犯罪映画の名匠、ジャン=ピエール・メルヴィルを訪ねてーー北野武や小林政広に与えた影響とは?

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 現在、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の「生誕100年 ジャン=ピエール・メルヴィル、暗黒映画の美」は、コアな映画ファンならずとも足を運んでもらいたい展覧会だ。ご存じの人も多いと思うが、メルヴィルは、『いぬ』『ギャング』など優れた犯罪映画(フィルム・ノワール)で名を馳せたフランスの映画作家。当時としてはまずありえなかった助監督の経験なしで、自主製作で監督デビューを果たし、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらから“ヌーヴェルバーグの支柱”とも称され、現在に至るまで数多くの監督たちが敬意を表している。

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 とりわけ近年は、ジョン・ウー、ジョニー・トー、北野武、小林政広らのアジアの名監督たちがリスペクトを公言。ジョン・ウー監督ならば『男たちの挽歌』シリーズ、ジョニー・トー監督ならば黒社会を題材にした一連の作品、北野武監督ならばヤクザ映画、小林政広監督ならば初期の『殺し』といった作品に影響が見て取れる。そうした意味でも、いま日本でこの映画作家の軌跡をたどれる展覧会が開かれたことは意義があるといっていいだろう。

 今回、展覧会の開催に至った経緯を東京国立近代美術館フィルムセンターの岡田秀則氏もこう明かす。「本国フランスで、メルヴィルは犯罪映画=フィルム・ノワールの作家としてもちろん認知されている。ただし、彼の跡を継ぐような後継者のような存在は残念ながら生まれなかった。だから、今となっては世間では評価しづらい監督にもなりつつある。なので、生誕100年ならばもっと大々的に特集が組まれてもいいのだけれど、本国ではそこまでの盛り上がりはみせていない。もちろんメルヴィルについての本が2冊発表されたりと一定の話題はあるのですが。対して、アジアへ目を向けると、いま世界の第一線で活躍しているジョン・ウー、ジョニー・トーはその影響を公言している。日本でも北野武監督が自著で好きな監督にメルヴィルをあげている。80年代後半以降、むしろアジアの映画作家にメルヴィルを支持する気運があったのは確かです。それもあって、今回、我々と一緒に主催を務めてくださったノクテュルヌ・プロデュクシオンのオリヴィエ・ボレール氏から展覧会をできないかと提案がありました。彼は映画関連のドキュメンタリーを作り続けている人物で、デビュー作が『コードネームはメルヴィル』だというメルヴィル研究の第一人者。その彼が“アジアで”とおっしゃってくれてますし、こちらもいまもっと語られていい映画監督との思いもあったので話がまとまりました」

 今回の展覧会をひと言でいうならば、メルヴィルという映画作家のキャリアを振り返り、その功績をたどるには十分。おそらくメルヴィルをまったく知らない、作品に触れたことがない人でも、彼が映画史にどのような影響を残しているか?などが、たとえばジャン=ポール・ベルモンドやアラン・ドロンといったスターを通して見えてきたりして、幅広い映画ファンが興味がもてる内容になっている。ただし、これを実現するのは簡単なようで実は難しい。というのも、メルヴィルはあまり資料が残っていない作家。自身が設立したスタジオに彼は寝泊まりもしていたそうだが、そのスタジオが火事になり、貴重な資料はそのとき、すべて焼失してしまっている。そのことを考えると、今回の展示はポスター中心とはいえ、撮影現場のスチールや台本など、思いのほか数多くの貴重なコレクションに出会えるといっていい。続いて岡田氏は今回のコレクションについてこう語る。「オリヴィエ・ボレール氏は、おそらくメルヴィルに関しては世界でも最強のコレクター(笑)。その彼が大事にしているコレクションの多くを東京に貸し出すといってくれたので、これだけのものが集まりました。でも、実は彼にはもっと見せたい資料があったんです。展示スペースに限りがあるので、やむなくあきらめていただいたんですけど。ただ、オリヴィエさん自身は開催をすごく喜んでくれて、展覧会や特集上映を企画した三つの国、“日本と韓国とメキシコがメルヴィルの名誉を救ってくれた”とまで言ってくれました」

 目玉のコレクションとしては、『仁義』で狙撃の名手を演じたあのイヴ・モンタンが使用した台本など(※展覧会開催の直前になって入手したそう!)。いまや伝説の俳優となった松田優作が、1979年公開の『処刑遊戯』の脚本に対し、メルヴィルの『サムライ』のような映画にするよう求めたことがうかがえる漫画の展示があったりと、日本人として興味深い日本とメルヴィルの関わりを示す「メルヴィルと日本」というコーナーも用意されている。ちなみにフィルムセンターの所蔵品となるこちらの日本版ポスターのコーナーは写真撮影可能だ。

 展示品の品々をみつめてまず感じるのは、現場の写真、シーンの写真にしても、とにかく美しいということ。決めに決めている構図ではなく、ありふれた風景やシーンでありながらも確実に“美”が存在する。それが場面写真やポスターからひしひしと感じられる。もうひとつわかるのが、キャスティングに関しては天才的なひらめきの持ち主であること。ジャン=ポール・ベルモンドにしても、アラン・ドロンにしても、“こいつすごい俳優になる”と思ったら、すぐにオファーを出し、しかも、それまでのイメージとは真逆をいくような大胆な挑戦を厭わない。その感性はすべての役柄に通じていて、メルヴィルの作品をみると、脇役の味わい深さにも驚嘆するに違いない。岡田氏も「ベルモンドを女性を魅了してしまうカトリックの神父に仕立てたり、それまで粗暴な若者のイメージが強かったアラン・ドロンをクールな殺し屋を演じさせたり、いまでこそ違和感がないかもしれませんが、当時としてはこの起用法は画期的でした」と語る。

 「犯罪映画の名手として語られることが多いのですが、おそらくメルヴィルは映画作家というよりも、大衆のための監督でいたかったのではなかったかと思います。一部の映画ファンに熱狂的に愛されるよりも、大衆に寄り添って、大衆に支持される作品が作りたかったという気がします。また、今回の資料を見て思ったのは、常にたくさんの企画を抱えていた監督だということです。例えばジャック・ドゥミなどは自分の企画を大切に温めて育てて、それをひとつひとつ実現していくタイプですが、メルヴィルは“これがダメなら、これはどう?”みたいな対案を常に持ち合わせているタイプ。ゴダールの『勝手にしやがれ』にワンシーンだけ出演したよしみで、ジーン・セバーグの主演企画も考えていたぐらいです。そのあたりの資料がもっと見つからないかと期待しています」とは、今回の展覧会の企画を詰める中で岡田氏が見出したメルヴィルの新たな発見。北野武にも、クエンティン・タランティーノにも、あのマーティン・スコセッシにも影響を与えているフランスの偉人に出会ってほしい。

 なお、12月2日(土)には、トークイベントを実施。小林政広監督が『メルヴィル映画の思い出とその影響』をテーマに、メルヴィルを語り尽くす。こちらにも注目したい。(水上賢治)