オーストリアの首都ウィーン


 10月15日にオーストリアで実施された総選挙(下院選挙)で第1党の座を確保した国民党の党首セバスティアン・クルツ氏が、世界中の注目を浴びている。

 その理由は、クルツ氏がなんとまだ31歳という若さで、しかも貴公子然とした甘いマスクのイケメンだからだ。栗色の髪の毛をオールバックにしたヘアスタイルが個性的だが、若き日のバイエルン国王ルートヴィヒ2世を想起させるものがある(下の写真)。

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 クルツ氏は、すでに27歳でオーストリアの外相に就任しており、現在もその職にある。国務大臣としての経験がすでに4年あることになり、国民からの人気もきわめて高い。

 前政権は、第1党の中道左派の「社会民主党」と第2党の中道右派の「国民党」の連立政権だったが、国民的人気を背景に今年5月に国民党の党首となったクルツ氏を意識した社会民主党が総選挙の前倒しに同意し、10月の選挙結果につながったというわけだ。

 今回の総選挙で第1党となった国民党は、第3党の「自由党」との連立工作を行っている。現在は暫定的に前政権が政務をこなしているが、今年のクリスマスまでには連立政権が誕生すると予想されている。そうなると、31歳の首相が現実のものとなる。

 しかも、国民党は中道右派、自由党は右派ナショナリストだ。つまり、連立が実現すればオーストリアでも右派連立政権が誕生することになる。この点については、後ほど触れることにする。

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オーストリアの選挙権年齢は16歳!

 このところ欧州では、フランスのマクロン大統領(39歳)など若手の政治家が国家指導者として選出されるケースが増えている。すでに成熟後期ともいうべき欧州社会だが、若い政治家に現状打破を期待する国民が少なくないということだろう。

 背景には選挙制度改革もある。日本では選挙権年齢の18歳への引き下げがニュースになったが、欧州では選挙権年齢を16歳に引き下げる動きがある。その先頭を切ったのが、じつは小国のオーストリアなのである。それは2007年のことで、すでに10年の実績があるのだ。

 国政レベルで選挙権年齢を16歳に引き下げた欧州の国は、現在のところオーストリアだけだが、市町村レベルではドイツやノルウェーも実現している。EU議会は、EU議会選挙での投票年齢を16歳にするよう加盟国に勧告しており、この動きはいずれEU域内で全面化するであろう。スウェーデンも国政レベルでの16歳への引き下げを検討中である。

 選挙権年齢の16歳への引き下げについては、導入当初はオーストリアでも議論になったが、施行から10年の成果が31歳の首相誕生につながった要因の1つであるといっていい。オーストリアの事例は、その意味では先行事例となる。

 オーストリアで16歳選挙権が実現した背景には、職業訓練と密接にリンクした教育制度もある。これは、ドイツ発祥のマイスター制度を背景にした、ドイツ語圏を中心に中欧で普及しているシステムで、「デュアルシステム」と呼ばれる。このシステムにおいては、10歳時点で進学コースか就職コースか決めなくてはならず、人生の選択を迫られることになる。義務教育終了後の16歳時点ですでに働いている者も少なくない。大人とみなされるのである。

 日本のように高校教育の無償化が選挙の公約になるような国では、選挙権年齢のさらなる引き下げは、まだ先の話というべきかもしれない。

ウィーンを「ハブ」にした中欧の交通体系

 さて、ここで少し話題を変えてみよう。海外旅行で人気があるコースの1つ「中欧三都物語」をご存じだろうか。

 日本で「三都物語」といえば、関西圏の京都・大阪・神戸のことだが、中欧の「三都物語」とはウィーン、ブダペスト、プラハとなる。それぞれオーストリア、ハンガリー、チェコの首都で、いずれも「これぞ正真正銘のヨーロッパ」という雰囲気を濃厚に醸し出している中欧の古都だ。

 観光であれ仕事であれ現地で行動すると見えてくるのは、オーストリアとハンガリー、チェコはそれぞれ別の国であるのにかかわらず、鉄道網も道路網も航空路もみな、交通体系がウィーンを中心とした放射状の「ハブ・アンド・スポーク構造」で設計されていることだ。「ハブ」とは車輪の真ん中にある車軸のこと、「スポーク」とは、車軸と車輪をつなげる部分をさしている。

 なぜそのような交通体系になっているのかというと、オーストリアはかつてハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の中核であり、19世紀半ばから建設が始まった鉄道網も、クルマの普及に伴う道路網も、いずれも帝都ウィーンを中心に設計されたからだ。当時はオーストリアもハンガリーもチェコも存在しなかった。

ハプスブルク帝国崩壊が開いた「パンドラの箱」

 ハプスブルク帝国が崩壊したのは1918年11月11日、今年は100年目になる。

 ハプスブルク帝国の皇太子夫妻がバルカン半島のセルビアで暗殺されたことがきっかけとなり、1914年に第1次世界大戦が勃発した。大戦でハプスブルク帝国は敗戦国となり、650年にわたって中欧を支配してきた帝国はあっけなく崩壊してしまった(バルカン半島の複雑な歴史については拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』でも詳しく紹介したので、あわせてお読みいただきい)。

1914年の欧州(出所:マナペディア)


 大戦前から民族運動がさかんになっていたこともあって、解体した帝国からハンガリー、チェコスロヴァキア(当時)、スロヴェニア、クロアチアなどが「民族自決」によってそれぞれ飛び出していった。「パンドラの箱」に残されたのは、ゲルマン系の小国オーストリア(=ドイツ語でエスターライヒ:東方の国)だけとなったのである。

 だが、ハプスブルク帝国から独立した諸民族は、過酷な運命に翻弄されることになる。第1次大戦中の1917年にはロシア革命によってソ連が誕生し、第2次世界大戦では中欧は、ドイツとソ連の中間地帯として戦場となって蹂躙され、第2次世界大戦後にはソ連の衛星国、あるいはユーゴスラヴィア連邦として組み込まれ社会主義化される。

「鉄のカーテン」というフレーズで東西冷戦構造をあざやかに表現したのは英国首相のチャーチルであったが、「ハプスブルク帝国が崩壊していなかったなら、中欧諸国はこれほど長い苦難の歴史を経験しなくともすんだであろう」、といった意味の発言も残している。

 オーストリアを含めた中欧について考える際、冷戦構造崩壊後の四半世紀だけでなく、ハプスブルク帝国崩壊後の1世紀の歴史を視野に入れないと真相は見えてこない。現在でもこの地域では、ドイツ語が共通語として生きている。

「共振現象」か?中欧で相次ぐ右派政権誕生

 欧州で右派ポピュリスト政党が躍進しているのは、国民投票で「ブレグジット」(EU離脱)を選択した英国やフランス、オランダといった西欧先進国だけの現象ではない。

 オーストリアで右派連立政権が誕生する見通しであることについてはすでに触れたが、すでにポーランドとハンガリーでは右派政権が存在している。

 また、オーストリアの翌週に実施されたチェコの総選挙では、右派政党が第1党になっただけでなく、第2党には極右政党の「SPD」(自由と直接民主主義党。党首は日系チェコ人の実業家トミオ・オカムラ氏)が躍進している。チェコでも右派連立政権が誕生する可能性があるのだ。今回のオーストリアやチェコの動きは、ハンガリー、ポーランドとの「共振現象」と言っていいかもしれない。

 EU構想は、もともとオーストリア貴族のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵(母親は日本人)の「汎ヨーロッパ主義」がその源泉の1つとなっている。だが、オーストリア自身は第2次世界大戦後の復興期に中立政策を採用したこともあり、EU加盟は冷戦崩壊後の1995年と遅かった。旧共産圏のポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロヴェニアの加盟は2004年である。

 ドイツや中東欧は、英仏など市民社会の発達した西欧とは違って、19世紀半ば以降の「市民革命」には挫折した地域である。民主主義に関しては、もともと先進地域ではない。この点においては、遅れて近代化の始まった日本とも共通している。

右派ポピュリストの主張が中欧で受ける理由

 中欧は、文字通り欧州大陸の中央を意味する。ドイツとロシアという大国に陸続きで挟まれた地域だ。このため、いつ敵が攻めてきて滅亡してしまうかもしれないという不安と恐怖が深層意識から消えない。

 バルカン半島を陸路で北上してきたシリア難民たちがもたらした「難民問題」もまた、ある意味では潜在的な不安を呼び覚ましてしまったのである。国際的な批難を浴びながらも、ハンガリーの右派政権が鉄条網の「壁」の建設を強行したのはそのためだ。中欧には、右派ポピュリストのレトリックがアピールしやすい土壌がある。

 中欧では有史以来たびかさなる侵略と略奪が繰り返されてきた。13世紀のモンゴル軍はハンガリーまで侵攻、バルカン半島を支配下に置いていたオスマン帝国軍がさらに北上して、16世紀前半と17世紀末の二度にわたってウィーンを包囲、ウィーンは落城寸前まで追い詰められた。2つの世界大戦で蹂躙されたのちも、1956年の「ハンガリー革命」ではソ連軍の戦車隊によって鎮圧された。1968年の「プラハの春」はかろうじて武力鎮圧は回避されたが、チェコスロヴァキア全土がソ連軍に制圧された。

 作家の吉田健一氏は、『ヨオロッパの人間』(新潮社、1973)で以下のように書いている。ちなみに吉田健一は、外交官出身の政治家・吉田茂首相の長男である。

「戦争は近親のものに別れて戦場に赴くとか原子爆弾で何十萬もの人間が一時に、或は漸次に死ぬとかいふことではない。それは宣戦布告が行はれればいつ敵が自分の門前に現れるか解らず、又そのことを当然のこととして自分の国とその文明が亡びることもその覚悟のうちに含まれることになる」(原文ママ)

 陸続きの大陸国家における戦争の本質について、これほど的確に表現した文章はほかに知らない。こういったことは、「島国日本」にいるとアタマでは分かっても、感覚的に理解できないのではないではないだろうか。

 いい意味でも悪い意味でも、さまざまな点において歴史的共通点をもつのが中欧である。小国オーストリアを中核にした中欧の諸国家は、もともとハプスブルク帝国であったことを念頭に置いて、ひとかたまりの存在として見ていく必要がある。

筆者:佐藤 けんいち