勝負服を手に持つ福島県の河野テーラー、河野正典社長。この「黒、青袖、黄鋸(のこぎり)歯形」の勝負服は金子真人HDのものだ(筆者撮影)

天皇賞・秋でキタサンブラックが究極の道悪馬場を克服して見事に復活。ジャパンC(カップ)と有馬記念に出走してから年内に引退することを表明した。中央競馬は年末の8連続G汽轡蝓璽困貌容。筆者のホームタウンの福島競馬は盛況のうちに19日に無事に秋競馬を閉幕し、今年の全日程を終えた。キタサンブラックが残る2戦を勝ってJRA(日本中央競馬会)のG8勝の新記録を達成するのか。今年は12月24日に有馬記念を終えても新設G汽曄璽廛侫Sが28日にある。売り上げも含めてどう締めくくるのかにも注目だ。

その競走馬の騎手がレースで騎乗する服をご存じだろうか。俗に「勝負服」と呼ばれる。中央競馬では馬主によって勝負服が決まっている。騎手が好きな服を着ているわけではない。馬主が自らデザインした服色があり、所有馬が出走するときには騎手が馬主ごとに登録した勝負服を着用する。そして、使用できる色や図柄は競馬施行規則に細かく定められている。

キタサンブラックを所有する北島三郎さんが会長を務める大野商事の勝負服は「黒、茶三本輪」、ディープインパクトらの馬主の金子真人HD(ホールディングス)の勝負服は「黒、青袖、黄鋸歯形」と表記される(冒頭写真)。これがどういう意味か。今回はJRAの勝負服について解説したい。そして、勝負服は筆者のホームタウンである福島県に実にゆかりのあるものとなっている。

勝負服の種類は実にさまざま

JRAの勝負服の服色の登録は馬主1人につき1種類だ。登録は胴や袖を1組として登録される。色は13色。JRAが定めた標準色による赤、桃、黄、緑、青、水、紫、薄紫、茶、えび茶、ねずみ、黒、白と決まっている。胴の柄はいわゆる無地(1色使用)と一本輪、二本輪、三本輪、一文字、帯、山形一本輪、山形二本輪、山形三本輪、山形一文字、山形帯、菱山形、たすき、十字たすき、縦縞(じま)、格子縞、元禄、ダイヤモンド、うろこ、井桁絣(いげたかすり)、玉あられ、星散(ちらし)、蛇目散、銭形散の24種類から1種類を選択できる(下写真も参照)。


勝負服の種類の標示例と使える色13色(筆者撮影)

袖は無地(1色使用)と一本輪、二本輪、三本輪、山形一本輪、山形二本輪、山形三本輪、菱山形、縦縞、格子縞、元禄、ダイヤモンド、うろこ、井桁絣、玉あられ、星散、蛇目散、銭形散の18種類から1種類を選択できる。これだけではなかなかわかりにくいだろう。


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たとえば胴と袖まで一本輪がつながっていれば一文字になる。輪、山形、襷(たすき)の幅や、星、ダイヤモンドの直径も細かく決まっている。

胴に鋸歯形を使った場合は袖は一本輪、二本輪に限られる。胴や袖はそれぞれ2色ずつ合計4色までは使用できる。勝負服は馬主が考えて登録する。それぞれの思いが詰まっている。実にカラフルだ。

2017年1月現在でJRAの馬主登録者数は2382、服色登録者数は1897(法人などを含む)。これだけの種類の勝負服があるということだ。

すっかりおなじみの勝負服から少数所有の個人馬主の勝負服まで。それらを作っている洋服店が福島競馬場のおひざ元にある。競馬場のコースがあるところと同じ福島市桜木町に1924年(大正13年)に創業された合資会社河野テーラーだ。河野正太郎さんが当時は乗馬ズボンを中心に手掛けた。2代目で娘婿だった政平さんは障害騎手の経験があった。


中段のカラフルなものが勝負服に使われる生地(筆者撮影)

福島市の隣の川俣町はシルクの生産で知られる。たまたま店の向かい側には染め物工場もあった。海外の勝負服を見よう見まねで作った。

騎手時代の人脈がものをいって関係者の信頼も得て、店は乗馬ズボンから勝負服の受注生産が主流に変わった。

平成の時代に入って武豊騎手の注文といわれる体にフィットした「エアロフォーム」の勝負服を開発したのも政平さんの仕事だった。それまでの勝負服はサテン地で風になびく素材だった。「1秒を争うのだから空気抵抗がないほうがいい」と要望した武豊騎手。調教師を通じて注文を受けた政平さんは、懇意にしていた生地業者の協力を得て、試行錯誤を繰り返しながら伸縮自在の素材を使って空気抵抗のない勝負服を完成させた。

27歳で後継者になることを決意

もちろん、サテン地は光沢があって美しく、空気抵抗を改良して現在も勝負服の素材として使われている。政平さんの時代には、ピーク時に中央競馬の勝負服のシェアの7割ぐらいはあったといわれている。

政平さんに子どもはいなかった。甥の河野正典さんは「よく後を継げと言われました」と振り返る。宮城県仙台市で生まれ育った正典さんにとっては祖父母の住む実家でもあり、訪ねてきたときにその仕事ぶりを見る機会もあった。とはいえ、「思春期には反発したし、後を継ぐ気にはならなかった」と笑う。一度は旅行会社に就職。初任地は岩手県盛岡市だった。夜の街で偶然出会ったのは岩手県競馬の関係者。

「河野テーラーなら知ってるぞ。早く戻れ」と言われた。針1本持ったことがなかったが「自分は器用じゃないかとは思っていた」と言う。1999年、27歳のときに弟子入り。優しかったおじさんは厳しい師匠になった。初めはぞうきんを縫う日々。それでも1年過ぎると3日かければ勝負服を1着作れるようになった。

勝負服は複数の手が入ると縁起が悪いといわれる。その言い伝えを守り、河野テーラーでは職人1人の手で1着という手法をずっと続けている。政平さんから「勝負服を作るのは5年かかる」と言われていたが、正典さんは5年目を迎えた頃には聞かれたことには答えられるようになり、問題が起きても自分で解決できるようになっていた。

ちょうどその頃、自分が作った勝負服の柄に違和感を持った。JRAの服色検査をクリアしていたのだから普通はわからない。職人しか理解できない違和感を自分で見つけることができた。「手応えをつかんだ」という。それがちょうど5年目のことだった。2006年に政平さんが76歳で他界し、正典さんは34歳で3代目の社長となった。45歳になった今年は社長として11年目を迎えている。

正典さんは政平さんが「ミスをしても怒らない人だった」という。1人1着を仕上げるのが基本。ミスを隠して不完全なものをお客さんに届けることがいちばん悪いことで、何回でもいいからきちんとやり直して仕上げればいいと教えられた。「今度は自分が今、そう教えています」と政平さんを見習っている。

震災乗り越え、「勝負服」が走るだけで喜びに

順風満帆だった正典さんを試練が襲った。2011年3月11日の東日本大震災。原発事故もあった。おひざ元の福島競馬は中止。とはいえ、注文が激減したのは想定外だった。

関西の厩舎からはキャンセルもあった。「風評でしょうかねえ」と正典さんは振り返る。それまでは地方競馬はあまり縁がなかったが、浦和の水野厩舎が声を掛けてくれて、以降は南関東の勝負服も手掛けた。馬が着用するメンコ(覆面)や厩舎スタッフのジャンパーなどを手掛けてしのいだ。「大変なんだって?」と声を掛けてジャンパーを注文してくれた調教師もいた。

「いろいろな方々に助けられたからこそ震災のときにも踏ん張れた。新しい縁も生まれた。震災は悪いことばかりではなかった」。筆者もそのことに同感する。善意に支えられ、縁も深まった。

2012年4月に福島競馬が復活。その時に今までにない感情が湧いた。「それまでは自分が手掛けた勝負服の馬がG気篏転泙鮠,辰討曚靴い隼廚辰討い拭それが、あの日は自分が作った勝負服が福島競馬場を走っているだけでうれしかった。これだなと思った。福島競馬が復活して本当によかった」と熱いものが込み上げたという。


縫製をする河野社長。表情は真剣そのものだ(筆者撮影)

勝負服作りは言うまでもなく難しい。胴の生地と袖の生地は地色を使う。そこに輪や星などの生地を縫い付ける。

一文字は胴も袖も一直線に並ぶ図柄でバランスを整えなければならない。特殊な柄が多いため縫い付けるのも大変だ。

最近はプリント生地もあるが、正典さんは「質感は縫い付けのほうがいい。ニーズに応えなければならないが、職人としては縫い付けにこだわりたい」と言う。

生地の軽量化が進んだことで、生地が動きやすくなったために縫い付ける作業は難しくなった。それでもシンプルな図柄なら2、3時間で1着を仕上げることができる。服を作る職人は正典さんと、親類の河野祐子さん、岡田由美子さんの3人。経理を預かるのは亡くなった政平さんの妻太子(たいこ)さんだ。究極の家内制手工業である。これで1カ月に約60着、年間で約700着を手作業で仕上げる。自前で作る大手馬主もいるが、今も中央競馬の半数以上を手掛けている。

勝負服はジョッキーサイズと呼ばれるワンサイズ。同じジョッキーだけが使うのではない。伸び縮みする素材で大事に使えば7、8年持つという。馬主によってはゲンを担いで勝ったときの勝負服を修繕しながら長く使う人もいれば、勝ったときの勝負服にジョッキーのサインを入れて保管する人などさまざまだ。勝負服は1着2万円前後。思ったほど高価なものではない。急な出走が決まって出馬投票直後の木曜夕方に注文があり、土曜・日曜の競馬に間に合わせなければならないときもある。

「注文を受けた以上は必ず間に合わせたい。貸し服で走らせるのは気の毒ですからね。でも、木曜は1週間でいちばん嫌な日です」と笑う。そんな急な仕事でもプロの仕事で対応する。だからこそ信頼が生まれる。

新たな取り組み、技術も進歩

生地の色は蛍光色の一歩手前の鮮やかなもの。棚には鮮やかな色の生地が並ぶ。雨中で視界が悪いとき、実況アナウンサーの頼りは普段にも増して勝負服の鮮やかな服色になる。勝負服を見てどの馬が走っているかを判別しなければならない。普通の洋服には使わないようなカラフルな色が勝負服の魅力でもある。実績を挙げている馬主の勝負服は見ただけで馬が強そうに見えてしまう。これも勝負服の持つ不思議な力だろう。

昨年から正典さんは新たにメッシュタイプの勝負服を作り始めた。エアロタイプと同様の伸縮性があり、猛暑の中で身に着けたジョッキーたちからも好評である。試行錯誤を続けながら技術も進歩している。競馬のマチ福島にあって古くから勝負服を手掛けて、日本有数の技術とシェアを有してきた河野テーラーはわれわれ福島に住む人たちの誇りでもある。

正典さんは「これからも福島競馬が続くかぎり、福島でこの仕事を続けていきたい」。来年、創設100周年を迎える福島競馬場を河野テーラーは支えてきた。勝負服に込められた職人さんの心意気をぜひ思い起こしてほしい。