今、東京の男女が密かに抱えている悩みがある。

恋人や夫婦間での、肉体関係の喪失だ。

この傾向は、未婚の男女においても例外ではない。

化粧品会社でPRをしている美和子は、大手損保企業に勤める健太と恋に落ち、同棲を開始。

相思相愛、周りも羨むお似合いの二人だが、同棲1年が経つ頃、不完全燃焼の夜を境にして“プラトニックな恋人”となっていく。

-私と抱き合えなくて、どうして平気なの?

美和子は意を決して思いをぶつけるが、健太は問題に向き合おうとしない。




1年半ぶりの夜


「美和子に、報告があるの」

女子大時代からの友人・茜から改まったLINEが届いたのは、彼女の結婚式から1年が経つ頃だった。

気がつけば茜も私も30代に突入し、先に結婚した友人たちから続々と“ご報告”が届いていたから、彼女からの連絡もまた、懐妊の知らせであることはすぐにわかった。

幸せを心から一緒に喜びたいのに、私の胸はしくしくと疼く。

それは誰のせいでもない。前へ進むべきだとわかっていながら、同じ場所をただぐるぐると回り続ける自分自身への、苛立ちに他ならなかった。

-私と抱き合えなくて、平気なの?

意を決して気持ちをぶつけたあの夜。

しかし健太は私たちの間に問題などないと言い切り、それ以来、あからさまに“その話題”を避けるようになった。

私自身もそんな健太を前に、問題を顕在化することが良いのか悪いのか判断がつかず、関係が壊れてしまうことを恐れる気持ちが勝ってしまっていた。

…実は、私の30歳の誕生日、健太が予約してくれた『アルカナ イズ』で、私たちは久しぶりに抱き合った。

非日常、そして東京とは明らかに違う時間の流れが、しがらみを解放してくれたのだろう。

しかし、約1年半ぶりの刺激は窮屈な痛みを伴って、彼がかろうじて中で果てた瞬間、私はとても冷静にただ、ホッとしていたのだった。


どうすれば元に戻れる…?悩む美和子に、茜はある助言をする


友人の助言


「美和子、忙しいのにありがとう」

目黒の割烹『八雲茶寮』で、私たちは再会した。茜が行きつけらしく、昼懐石を予約してくれたのだ。

茜は昔から色が白くふわふわとしていて、マシュマロのような女だ。歳を重ねても変わらぬ砂糖菓子のような佇まいに、私は無条件に心が和む。

「元気だった?…って、見るからに幸せそう」

彼女と会うのは結婚式ぶりだが、当日は会話らしい会話をしていない。こんな風にゆっくり向き合うのは、もしかすると学生時代以来かもしれなかった。

それでも学生時代の友人というのは不思議と垣根がない。まだ大人になりきれない、未熟で多感な時期をお互いに知っているから、妙なプライドを捨て去ることができるのだろう。




「私、子どもができたの」

配膳がひと段落したタイミングで、茜が屈託無く言った。きっと気づいてたよね、と笑う彼女に、私は「うん」と小さく頷く。

「…おめでとう」

そういうつもりじゃなかったのに、絞り出すような言い方になってしまい、私はすぐに後悔した。

「美和子とゆっくり話したかったから、会えて嬉しい。最近、美和子の方はどうなの?健太くん、だっけ…今も同棲してるの?」

私の鈍い反応から何かを察したのか、茜がすぐに話題を変えた。気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いながら、私はまた小さく頷く。

「…まだ結婚の話は出てないの?彼が踏ん切りつかないようなら、できちゃった婚を狙ってみてもいいかもしれないわよ」

奥手な彼女に似合わぬ攻めた提案をして、茜は私を覗き込んだ。どうやら健太が長い春を謳歌し、結婚を渋っているのだと勘違いしているらしい。

私はこのとき、自分でも無意識に、気のおけない相手に完全に気を許していたようだ。

ふいに、これまで誰にも明かさなかった事実を、いとも簡単に口にしてしまったのだから。…いや、もしかしたら本当は、健太と直接関わりのない誰かに、ずっと話を聞いて欲しかったのかもしれない。

「できちゃった婚は、無理。…そういう行為がないの、私たち」

できる限り深刻にならぬよう、私は淡々と言葉を紡いだ。

同棲して1年が経つ頃から、プラトニックな恋人になってしまったこと。意を決して健太に思いをぶつけたこと。しかし彼は問題に向き合ってくれなかったこと。30歳のお誕生日に久しぶりに抱き合ったものの物足りず終わったこと。そしてその後はまた、レスであること…。

「それって…」

話を聞き終えた茜が、慎重に言葉を選ぶそぶりで、口ごもる。

「私も別に、どうしてもしたいわけじゃないの。健太とは仲良しだし、それでいいのかもって思うんだけど…」

一度口をつぐんだ茜だったが、私が弁解に似たセリフをこぼすや否や、彼女はやんわりと、しかし迷いのない口調で続きを制した。

「美和子、強がらないで。抱かれたいに決まってる、女なんだから。それは当たり前のことよ」

-抱かれたいと思うのは、女なら当たり前のこと。

シンプルな正解に、私は言葉を失ってしまう。

そんな私の痛みを分け合うように顔を歪め、茜は静かにこう続けた。

「健太くんとは、できるだけ早く別れた方がいいと思う...」


健太とは、別れた方がいい。茜の助言に、美和子は…


黙り込んでしまった私を諭すように、茜は訥々と続ける。

「結婚して何年も経てばほとんどがレスになるとは聞くけど...結婚前からそんな状態で、美和子が我慢して一緒になっても幸せと思えないもの。それに美和子は私とは違って綺麗でモテるんだし、今ならまだ、他にいくらだって素敵な人と出会えるよ」

-健太と、別れる。

そのことについては実際、私も考えていないわけではなかった。

むしろそれが正解なのではないかと、随分前から頭では理解していた気もする。

ただ、健太と別れることを、彼と別々の人生を歩むことを想像すると、それだけで文字どおり身を引き裂かれるような思いがする。

どうやっても、覚悟を決めることなどできなかった。

黙りこくる私の心を見透かしたのか、ふいに茜が子どもをあやす時のような穏やかな声で私に語りかける。

「あのね、美和子。私の幼馴染で、ビジネスホテルチェーンの御曹司がいるの。タイミングがなかったのか未だ独身で。ゆくゆくは社長になる人だし、よかったら今度紹介させてくれない?」

彼女は「顔は好みかどうかわからないけど、身長は高いのよ」と柔らかく付け加えた。

…茜の厚意は、ありがたく思う。とはいえ、彼女の提案をすぐに受け入れる気には、やっぱりなれなかった。

御曹司だろうがなんだろうが、健太でなければ。

私は健太とともに歩む未来しか、想像していなかったから。…少なくともこの時は、まだ。




私はとにかく、淋しかった


その日家に戻ると、土曜の夜だというのに健太は不在だった。

そういえば夕方に「大学時代の仲間と飲んでくる」というLINEが入っていたのを思い出す。…きっと帰りはまた、明け方なんだろう。

私はゆっくりバスタイムをとり、最近急に思い立って新調したランジェリーを身につけた。そして誕生日プレゼントに友達から貰った、ジョーマローンのボディクリームで全身をくまなく保湿する。

-抱かれたいに決まってる、女なんだから。

…否定はできなかった。どんなに自分で自分の身体を慈しんでも、誰にも触れてもらえずに眠る日々は虚しい。

冷たいベッドにひとり潜り込んだら、どういうわけか突然の孤独が襲ってきた。

秋から冬に向かう季節が、どうにもセンチメンタルな気分にさせたのかもしれない。人肌が、無性に恋しい。

この夜、健太がそばにさえいてくれたら、私はきっと違う選択をしただろう。

私はとにかく、淋しかった。それで、深く考えるよりも早く、手が動いていた。

“茜の幼馴染、紹介してもらえますか?”

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美和子が新たな恋に向けて、動き出す。