「産まない人生」を選んだ女性3人の喜び

写真拡大

子どもがいないことは、女性にとって後ろめたいことなのか。もちろん、そんなことは絶対にありません。これは「世間体」を捨て去り、「産まない人生」を選ぶことで、人生の喜びに出会った女性3人の実録ストーリーです――。

※本稿は、雑誌「プレジデント ウーマン」(2017年12月号)の特集「しない習慣」を再編集したものです。

■「産まない」女性への風当たり

「子どもを授からない私たちは、社会の良い“捨て石”となることで世の中に貢献する道を探すしかない」

不妊について取り上げた番組で、NHKの小野文惠アナウンサーが発したこのコメントは、大きな波紋を呼んだ。少子化が深刻になっている今、「産まない」女性への風当たりは強まっているように見える。だが子どものいない女性がすべて、後ろめたい思いを抱えているわけではない。子どものいない人生に価値を見いだした人々の声を聞いてほしい。

■「子どもができない」という大きな挫折

小柄で細身なマサヨさん(46歳)は、30代に見える若々しい女性だ。ボディーボードにはまり、サーフィン関連の仕事をしていたときに元Jリーガーの夫と出会い、約4年の同棲を経て、34歳で結婚した。

「小さい頃から、結婚して母親になるのが夢でした」と話すマサヨさんは、子どものいない将来を露(つゆ)ほども想像したことがなかったという。母のように数人の子どもに囲まれた温かい家庭を築く。仕事よりもすてきな家庭を、と願っていた彼女だったが、子どもはなかなか授からない。それはマサヨさんにとって大きな挫折だった。

不正出血の治療をきっかけに、不妊治療をスタートさせたマサヨさんだったが、検査しても悪いところは見当たらない。「毎日、妊娠することだけを夢みて、効果があるといわれたものはサプリでもお茶でも、何でも取り入れました」

それでも結果は出ず、原因不明のまま時間だけが過ぎていった。

そして38歳のとき、訪れた婦人科で思いがけない事実を知る。

「原因は加齢ですね。卵子は老化するし、数も減っていくんです」

医師にそう言われて絶句した。

「ショックでした。40代の女優さんが妊娠した話もよく聞くし、まさかタイムリミットがあるとは思っていなくて……」

治療開始から4年、「最後の砦(とりで)」と思っていた体外受精を開始した頃に、心のバランスが崩れはじめた。

「外で妊婦さんや赤ちゃんを見るだけで涙があふれて。頭痛やめまい、ひどい倦怠(けんたい)感で、引きこもりがちになってしまいました。友人たちとのつきあいも疎遠に。会えば子どもの話題は避けられないですから」

誰にも相談できず、妊娠しない自分を責めてばかりの日々。夫と言い争うことが増え、夫婦間は危機的状況になっていった。

「検査で良い兆候があっても、気持ちを浮きたたせては失望することの繰り返し。2度の流産を経験し、ぬか喜びに疲れ、感情にフタをするようになっていきました」

悲しみ、怒り、嫉妬、劣等感――。かつて経験したことのない負の感情を必死に抑えつけていたマサヨさん。そんなときに出合ったのがヨガだ。

■崩れた心身のバランスをヨガに出合い取り戻す

DVDのポーズを見よう見まねでするだけだったが、ヨガを日課にしてから、体調が少しずつよくなり、その魅力にはまっていった。そんなマサヨさんの気持ちに大きな変化が訪れたのは不妊治療10年目、44歳のときだ。

「子どものいない人生、というものを受け入れられるようになっていたんです。諦めとは少し違うのですが、心が穏やかになり、妊娠にとらわれる前の自分に戻れたような……。まさに“生き返った”という言葉がぴったりの心境でした」

ヨガに真剣に取り組み、ヨガインストラクターの資格を取得。体はもちろん、精神的な安定を取り戻していくに従って、自信がみなぎっていった。そして、「子どものいない人生でも幸せになろうね」と、ようやく夫の前で口に出して言えるようになった。

「できることは全部やった、という思いと、妊娠のことだけを考えていた10年から解き放たれて、気持ちがとても楽になりました。体を冷やすからと禁じていたアイスクリームも、今は堂々と食べています(笑)」

そう話すマサヨさんの表情は溌剌(はつらつ)としていて、言葉にもよどみがない。「それに、新しくやりたいことができました。昨年、Fineという不妊体験者をサポートするNPO法人に参加したのですが、そこで不妊ピア・カウンセラーという資格があるのを知って、今、取得に向けて勉強しています。これなら自分の不妊治療の経験を生かせると思いました。今後は、カウンセリングとヨガを合体させた妊活向けのヨガ教室を開いて、不妊で悩んでいる女性の役に立てたら……」

■刷り込みの基準を捨て自分だけの幸せを

不妊治療はやめどきが難しい、とよくいわれる。医療技術の進歩とともに、年齢が上がっても治療が“できてしまう”からだ。採卵ができなくなる年齢まで続けても授からず、辛い気持ちを何年も引きずっている女性は多い。マサヨさんのように新しい目標を見つけられず、「子ども」にこだわり続ける人もいる。

「そのこだわりが、『子どもがいるほうが幸せ』という社会的規範を基準にしているなら、注意が必要です」

そう指摘するのは、フェイスブックで「子どものいない人生を考える会」を運営するキャリアコンサルタントの朝生容子さん。

「『大きい会社に入ったほうが幸せ』『結婚しているほうが幸せ』『子どもがいるほうが幸せ』と、私たちはどこかで刷り込まれています。でも、現実には必ずしもそうではないという調査結果も出ています。もし自分の幸せをそうした基準で判断しているなら、まずその基準を捨て、自分らしい“幸せの要素”を見つけることが大切だと思います」

産むことに執着せず、人生を楽しんでいる女性もいる。

都内在住のミサキさん(52歳・仮名)は、学級委員長でクラスのマドンナといった感じの知的な女性だ。大学卒業後、大企業の事務職として数年働いていたが、IT系の会社を起業し、上場を目指す兄を手伝うために転職。昼夜を問わず懸命に働いてきた。

「28歳のとき、高校の同級生と結婚したのですが、新婚時代もお互いに深夜まで働く日々。彼はメーカーの営業職として、私は兄の会社の経理と総務を兼務して、従業員が働きやすい環境をつくるのに腐心していました。夕食づくりや洗濯などは、近くに住む母が手伝ってくれていたので、何とかやってこられました」

ミサキさんにはそもそも、子どもを持たなければという強い思いはなく、むしろ、産まないほうが賢明という考えに近かったという。

「今の時代に生まれる子どもは幸せなのだろうか、自分にまともな子育てができるのだろうか、仕事との両立はどんなに大変なんだろう。そんな不安ばかりが先に立ってしまって。両親の仲が良い一般的な家庭に育ったのに、なぜそう思うようになったのか……。でも私が結婚した頃はバブルが崩壊して閉塞感が漂っていた時期でした。そうしたことが影響したのかもしれませんね」

■全力で仕事をした30代に後悔の念はまったくない

本人が強く意識しようとしまいと、子どもを持たなければいけないという一種の社会規範に抗(あらが)い、それを捨てたせいか、ミサキさんの夫婦関係はシンプルに保たれ、大きな波風が立つこともなかった。

「彼とは単純に一緒にいたいから結婚し、夫婦として生活しているだけ。無理をしないから夫婦生活はいたって楽です。私はどこか大人になれていないのかもしれないけれど、子どもがいないから、人として成長できないわけではないと思う。深夜まで働いて、会社を支えてきた日々に、まったく後悔はありません」

子どもが成長する喜びや、子どもとともに困難を乗り越える達成感を味わうことはない。でも、夫と2人で仲良く暮らしていく術(すべ)は心得ている。

「互いに名前で呼び合い、いつまでも20代のような気分でいられるのは、子どもがいないからかもしれません。そろそろ老いに備える年齢にさしかかってきましたが、健康でいる限り、夫婦で旅行などを楽しみたいです」

■やりたいことをやる。それが私の原動力

待ち合わせの場所に颯爽(さっそう)と現れたサツキさん(45歳・仮名)は、細身のジーンズにカットソーというシンプルな服装がよく似合うクールビューティー。都内のIT企業で役員を務めているという。婚歴はなく、子どももいない。

「若い頃はギラギラしていて、常に男性とおつきあいしていました。不倫も経験したし、2股かけられたことも、逆に2股かけたこともあります。やりたいことは何でもしたけれど、結婚も、子どもを産むことも、その時点で私のしたいことではなかった。私の中ではプライオリティーが低かったということです。子どもが欲しいと言ってきた男性もいたけれど、そうしようとは思いませんでした」

新卒で出版社に勤め、その後は教育関連企業に勤務していたサツキさん。だが、会社の経営方針と自分の思い描く理想との乖離(かいり)を感じて退職。現在は、ウェブサイトの運営に携わりながら、役員として事業拡大を図っている。

「子どもを産むことがひとつの社会貢献だとすれば、私はそれを選ぶことができませんでした。でも、今は事業が私の子どものようなもの。多くの人に喜ばれ、必要とされることが社会貢献になると考えています。会社が大きくなれば、税金もその分多く払うことになりますしね(笑)」

だから自分の生き方に後悔はない。ただ、孫を見せられなかった親に対しては「悪いな」という気持ちがあり、5歳下の妹が産んでくれればいいなとひそかに願っている。

■必要なのは家族のように大切に思える人たち

子どもがいない分、自由になる時間は多い。事業戦略を練る一方で、もう1つ、サツキさんが力を入れているのが、福島の生産者と一緒に地方を創生することだ。「これは仕事ではなく趣味なんです」と言いながら、時間ができれば福島の生産者と連絡を取り合い、時には畑に出て土と格闘する。

きっかけは、2011年の東日本大震災だ。道路が開通すると、新聞社に勤める友人とともに現地に足を踏み入れた。

「その時は、被害が大きすぎて私にできることは何もなかったのですが、日を置くうちに、自分にできることを考えるようになって」

今では気心の知れた生産者たちと、ビジネスでないからこそ結べる信頼関係を築いている。

「生きていくうえで大切なのは、自分がきちんと大事にしている人がいるかどうかだと思うんです。もちろん、それは夫や子どもでもいいのですが、結婚しなくても、産んでいなくても出会えるものではないでしょうか」

わが子のように育てる喜びや苦しみが味わえる仕事があり、プライベートでは全力を挙げて尽くしたい、家族のように大切な人たちがいる。きちんと自分の心と向き合って、やりたいことに全力で取り組んできたことが、いまのサツキさんの自信につながっているようだ。

「するのが当たり前」と思われている結婚や出産を「しない」で生きる。その選択を堂々と口にできる人はけっして多くはない。

だが、今回話を聞かせてくれた3人はみな、自身のことを生き生きと語っていた。本当に充実した人生は、第三者が決めた幸福=世間体を捨てることから始まるのかもしれない。

(柳澤 美帆 編集=中津川詔子 撮影=市来朋久)