「墓なし、仏壇なし」の弔いで1年を過ごし、母に起こった心境の変化

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 私事で恐縮だが、父が89歳で他界して約1年になる。1年前に、本連載、2016年11月30日付の「『墓なし・坊主なし』の弔いをやってわかったこと」で書いたように、札幌にある私の実家では、父が亡くなる前から小樽の寺にあった先祖の墓を撤去し、墓の中にあった先祖のお骨(11体)をNPO法人・終活支援センターに依頼して小樽の海に散骨して寺との縁を切っており、その状態で父が亡くなった。

 今回は、1年たってみて、その時のことを振り返り、また1年近く経過して起きた最近の変化について書いてみたい。

 なお、今回も念のため申し上げるが、筆者は読者に無宗教の勧めを説こうとしているのではない。信仰・信心を持っていらっしゃる方が、その心に従うことに対しては何ら反対しない。

 ただ、筆者のように信仰を持たない人、あるいは何らかの信仰心はあっても、寺と墓について疑問や不都合を感じていらっしゃる方にとって、筆者の実家のケースは参考になるのではないかと思う。

 現実には、寺と縁を切りたくても、先祖の墓がいわば「質」に取られたような状態で、それがままならないケースがあるだろうし、時には経済的な負担にもなる場合があるだろう。

 先祖の墓の撤去に関しては、筆者の母の行動力によるところが大きかった。(1)NPOに連絡を取って散骨の申し込みを行い、(2)骨を取り出すための手続きを行い、(3)寺と交渉し、(4)骨を散骨して、(5)墓の原状回復工事を行い、(6)寺と縁を切る、ところまでをよどみなく実行してくれたことについて、息子である筆者は大いに感謝している。

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