえながら、ビルが壊されていく効果音を重ねたカットは、この作品の仕掛けと演出の面白さが凝縮されていて、秀逸な映画表現でした。世界とは関係ないと思っている個人が、ふとしたきっかけで世界と繋がってしまう現代の怖さを、象徴的に表わしていると思います。

 暴走したオスカーを止めるため、グロリアはある方法で巨大ロボットに立ち向かいます。でも、だからと言って喝采を受けてハッピーエンドらしい形になるわけではありません。他者から認められるため、褒められたりすることで自分の行動を認識するのではなく、むしろ自分の中でどう昇華させるかのほうが、現代においては重要だという監督のメッセージだと僕は捉えました。酔っぱらいが公園で転ぶことがソウルの大惨事に繋がるように、いま、個人と世界がふとした瞬間につながってしまう時代です。だからこそ、自分自身がそういう世界に対して、どう立ち向かうか、どう生きていくか。それを示唆する作品だと思いました。アン・ハサウェイが怪獣とシンクロする、程度の情報しかなっただけに、こんなにも感動的な結末を迎えるとは思いもしませんでした。

 本作はアン・ハサウェイにとって重要な一本になったのではないでしょうか。製作総指揮も務め、ヒットを狙ってというよりも、どうしてもこの作品を作らなくてはならないという強い決意を感じるからです。今後もハリウッドメジャーに出演したり、賞を獲得したりと、キャリアを重ねていくと思いますが、興行成績や名誉では得られないものが『シンクロナイズドモンスター』にはあると思います。そして、映画でしか描けないものと、伝えられないものを彼女は探し、見つけたことは間違いありません。

(松江哲明)