マンガ版『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)。

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80年間にわたり読み継がれてきた名著のマンガ版が売れている。今年8月発売の『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)は11月15日現在で61万部。手がけたのは、ヒット作が出ず、がけっぷちに立たされていた若手漫画家だった。彼は伝説的名著に、あえて新しい場面を描き足したという。その果敢な挑戦の裏側にあった物語とは――。

■宮崎駿が最終作のタイトルに選んだ名著

80年間にわたり読み継がれてきた名著のマンガ版が売れている。表紙に主人公の顔がアップになった『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)。今年8月に発売されて以来、あれよあれよという間に部数を伸ばし、11月15日現在、61万部にまで達した。マンガ版と同時発売した新装版『君たちはどう生きるか』は17万部。

原著は新潮社から刊行された「日本少国民文庫」全16巻の最終巻として日中戦争が泥沼化した頃の1937年7月に発売された。原作者の吉野源三郎は著名な編集者で、岩波書店の総合雑誌『世界』の初代編集長をつとめ、「岩波少年文庫」の創設にも力を注いだ。

あらすじは母子家庭に育った中学2年生の主人公、コペル君というあだ名の少年の成長物語である。身の回りの出来事を通じ、貧富の格差の存在や社会の成り立ちに目を開き、ニュートンやナポレオンといった偉人の発想や振る舞いに感動する。クラス内でのいじめ問題に頭を悩ませながら、いざという一歩が踏み出せない弱い自分が嫌になってしまう。コペル君の母親の弟、つまり叔父さんがその傍らにいて優しく見守る。

つい先頃、アニメ監督の宮崎駿が自身の最終作となる作品のタイトルを発表したが、何と「君たちはどう生きるか」。単行本のアニメ化ではなく、「物語の主人公にとって、その本が大きな意味を持つ」という設定だという。完成は早くても3年後ということだが、このマンガ、その時点で再ブレイク間違いなしだ。

かなりのロングセラーになりそうなこのヒット作はどうやって生まれたのか、舞台裏を探ってみた。

■「マンガにしたら当たる」ベテラン編集者の直観

マンガ化はマガジンハウスの執行役員兼第一編集局局長、鉄尾周一の発案によるものだ。女性誌『アンアン』の元編集長をつとめた後、林真理子『美女入門』シリーズ(マガジンハウス)、村上春樹『村上ラヂオ』シリーズ(同)などの編集に携わってきた。本人が話す。

「父親に勧められ、大学生の時に読んだことがありました。題名から想像されるように、至極まっとうな名著ですが、若さゆえ、そんなまっとうさに疑問も覚えました。よく言えばクラシックだけれど、悪く言えば古い。これが現在も通じる大方の評価ではないでしょうか」

ところが2012年頃のことだ。鉄尾の部下の編集者、どちらも30代未満の男性と女性がたまたま愛読していることがわかった。

「編集者というバイアスはかかるものの、僕より20も年下の男女2人が読んでいるんだと驚きました。世代を超えて読み継がれるパワーがこの本にはあるんだなと」

ここで編集者魂にスイッチが入る。古臭い古典というイメージを覆すことができれば、もっと多くの読者に読んでもらえるかもしれない。当時の出版界は古典や名作のマンガ化がはやっており、鉄尾もそれを考えたものの、はたと困った。自分はマンガ家事情に明るくない。マンガ誌を出していないから社内にも詳しい人間がいない。どうしようか――。

頭に浮かんだのが、講談社の名物編集者、1歳年上の原田隆だ。若年男性向け雑誌『ホットドッグプレス』編集部を経て、女性誌『フラウ』の編集長をつとめた後、書籍編集に携わっていた。早速、会って話した。

もちろん原田も原本は読んでいる。すぐにこう返って来た。

「いいなあ、その企画。うらやましいなあ。羽賀翔一君に描かせたらいいんじゃないか。僕が紹介してあげるよ」

鉄尾にとって初めて聞く名前だ。聞けば、講談社のマンガ雑誌『モーニング』の編集者、佐渡島庸平が同社を退社して立ち上げたコルクという出版エージェンシーに所属するマンガ家だという。

「なぜ羽賀さんなのか、私も原田さんに理由を尋ねることはしませんでした。原田さんも原作を読んでいたので、主人公は素朴な感じの少年という話を確認の意味でしたところ、羽賀君がいいと」

信頼を置く原田がそこまで言うのだから、疑義をはさむいわれがない。話はとんとん拍子で進み、2015年春から制作がスタートする。

羽賀は1986年生まれで、2011年、『モーニング』に短期連載した「ケシゴムライフ」がデビュー作。2014年に単行本化もされたが、売れなかった。

ちょうどこの話が持ち上がった時、川崎市内に借りていた下宿の更新期限が迫っていたので、引っ越しを余儀なくされ、選んだのが、文京区の湯島天神界隈。古い木造家屋がまだ残っていたため、当時の情景描写に使えると思ったからだ。叔父さんの家のモデルになる格好の家屋も見つかった。

その羽賀に、コルクの社員、柿内芳文が担当編集としてついた。『さおだけ屋はなぜ潰れないか』(光文社新書)、『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)など、数々のミリオンセラーを出してきた、名うてのヒットメーカーだ。柿内は佐渡島に「マンガ家として5年やったもののヒット作がない羽賀さんにとっては、この企画がラストチャンスになるかもしれない」と打ち明け、その言葉を佐渡島は羽賀にそのまま伝えた。羽賀は発奮した。「よし、がんがん進めて、驚かしてやるぞ!」と。

ところがそうはうまく問屋が卸さなかった。

■物語に引き込まれ、記憶の引き出しが次々にあく

羽賀は柿内と話し合って、「原作とは別のきちんとしたマンガ作品にしよう」と決めていた。未読だったので、まず原作を読み込むと引き寄せられた。主人公コペル君が自分の中にぐんぐん入り込んできた。

「最初の頃は設定をずらして、オリジナリティを出そうという気がありましたが、原作の磁力に引っ張られ、そんな気持ちは薄れていきました」

とはいっても、忠実になぞるのではない。内容を省いたり、時系列を変えたり、エピソードをまとめたり、あるいはマンガならではの要素を付け加えなければ、優れた作品にならない。

コペル君がクラスのいじめられっ子を救いたいと思うものの、勇気ある行動に踏み出せず悶々とする。原作にそういうエピソードがある。

「小学校の時、同じような経験をしたことを思い出しました。いじめられっ子に消しゴムを貸したら、それを見ていたいじめっ子が『この消しゴムはバイ菌がついから今すぐ捨てろ』と僕に命令し、いじめっ子が怖かった僕はその通りに捨ててしまった。その後、後悔にさいなまれ、耐えきれなくなって母に打ち明けたら叱られました」

物語に触発され、自分の記憶の引き出しが次々にあき、発想が膨らんだ。

原作に登場するそのいじめられっ子、豆腐屋の息子で名前を浦川という。学校も休みがちで、心配になったコペル君が家に立ち寄り、授業のノートを見せる。浦川は自分のノートに筆写するが、紙面にすき間なく書いていく。「そんなに字をつめたら、読みづらいんじゃない?」というコペル君の問いに、浦川は答える。「うちはそんなに何冊もノートを買えるわけじゃないからさ」と。これは原作にないシーンで、羽賀の中学校時代、実際にそうやっているクラスメートがいたのだという。

■コペル君と叔父さんはバディだ

マンガの顔、すなわち主人公の容貌についても試行錯誤があった。原作の舞台である戦前では男子中学生は丸刈りと決まっていたが、あえて髪は伸ばした。最初は丸刈りにしたものの、コマの中で躍動感が出なかったのだ。

この物語では、母親の弟である叔父さんが重要な働きをする。コペル君を時には励まし、時には知恵を授け、時には厳しく戒めるメンター(理解者、助言者)のような存在だ。この叔父さんに関する話にも改編を加えた。

「上から目線でコペル君を指導するというより、斜め上からコペル君を温かく見守りながら、叔父さん自身も成長していく『バディ(相棒)』感を明確にしたいと思いました」

その象徴的なシーンが2人が町中を歩くシーンだ。例の浦川の家を訪ねた後、家業を手伝いながら、困難に負けず頑張っている同級生の姿に感動し、コペル君がいても立ってもいられなくなったのだ。原作ではコペル君が1人で歩いていくのだが、マンガでは2人で手を振りながらぐんぐん歩いていく。叔父さんが「君は浦川君の貧しさを知ったが、ばかにはしなかった。浦川君にしてあげられることを君なりにやった。そのことに刺激され、一緒に歩きたくなったんだ」と言いながら。

こうした作業を繰り返していくうち、スケジュールはどんどん押し、1年間という当初の締め切りはとっくに過ぎてしまう。

■80年の時を経てバトンは確実に渡された

2016年9月、思いがけない知らせが入る。羽賀を鉄尾に推挙した原田が脳出血のため、突然、亡くなってしまったのだ。講談社第一事業局次長、享年58。羽賀は「皆からダーハラと呼ばれ慕われていたことだけは知っていますが、結局、一度もお目にかかれませんでした。僕のマンガのどこを評価し可能性を感じたのか、直接、うかがいたかった」と残念そうに話す。

原作を読み返しながらマンガ化を進めていくうち、羽賀は重要なことに気づく。それは「世の中のために本当に役立つ人になってほしい」というコペル君に対する父の願いが物語の通奏低音になっていることだ。そこで羽賀は、原作には存在しない、病床の父が叔父さんと面会し、「息子を頼む」と告げる場面を設けることにした。父はもう息子にバトンを渡せない。その中継役を叔父さんに頼んだのだ。

完成に向け、羽賀のペンは速度を増した。描き終えた頃、たまたま足を伸ばすと、叔父さんの家のモデルだった民家は取り壊され、跡形もなかった。まるで自分の最後の「任務」をわかっていたように。

当初の予定から1年ほど後ろ倒しで発売されると、メディアがこぞって取り上げ、部数が山積みされていく。原作を活字で読んだ人たちが懐かしさから買い求め、さらに子や孫に買っていくケースが多いという。親子三代にわたって読めるマンガはそうそうないはずだ。

本とはそもそも作者が世の中に向かって差し出すバトンに他ならない。1899年生まれの吉野が作ったバトンを1986年生まれの羽賀が受け継ぎ、世に再び問うた。「君たちはどう偉くなるか」でも「君たちはどう稼ぐか」でもなく、「君たちはどう生きるか」。そのバトンは誰にとってもずっしりと重い。

(文中敬称略)

(文筆家 荻野 進介)