DeNA CHO室 室長代理/渋谷ウェルネスシティ・コンソーシアム理事長健康経営アドバイザー●平井孝幸さん

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会社の業績アップには従業員の健康こそ大事だとする健康経営。いま渋谷からこの健康経営の輪が広がろうとしている。それも、従来の病気を治すという意味合いではなく、パフォーマンスを上げるための“健康経営”へと進化を遂げて。

■渋谷は変な歩き方をする人だらけ

通勤ラッシュの渋谷駅、地下鉄やJRの改札から渋谷ヒカリエにかけて人波が途切れない。ヒカリエにオフィスのあるDeNAの平井孝幸には以前から気になることがあった。

「なんで若いのに背を丸めている人や、ハイヒールで膝を曲げて歩く人がこんなに多いんだろう?」

高校時代よりゴルフに親しんできた平井は、歩き方のよし悪しがコンディションを左右し、ゴルフのスコアに直結することを痛感していた。

「渋谷の人たちがいまの歩き方をずっと続けていたら、数年後には身体を悪くすると思うんです」(平井)

そんな問題意識があったからだろう。2015年6月に「健康経営」を特集した雑誌に目を奪われた。企業が社員の健康増進に投資すれば、社員は生き生きと働けるので成果が上がり、その結果、企業の業績も上がるというのだ。

「IT企業は働きすぎのイメージを持たれているが、健康経営を導入することでそれを払拭したかった。それに、DeNAは人材の質にこだわる会社だからこそ、社員の持つ本来の力を発揮できる組織にしたかった。そうすれば、もっと大きな成果を出せるだろうと思いました」(同)

当時人事部にいた平井は15年7月より1人で動き出す。オフィスで座り方の悪い社員を見つけると、ゴムチューブの矯正具を手作りして配った。

「試しにつけてみて。姿勢もよくなるし、肩甲骨もくっつくから代謝もよくなるよ」(同)

その評判が社員の間に広まっていき、いろんな人から「欲しい」といわれ毎日矯正具を作り続けることに。

「あまりに大変だったので店を見て回っていると100円ショップで代用できる商品を発見した。途中からはそれを買っては社員に配りました」(同)

その後、「手作り健康経営」に限界を感じた平井はDeNAで健康経営を導入する意義やコンセプトを盛り込んだ企画書づくりに着手する。その構想づくりを支援したのがコクヨの働き方改革コンサルタント、坂本崇博だ。

坂本と平井の出会いは2年前に遡る。15年11月に働き方改革セミナーを開催していた坂本は、話を聴きに来ていた平井から声をかけられる。

「会っていきなり平井さんは健康について捲し立てるように私に語り出したんです。当時、私はさほど健康経営に詳しくなく、話の内容はピントこない部分もあった。ただ、平井さんからは熱量を感じた。それで後日、DeNAのオフィスを訪ねて平井さんと腰を据えて話しました。すっかり盛り上がって、気付いたら『私、手伝いましょうか』と口走っていました」(坂本)

坂本は平井の話で健康経営に興味を覚え、自らも体現して健康と仕事の相関関係を探った。

「3カ月間で15キロ痩せると、確実に仕事のパフォーマンスが上がることを実感しました。その後太ると、終わるはずの仕事が時間内に終わらない。風邪をひきやすくなり、眠くもなって、明らかにコンディションが悪くなる。今またダイエットをはじめているところです」(同)

身をもって健康経営を知った坂本は、働き方改革と同じだと思った。

「会社が投資しても社員の意識や行動が変わらない限り成功しません」

コンサルタントの知見が、平井の熱い気持ちとかみ合って、DeNAの健康経営を推し進めていく。

■腰痛で社員の7割が生産性ダウン

平井は健康施策を社員に伝えるための部署が必要だという企画書を、南場智子会長と、人事部・ヘルスケア事業部のトップに提出したがいったんははねられた。だがコンセプトを繰り返し伝え続けるなかで承諾を得る。

こうして16年1月、南場会長をCHO(Chief Health Officer)とするCHO室が発足。いま、担当者は4人と兼務1人だが、当時は平井と兼務1人の小部署だった。

DeNAの健康経営を方向づけたのが、全社員対象の「ライフスタイルアンケート」だ。これを実施することで社員がどんな健康リスクを抱えているかが明らかになった。その結果をもとに「運動」「食事」「睡眠」「メンタル」の4軸を定め、各分野の専門講師を招いて、16年だけで100回近くの健康セミナーを開く。

「テーマが睡眠のときは100人以上集まりましたが、汎用性が低い食事では10人、20人ということもありました」(平井)

毎回、セミナーへの反応を知るために簡単なアンケートを取った。

「アンケートでわかったのが、セミナーに参加するのは健康意識が高い人たち。逆に参加しないのは健康意識の低い人たちで、DeNAで多数を占める20代、30代でした」(同)

健康意識の低い人たちを啓発するため、運動習慣の大切さを説くポスターをトイレなどに貼り、社内で購入できるお弁当のメニューを健康的な内容に変えるなどの手立てを講じた

平井がとりわけ力を入れたのが腰痛対策だ。IT企業のエンジニアやクリエーターは職業柄、椅子に座って作業する時間が長い。しかも土日は外で運動するより屋内でスマホやパソコンを触るのが好きな人が多い。

「アンケートでは7割の人が腰痛や肩こりなどで生産性が低下していると答えていました」(同)

そこで、身体をほぐすウエアを作るメーカー、カイロプラクティックの専門家と組んで「腰痛撲滅プロジェクト」を展開。朝晩は個人で専用の器具を使って、日中は椅子に座りながら身体をほぐす10分くらいの体操を1カ月間実施した。器具の数量の関係で最初の参加者は20人限定。1カ月後にはその85%の社員が「改善した」と答える。効果を実感し、第2弾、第3弾とプロジェクトは継続されている。

■どうやって社員が「渋谷」を巻き込んだのか

DeNAの健康経営は、平井の個人的な思いにはじまり、セミナーや腰痛撲滅プロジェクトなどの広がりを見せながら、やがて新入社員研修の中に健康研修が入るまで定着。17年2月には経済産業省が健康経営を実践している優良企業を認定する「健康経営優良法人(ホワイト500)」に選ばれた。

さらに平井はDeNAで健康経営を進めるのと並行し、渋谷の企業・団体を巻き込んで渋谷の街から健康を発信する取り組みをはじめていた。きっかけは経産省の藤岡雅美との出会いだ。平井は健康経営のことを調べる過程で藤岡の存在を知り、15年12月に会うことになる。藤岡は10年に入省し、ヘルスケア産業課に配属、健康経営の立ち上げから携わってきた人物だ。

「平井さんと『健康経営いいですよ。やりましょう』と意気投合し、私から『1社で進めてもいいけど、コミュニティをつくって大きく展開したらどうですか。健康経営を文化にすることが必要です。私もお手伝いします』と提案しました」(藤岡)

藤岡の提案を受け、平井は一企業の枠を飛び越えたビジョンを強める。

「健康経営を推進する会社が増えれば増えるほどうねりは大きくなる。渋谷のIT企業はSNSなどを駆使した発信力もあるのでコミュニティをつくる意義があると思いました」

こうして渋谷ウェルネスシティ・コンソーシアム(略称ウェルネコ)の創設に着手。とはいえ、平井にとってコンソーシアムは未知の世界。協力を仰げそうな人を探した。そのうちの1人が、企業に健康経営を広げる「健康経営アドバイザー」の研修を開いている東京商工会議所のサービス・交流部担当部長、藤田善三だ。

「平井さんとは健康経営に関するセミナーなどで何回かお会いし、『健康経営アドバイザーの研修を受けたい』とおっしゃるので、受講してもらいました」

その後、藤田は平井のアドバイザー役を務め、ウェルネコの理事にもなる。

藤田とともに健康経営アドバイザーのテキストを作成したのが大和総研のコンサルタント、枝廣龍人だ。大和証券グループ本社は、経産省と東京証券取引所が社員の健康への取り組みについて優れた企業に与える「健康経営銘柄」を取得していた。そんな健康経営の先進企業に16年1月、平井から「話を聞きたい」と打診があった。

「平井さんの『僕が考えている健康経営というのは病気を治すのではなく、アスリートのように、持っているポテンシャルを最大限に発揮できる、そういう健康をつくっていきたい』という理念にすごく共感しました」

枝廣は、経産省が進めている健康産業の創出にコンソーシアムが大きな役割を果たせると感じ、平井、坂本とともにその活動計画を練り上げた。

その頃、平井はミクシィ、サイバーエージェント、LINEといったIT企業や、東京急行電鉄(以下、東急電鉄)、KDDIといった歴史のある企業に声をかけ、渋谷の区長や医師会にも協力を依頼していた。

「最初は、知り合いもいなかったので、会社あてのinfo@メールに、『今、私は健康経営を進めていて、ぜひ一緒に渋谷からIT企業のイメージを変えていきたいので、みなさんの会社の社員も健康にしませんか』といったメッセージを送りました」

16年6月、渋谷の企業9社・2団体で渋谷ウェルネコを発足させ、経産省が助成する採択事業に選ばれる。

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平井孝幸
DeNA CHO室 室長代理/渋谷ウェルネスシティ・コンソーシアム理事長健康経営アドバイザー
2004年慶應義塾大学商学部卒業。OA業界の営業職、ゴルフのレッスンコーチを経て11年DeNA入社。人事部所属中の16年1月、CHO(Chief Health Officer)室を創設。

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(Top Communication 撮影=小野田陽一、小田駿一、関口達朗、大槻純一)